第6話 天の両親
天の両親がどのような反応をするのか想像した途端、胃に痛みが走った。
文香は帰りたいと口にするために、隣にいる天を見た。口から出たのは懇願ではなく、疑問。
「翼がないです」
「ん? 飛ぶのが終わったから、しまった」
「えっ!? しまえるんですか?」
「出しっぱなしにしておくこともできるが……。柱や壁に当たって、翼を痛めたら災難だからな。必要ないときは、収めておく」
天は「何を驚いているんだ?」と不思議そうな顔をしたが、翼を出したり収めたりできるとは驚きだ。天狗の生態は奥深い。
文香がいくつか質問をしていると、ドダドダッと忙しい足音が近づいてきた。
文香が相手を認めるより早く、女性が叫んだ。
「白蛇神社の娘に振られたからって、人間を攫ってくるんじゃないわよ! この馬鹿息子がっ!!」
「違う!!」
女性はいきり立った勢いのままに、天の頭を叩いた。
「いってぇーっ! 違うって言ってんだろ! こいつを助けたその恩返しとして、花嫁になってくれるんだ!」
「恩返し?」
恩返しという単語に、女性は幾分冷静になったらしい。キョトンとした目で、文香を見つめた。
文香は一目見て、この女性と天は親子だとわかった。目鼻立ちや顔の輪郭や髪の質や妖艶な雰囲気が、よく似ている。
「そうなの? 恩返ししたいの?」
「はい」
文香のほうから恩返しをしたいと言ったわけではないのだが……。
玄関の左手に事務所があり、文香はそこに通された。
机の上に乗っている帳簿はボロボロで、筆記用具は黒ずんでいる。隅に置かれたホウキは穂がスカスカで、柄の部分の竹は割れている。
天井から下がっている豆電球には汚れがこびりついており、明るさに乏しい。
四人は向かい合わせのソファーに座ると、天が事の成り行きを話した。
「……というわけで、白狐の子供に遊ばれていたこいつを助けたところ、恩返しとして、花嫁になってくれるというわけだ」
「人間がねぇ……。天狗の中で、花嫁の代わりになってくれる娘はいなかったの?」
「声をかけていない。嫁になりたいって言われたら、面倒くさい」
「あんたって子は、まったく」
母親はぶつぶつと文句を言ったが、花嫁の身代わりを立てることに反対ではないらしい。
問題は、身代わりになるのが人間であることなのだろうと文香は思った。
母親はテーブルを回ってくると、文香の隣に座った。
なにを言われるのだろうと、肝が冷える。きつい言葉を投げられるに違いない。
身構えていると、膝の上で握りしめている文香の両手を母親は包み込んだ。
「私はね、好奇心の塊なの。人間の世界に行っては、人間のふりをして、よく遊んでいるの。天狗には、天変地異を操作できる力があってね。嵐や土砂崩れを操って、人間を何度も守ってきた。人間は感謝してくれたわ。でも、恩返しをしようとした人間は誰一人いなかった。それなのにお嬢さんは、恩返しをしようとしている。優しい子ね」
違う。恩返しをしようと思ったわけではない。流されて、ここにいるだけ。
けれど、言葉は頭の中で渦巻くだけで、口元に下がってこない。
天の母親の眼差しも手も、暖かい。否定して、その暖かさが冷えてしまうのが怖い。嫌われたくない。
情けない自分を恥じて、文香は俯いた。
「息子は私に似て顔は良いのだけれど、女心のわからない唐変木でね。結婚を嫌がって、ずっと独身だったの。ようやく結婚する気になったかと思えば、相手は白蛇神社の娘。私と主人は、愛のない結婚には反対なの。けれど、白蛇神社との縁を繋げないと、宿が潰れてしまうのは事実」
ハキハキと話していた母親の声が、曇った。
「私が悪いのよ。女将としての資質がないから」
「違う! 悪いのは俺だ! 母さんは自由人。だからじいちゃんは、俺に宿を託した。それなのに、俺がぼろ宿にさせた!」
「あなた一人が悪いわけじゃ……」
「いや、俺のせいだ。俺が半人前だから、悪鬼につけ込まれた」
母親は口を閉ざし、天も押し黙った。重い沈黙を破ったのは、天の父親だった。
「二人がこの宿を大切にしていることは、よくわかっている。白蛇神社と縁を繋げれば、運が上がるだろう。だが私には、それは一時的なものに思えるのだ。根本的な解決にはならない。天もわかっているだろうが」
「…………」
天は悔しそうに唇を噛んだ。父親の話すことが的を得ているのだろう。
「あやかしの世界には五つの宿屋があり、それぞれに特徴がある。鳳凰の宿屋には、鳳凰の宿屋の良さ。兎の宿屋には、兎の宿屋の良さ。天狗の宿屋も、
「わかっている! だけど、あいつを追い出さない限り、なにもできない! ボロ宿を喜ぶ客なんていない! だから俺は、一生懸命掃除をした。屋根の茅を替え、壁を直し、窓ガラスを全部新しくした。部屋の隅々まで掃除して、じいちゃんの石像だってぴかぴかに磨いた。それなのに、翌日には元通り。一晩で、また古くなる。俺が半人前で力が足りないから、あいつを追い出せないんだ! ──俺のなにがダメなんだ? なにが足りないんだ? なにが欠けているんだ? なにが……」
天は興奮した様子で立ち上がると、捲し立てた。けれど熱した鉄が冷えていくかのように、勢いを失っていく。肩が力なく下がる。
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