必然
小狸
短編
「この世には、偶然なんてないんだよ」
そんな口癖の、彼女であった。
今まで何人かの女性に懸想をしてきたけれど、彼女はその中でもひときわ、異彩を放っていたように思う。結局、僕の方から彼女へと告白をすることは無かった。高校時代、鮮やかに空を彩る夕焼けの中、畦道を一緒に自転車で進んで下校しながら、そんなことを言い合う彼女に、僕はこの時、間違いなく魅かれていたように思う。
まあ、若気の至り、である。笑いたければ、笑ってくれて構わない。
「運なんてものもない。全てが初めから予め決まっていることなんだ」
「……そうかね」
僕は反論してみることにした。
「じゃあ、僕の家が荒れていて、家庭内での教育虐待が激しくて、家に帰ることが億劫で、だからこそ帰りが遅くなるようにわざと迂回して君と帰っているのも、偶然じゃないってのか」
「ああ、そうだね。決まっていたことだ」
彼女は臆することなく言う。
「運命の女神なんていないし、救世主など現れない。あるのは、どうしようもない不可逆な現実だけだよ」
「何か、救いようないな、それ」
僕は思わず、悪態を吐いた。
大人達は、僕らに容赦なく『これが現実だ』と、自らが体験した理不尽を突きつけてくる。最近は漫画や映画だって、徐々に説教クサくなってきている。
「僕が望まなくとも、あんな家庭の子に生まれることはもう決まっていたことだ、なんて言われちゃ――僕としてはもう何か、やるせなくなってしまうよ。そりゃ、年間で自殺者も大勢出るの、納得しちゃうな」
「あはは、君らしい皮肉な見識だね」
彼女は笑った。良い笑顔だった。
「でも、考えによっちゃあ、救いようがないって訳でもないんだよ」
「え?」
「私は確かに、偶然なんてないと言ったけれどね。人々から『偶然』と呼ばれるものは、起きるものじゃなく、起こすものなんだよ。鍛錬と積み重ねと反復によって、その事象が発動する確率を上げる。勉強や運動なんかが分かりやすい例だけれど、それ以外だって、人それぞれ、積み重ねてきたこと、続けてきたことはあるだろう。君が、両親の目を盗んで、小説を書いて――書き続けているようにね」
「……知ってたのか」
「私の観察眼を舐めないことだね。君が朝、部活動の時間に早めに学校に来て何かを書いているのは、既に調査済みだ」
「時々、君の観察力には舌を巻くよ」
「話を戻すと――そういう積み重ねのことを、一般的に人は、『努力』と呼ぶ」
「努力……」
その言葉は。
とても苦手な言葉だった。
何かにつけ人は努力、努力と言う。
母もそうだ。
頑張って、根詰めて頑張って、頑張ることそのものに意味を見出して、それを僕に押し付けてくる。
しかしどうだろう。
彼女の口から発せられた言葉は、夕暮れの屋台で買ったサイダーの蓋を開けた時のような、淡い爽快感に似た響きを含んでいた。
「そうさ。偶然なんてない。あるのは現実だけ――そしてだからこそ、そんな現実で積み重ねた努力は、必ず報われる。故に、君の努力は絶対に無駄にはならない。」
「……全く、君って奴は、本当に」
そんなことを言われたら。
ちくしょう。
全てを諦めて、投げ出して、逃げ出して、死んでやろうと思ったこともあったけれど。
明日もまた生きてやろうって、明日もまた生きて、努力して、積み重ねてやろうって、思ってしまったじゃないか。
「君が元気になったなら、何よりだ」
そう言って、また、彼女は笑った。
夕日に彩られた水田が、その笑顔をより際立させる。
こんな風に。
こんな塩梅で。
そんな調子で。
今日もまた、何となく僕は、彼女に励まされてしまったのだった。
(「必然」――了)
必然 小狸 @segen_gen
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