ゾネ
芳ノごとう
(一)
あの本を捕まえなければならない。何としてでも。
砂をざくざくと踏みしめながら、私は改めて考えた。
求めてやまないあの本。タイトルさえも分からない。この世に存在するということが分かっただけでも僥倖だ。今はどこを飛び回っているのだろう。識別番号がついておらず、現存しているのはどうやら一冊のみ。性格も分からないため、生息地を絞れないのが厄介だ。
基本的に本は読まれたがっているので、群れる群れないにかかわらず、人里に集まって飛び回る習性がある。だが、思い出を偲ぶかのようにひっそりと、ただ穏やかに存在している本もある。
一歩ごとに足が沈む。もうすぐ次の街だ。この砂地において、取り残されたかのような緑豊かな人里が見える。
私が着いたのは、ゾネという街である。元々は療養目的だった施設がどんどん大きくなっていったものらしく、今では街になっているとのことだった。私の肩に止まったこの街の歴史書にそう書いてあった。
私は修繕屋へと足を向けた。先程はつい歴史書に気を取られてしまったが、新しい街に着いたら、食事より宿より優先して修繕屋に行くことにしている。本の生態系に一番詳しいのは、その土地にある修繕屋と相場が決まっている。
修繕屋には、厳めしい顔つきをした老人が一人いるだけだった。入り口に私が立つと、日が遮られたためか、老人は本を修繕する手を止め、こちらを見た。私は、探している本があることを伝え、載っている詩の一節を諳んじてみせた。
「ここで見かけたことはありませんか」
老人は手を顎にやった。沈黙が長ければ長いほど期待が高まってしまう。そうしてみると、答えが返ってくるまでの今回の時間はちょうどいいものだった。ぶっきらぼうな即答でもなく、惑わしてくるような焦らしでもなく。その上、内容までも、私が今までに掴んだ情報の中で一番の朗報だった。
「三十年ほど前、一度見かけたことがある」
私が顔を輝かせると、老人はさらに続けた。
「だが、今はもうここにはいない」
私は店の奥へと歩を進め、老人との距離を詰めた。
「今どこにいるかも分からん」
「どの方角へ行ったとか……」
「さあ……」
「いつ頃飛び立ったか分かりますか」
「確信は持てんが、見かけた頃にはすぐにいなくなったように思う」
「性格は? どんなでした?」
興奮が高まってくる私を手で制し、老人は茶を入れてくれた。一呼吸挟まれて気づいた。この街は随分と暑い。周りは砂地だというのに、鬱蒼とした森林の中にある街に入ると湿気が多い。こまめな水分補給が大事だろう。勧められるまま、茶に口をつける。味なんぞどうでもよかったが、なかなかに旨かった。火照った身体に染み渡る。
「そんなに積極的じゃなかったように思うが、何せ三十年前のことだからな……」
老人は眉間に皺を寄せ、考え込む。
それ以上は未知の情報を集められなかった。老人、いや、店主は、昔の記憶を出来る限り掘り起こしてくれたようだったが、既に私が掴んでいる情報をいくつか教えてくれただけだった。それでも十分だ。この本について、私以上に詳しい人間にとんと会っていなかったのだから。
私は、定期的に手紙を送るので、何かあったらこちらへ連絡を返してくれと伝えた。店主は、新しいことが分かったら手紙を飛ばすと約束してくれた。店を出る私の足取りは軽かった。見かけによらずいい人だったな。
念のため数日間ゾネに滞在したが、やはり出会えなかった。ゾネには修繕屋が一軒しかなかったため、私は次の目的地を目指すことにした。
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