第48話 喪失感

「クロロホルムは先駆けを! モーズはニコチンを連れ、私の後ろに付かず離れず……。モーズ!」

「あっ。あ、あぁ、何だろうか?」


 ぼうっとしていたモーズはユストゥスの呼びかけに直ぐに反応する事が出来ず、慌てて返事をする。


 するとユストゥスはぼんやりとしていたモーズの方を向き、荒い足取りで近付いていくと、

 思い切り拳を振り上げ殴りかかった――!


「……この程度の事にも反応出来ないとは、腑抜けが」


 そして、モーズのフェイスマスクに触れる直前で、寸止めをした。

 その間、モーズは声を上げることも驚くことも反射的に身を引くことも、何も出来なかった。

 思考が、身体が、停止してしまっている。


「もういい、貴様は車で待機をしていろ」

「しっ、しかし!」

「返事は短く! Jaヤーと言え!」


 ユストゥスはモーズに待機指示を出しながら白衣のポケットを漁ると、二つの球体型の自動人形オートマタを取り出した。

 片方はカメラ、片方は投影機。二つでセットの中継機である。そして投影機の方をモーズに渡してくるユストゥス。


「特別に《中継》をしてやる! それを見て作業の手順を頭に叩き込め! そして早急に一人前になれ!!」


 ユストゥスはそのまま球体型カメラ自動人形オートマタの電源を入れ、自分の目線の高さに浮遊をさせ、これから行う処分の光景を撮る為に撮影を始める。


「……こんな奴にフリッツの時間が奪われているとはな。なんと、嘆かわしい」


 ぼそりと、ユストゥスは心底失望した声で、吐き捨てるように呟いた。

 モーズはそれに対しても、何も言い返せない。


「行くぞ、クロロホルム!」

「はいっ! 先生!」


 そうしてユストゥスとクロロホルムは、赤屋根民家の集う村の中央へ行ってしまった。


「おい、折角来たのにいいのかよ。現場を見れるのは有難いんじゃなかったのか?」


 モーズの護衛として車の側に置いていかれたニコチンが問い掛ける。


「……そう、だが。……ユストゥスの言う通り、注意散漫のまま付いていけば迷惑を、かける。ここは、危険地帯なのだから」


 モーズは途切れ途切れにそう答えると、投影機型自動人形オートマタ片手に怠慢な動きで車に向け踵を返す。


「フランチェスコ、私は……。……私が君に出来る事は、一体、何なのだろうな……」


 ステージ3か、せめて4である事を祈るしかないのだろうか。それを前提に治療法の確立に尽力するしかないだろうか。順当に考えれば、モーズと同じステージ3である可能性が高いのだし。

 きちんと通院していれば、の話だが。

 ……もしも、もしもフランチェスコがステージ5感染者として眼前に現れた時、ただ処分されるのを見ているしか出来ないのだろうか。毒に苦しみ喘ぎそして絶命していく様を、ただ黙って見ているしか出来ないのだろうか。

 思考を動かそうとする度、最悪な事ばかりが頭の中に巡る。


 モーズは酷く重い足取りで、車の中へと戻っていった。



 ***


(おーおー。いつになく意気消沈してんな。シミュレーターの記録ログで見た姿とは別人みてぇ)


 車の外でタバコを吹かしながら、ニコチンはモーズの変わりようを振り返っていた。意外だったのだ。何せ、彼はユストゥスの話程度ではブレないと思っていたから。

 違ったようだが。


(このまま待機出来るのは俺としては楽で有難てぇけどな。クロロホルムがよっぽど苦戦する奴でも現れなきゃ、ユストゥスに呼ばれるこたぁねぇだろ。あいつも実力ある方なんだ、大抵の奴は蹴散らせる)


 ふー……

 ニコチンが吐いた白い煙は空へ登って消えてゆく。


(もしモーズがあの調子のままだと、見込み違いだったとしてラボから追い出される初めてのクスシになるかもなァ。ま、俺には関係のない……)


 その時、出発前にアセトに言われた言葉が脳裏に過ぎる。


『ニコがしっかりお世話してあげてねぇ? ……お願い』


 他ならぬアセトの願い。他の全てがどうでもよくとも、彼の願いは無碍には出来ない。

 またアセトの毒素は特殊引火物という使い勝手の悪さから、人工島アバトンの外に滅多に出られない。そんな窮屈な生活の中、楽しみに待っていた土産話で期待外れな思いをさせるのは気が引ける。


「……。…………。チッ」


 ニコチンはタバコを真ん中でべキリとへし折ると、眉間にシワを寄せ苦々しい顔を浮かべたのだった。


 ***



 車の座席に腰をおろしたモーズは、ユストゥスから渡された《中継機》をセットした後、重いため息を吐いていた。

 まだ、心が乱れている。


(少し、自己分析をした方がいいな。私は今、とても動揺していて、とても心細く思っている。フランチェスコが居ない、初めての冬を過ごした時のように)


 好きも嫌いも関係なく、そこに居るのが当たり前だった昔馴染みのフランチェスコ。

 モーズが6歳の頃に出会って以降、孤児院では同室で学校では同じクラスで、時が過ぎてもそれは変わらず同じ屋根の下、同じ学舎の元で鎬を削っていた。

 なお孤児院から出た後でもルームシェアをしていたのは、節約の為である。二人とも懐に余裕がない中、同じ大学、同じ学部に進学したものだから、その方が何かと都合がよかったのだ。

 唯一、別居の話が出たのは6年前。大学で受けた健康診断でフランチェスコが珊瑚症陽性が発覚した時だ。しかしそれから間も無くモーズの陽性も発覚したので、感染者同士が離れても離れなくても特に意味はないと、結局部屋を分ける事は一度もなかった。自分は感染源なのだ、という自覚を強くする為に食事を重ならないようにしたくらいか。

 そんな、気が付けば側にいるのが当たり前になっていた彼が、五年前のある日、何の前触れもなく居なくなってしまって。


 その喪失感は、筆舌に尽くし難いものだった。


(置き手紙一つ残してくれなかった。最低限の荷物だけを持ち雲隠れしてしまった。何故だろう。私には言えない事情があったのだろうか。それとも私では力になれない事だと判断されたのだろうか。……彼から見て、私は頼りのない男だっただろうか)


 今までも何度も繰り返してきた、答えなどわかる筈もない《もしも》で頭を悩ませるモーズ。

 フランチェスコが見付かっていない、話が聞けない状態で考えても無駄な事だとわかっているのに、やめられない。


(駄目だ、駄目だ。私は医者だ。そしてクスシになったんだ。ここで歩みを止めてしまえば、本当に会えなくなってしまう。例えフランチェスコが既に亡骸になっていたとしても、その亡骸を見付けるまで私は、は……)


『生存者はいるか!?』


 その時、中継機のホログラム映像から、ユストゥスのよく通る大きな声が響き渡った。

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