第103話 《ナトリウム(Na)》

 製作所に入室してから5分後。

 モーズは無言でドリンクパックの水を飲んでいた。口の中に残る酸っぱい味を誤魔化す為に。


「モーズ先生、酸っぱいの駄目でしたか。堪忍なぁ〜」

「いや、駄目という訳では……。ただ飴とは甘い物、という先入観に囚われていたというか……」

「甘いと思って食べたら酸っぱいだなんて、脳がびっくりするよねぇ。まぁシアンくんと初めて会った時の洗礼だよ。大抵は引っ掛かる」


 ちなみにフリッツの話によると、ユストゥスが引っ掛かった際、シアンは腹を一発殴られたらしい。全く懲りなかったそうだが。


「ほんでほんで? 警報があった後に自分の元に来たゆう事は、遠征に連れて行ってくれますん?」

「うん、そのつもりだよ」

「嬉しいわ〜っ!」


 相変わらず目は笑っていないものの、歓喜するシアンに対し、フリッツは「ただし」と条件を突き付ける。


「今回の君の役割は僕達と同じ、だ。戦闘は僕らの指示があるまで決して参加しない事」

「えぇ〜? 見とるだけでっか。つまらないしょーもない

「君の毒素も強力だからね。極力使わせたくないんだ」

「パラチオンやテトラミックスの坊ちゃん方に比べたら自分、弱いのになぁ。何ならよりも下やで?」


 シアンが口にした毒素の名は、モーズがまだ出会った事のないアコニチン(トリカブト毒の主成分)を含め、全て強力な毒素だ。

 逆に言うと『そのレベルの毒素でなければ下回らない』と、彼は言っている。


「シアン。私は初めて君と会う。だから不躾な質問となってしまうのだが、遠征前に確認をしておきたい」

「何々? ええですわ、なんでも訊いたってや〜」

「君は、強いのか?」

「そりゃ勿論っ! ウミヘビの中でも腕には自信がある方さかい! そこらの軟弱者はみぃんな吹っ飛ばし……」

「ニコチンよりも?」


 その質問に、シアンの笑みが一瞬消える。

 

「……ニコちゃんより、手数は多いつもりやで?」


 そして口角だけ歪にあげて、シアンは答えた。

 安易に「強い」と断言はせず、自分の得意なのだろう分野を口にしたシアンに、モーズは安堵した様子で「そうか」と短く頷く。


「もぉ〜。何でそないな意地の悪い質問をしたん〜?」

「私が現状で把握できている、最もわかりやすい比較対象だったものでな。軽率に人と比較する事はよくないとはわかっているが、これから向かうのは超規模菌床。信頼関係を築く時間がない以上、頼れる者という実感が欲しかった」

「そう。そうだね。君達は初対面だものね。これは僕が原因だ。どうか怒らないで欲しい、シアンくん」

「いやいや、怒っとるのとはちゃいまっせ?」


 へらへらと笑うシアンだが、フリッツは頭を下げ丁寧に謝罪をする。

 モーズも彼に続き頭を下げて謝罪をするとシアンは「そんなウミヘビに対して大袈裟なぁ〜」と、遠慮がちに距離を置かれてしまった。


「モーズくんもごめんね。わざわざ君と面識のないシアンくんを選んだのは、これから呼ぶ子達の制御が出来るからなんだ。水銀くんの計画を任せられ、一度連携をすればピカイチの実力を持つ子達。でも基本は不仲」

「基本は不仲……?」

「タリウムくんにカリウムくん、そして、くんだよ」


 ◇


 ここはネグラの大食堂。白を基調とした清楚感のある、大きく広々とした建物内部。

 ここではウミヘビ達が持ち回りで食事当番をこなし、訪れたウミヘビに食事を提供する、大学の食堂に似たセルフスタイルの憩いの場だ。ここではアセトが切り盛りするバーとはまた違う交流が育まれていた。

 喧騒という形で。


「やんのかコノ野郎! 今日こそギャフンと言わせてやるこっっの高血圧!!」

「やらないでかコノ野郎! てめぇこそ叩きのめしてやるこっっの低血圧!!」

「何で2人とも俺を挟んで火蓋を切るんスか……」


 朝食のサンドイッチとオニオンスープを置いた長机の席に並んで座る、同じ顔をしたウミヘビが3人。

 真ん中にタリウムを挟んで、カリウムは黄色い髪色以外は瓜二つとなるもう1人のウミヘビに食ってかかっていた。


「こいつが悪いんじゃん! 俺のスープに勝手に塩ふりよってからに!」

「てめぇが先に俺のスープに(刻み)昆布入れたのが原因だろがこっっのダボ!!」

「高血圧奴野郎の血圧を下げてやろうっていう俺の親切心じゃん〜? 人の親切を無碍にするとか薄情野郎だなぁ〜?」

「ああん!? 頼んでもねぇ事を勝手にやるんじゃねぇぇえよ! 余計なお世話だわ低血圧野郎が!!」

「朝飯ぐらい静かに食わせて欲しいっス……」


 早朝に行われるネグラ中のゴミを回収する当番を終え、少し遅くなってからの朝食。

 カリウムは当番ではないのにタリウムに付き合って、一緒にゴミ回収をしていた。タリウムはその事はとても助かったのだが、その所為で運悪くというべきか、ネグラではなるべく避けていたカリウムと相性最悪のそっくりさんと食堂で邂逅してしまったのだ。

 だからと2人は食堂を離れたりはしない。何故なら相手に合わせて妥協をするのは、負けに繋がるからだ。何の勝ち負けかと言うと、プライドの。


「ふっふっふっ。俺にそんなデカい口を叩いていいのかな? 俺にはこの! 昨日の夜、水銀さまから頂いた高血圧野郎のさんすうドリル(回答済)を持っているというのに!」


 するとカリウムは肩にかけていた鞄から、伝家の宝刀と言わんばかりに1冊のドリル帳を取り出した。

 その表紙には《ナトリウム(Na)》。目の前のカリウムそっくりなウミヘビの名が、拙い文字で書き込まれている。

 それを見た黄色い髪のウミヘビことナトリウムは、頬を引き攣らせて激怒した。


「はぁあああ!? てめぇここ最近なんか余裕こいていると思ったら、なに水銀さまに媚び売ってんだ! 燃やせそんな過去の遺物!!」

「これは俺がパラチオンとの戦闘を頑張ったご褒美じゃん〜? 責められる謂れはないじゃん〜?」

「カリウムは場を引っ掻き回した程度っスけどね……」

「このドリルで知ったんだけどお前、最初は掛け算からしきだったみたいじゃん? ぷぷ、教育前の俺でも流石に出来たわその程度」

「うるせぇよ! いいから燃やせ! 今すぐ燃やす気ねぇならてめぇを昆布焼きにしてやる!!」

「はんっ! やってみやがれってんじゃん! お前こそ焼き塩にしてやんよ!!」

「その罵倒、食堂で聞くと料理しているようにしか聞こえないスよ?」

「なんや朝から元気やなぁ。自分も混ぁ〜ぜぇ〜て?」


 しん。騒がしかった食堂が一気に静まり返る。まるで天使が通ったかのように。

 ただしそっくりな顔をした3人の後ろに現れたのは天使などではなく、紫色の目が笑っていない青い髪をしたウミヘビ、シアンであった。


「なぁ? タリウムのタッちゃんにカリウムのカッちゃん。ほんで、ナトリウムのナッちゃん」




 ▼△▼


補足

ナトリウム(Na)

別名、ソーダ(曹達)

人体必須元素の内の一つ。所謂、塩。

ただし食塩ではなくミネラル。食塩はこのナトリウムに塩素クロールがくっ付いた物の事を指す。

不足すれば食欲不振、倦怠感や意識障害を引き起こし、逆に過剰摂取すると高血圧症や腎臓病を誘発し、単体に触れれば火傷を起こす、日本だと劇物に指定されている立派な毒。


人は塩分を摂りすぎると高血圧になるのは有名だが、この血圧を下げるのに役立つのが昆布などに沢山含まれる《カリウム(K)》。

カリウムを摂取するとナトリウムを拮抗的作用が働くので、結果として低血圧になるのだ。

つまりこの2つの元素は体内で陣取り合戦をしているとも言う。


外見について

単体としては銀白色の金属として存在する。よってカリウムやタリウムと全く同じ瞳をしている。

黄色い髪の色は炎色反応から。カリウムと鏡合わせなキャラなんで実は左利き。


カリウムと非常に性質が似ていて、同じようにナトリウムも空気中の水分と激しく反応するので、基本は石油またはそれに類する物の中にしまい込まれている。

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