第15話 海渡り
「お、いいデザインじゃないか?」
セレンのアドバイスの元、たっぷり一時間かけて選んだフェイスマスクを付け店を出たモーズを、フリーデンは素直に称賛してくれた。
そのマスクは、白地のシンプルな面の上で一匹のクサリヘビが這っているデザイン。今日一日ヘビに関する話を聞き続けたからか、自然とそれに類するデザインを手に取ってしまったのだ。
「これから着る白衣に合わせてって所か」
「まだ入所が決まっていないから迷ったが、他のデザインではしっくり来ない……と言うよりセレンに駄目だしをされてしまった。だからというべきか、決意表明も兼ね蛇柄にさせて貰った。空振りにならなければいいが」
「ははは、そうか。けどその辺は心配ないぞ。――朗報だ、モーズ」
そこでフリーデンはポケットにしまっていた携帯端末の画面をモーズに見せる。
「合格、おめでとう」
その画面には、モーズの入所試験合格を知らせるメールが映されていた。
◇
ゴオォォー……
「おーおー。ウミヘビを前に無防備に寝ちまってまぁ」
車の助手席で相変わらずタバコを吹かしながら、ニコチンはくつくつと喉を鳴らす。
すっかり日が落ち暗くなった深夜。運転席に座るフリーデンと後部座席の左端に座るモーズは、窓際に寄りかかって眠ってしまっていた。
「お二人ともお疲れでしたからねぇ。人は私たちよりも睡眠が大事ですから、寝てしまうのも無理はないかと」
「お目付け役がこんな体たらくでいいんスかね」
白衣を毛布がわりに身体にかけ気遣うセレンとは反対に、タリウムは解せない顔をしている。
「ここで手ぇ出したら即廃棄処分だぞ、タリウム」
「いや手なんて出す気ないスよ!? 怖いこと言わないで欲しいッス!」
「逃亡するんでも処罰ものだ」
「逃亡って……」
タリウムはチラリと全開にした窓の外に視線を向けた。そこには夜空が広がっている。加えて少し視線を下に向ければ、数百メートル下に大海原が一面に広がっているのが見えた。
地上を走っていた車は今、空を飛ぶ形態に変形し海上を移動しているのだ。
「この高さじゃ流石の俺らでも無傷じゃすまないスよ。いや地上でもそんな馬鹿なことはしないスけど」
「そうか。つまらん」
「スリルを味わいたいのか知らないスけど、俺は巻き込まないでくれません?」
片眉を引き攣らせて困惑するタリウムに、ニコチンは海風に茶髪を靡かせながらカラカラと笑う。
「ジョーダンだ、ジョーダン。それにしても今回の遠征はいつになく人間扱いされて、中々の珍道中だったな。平和主義のフリーデンに理想主義のモーズといった所か。退屈しなかった」
「もうすぐ先生とのドライブが終わってしまうと思うと、少し寂しいですね」
「ところでセレンさん、何で珊瑚なりかけの人間に傾倒しているんスか?」
タリウムからすると、いやウミヘビからするとセレンの言動は理解し難い。
人間とて、いつ自分の手で処分する事になるかもわからない相手と、わざわざ交流しようとは思わないだろう。
「そりゃあ、親しくなっていた方が後々【
その疑問に対するセレンの答えは、至極シンプルなものだった。
「下心ばりばりスね」
「生憎と無償の献身は持ち合わせていないもので。しかし別に私だけじゃないでしょう、お願いを聞いてくれる【先生】を求めるウミヘビって」
「今までセレンさんは【先生】を求めていなかったんで、てっきり博愛主義なのかと」
「私にもこだわりはあるものですっ」
えへんと謎に胸を張るセレン。
「俺は【先生】やら【願い】やらどうでもいいが、クスシ連中がそこの変人と妙な化学反応起こさないかが心配だな」
「ラボに新しい風が吹いていいじゃないですか、先輩っ!」
「その新しい風って、大抵暴風じゃなかったスか?」
◆
夏風がサワサワと大木の枝先を揺らしている。その大木の下で、一人の少年がしゃがみ込んで地面をじっと見詰めていた。
まだ十歳にも満たない幼い少年が。
『そんな所で、何を見ているの?』
その少年を知る、彼と同じくらい幼い少年――モーズが声をかける。
『蛇を観察しているんだ。モーズも見る?』
少年は顔を上げないまま地面を指差した。その先には顎を大きく開けて、ネズミを捕食している真っ最中な蛇がいる。
特徴的な鱗の柄を見たモーズは、その蛇が何の種類なのか気が付いた。
『その蛇は毒蛇だよ、あまり近よらない方がいい』
『そうなの?』
『クサリヘビだ。図鑑にのってた』
『じゃあ、ちょっと距離をとって観察をしよう』
少年はその場からちょっと後退しただけで、見詰めるのはやめない。
『観察をやめる気はないの? こないだは小一時間アリの行列をながめていたし、そんなに楽しい?』
『うん、楽しい』
少年は断言した。
『僕はねモーズ、物事は観察してはじめて存在する、って考えているんだ』
『哲学の話? 見えても見えなくとも、空気のようにあるものはあって、ないものはないと思うんだけど』
『見えないものは見える状態に落とし込んでから観察するんだよ。じゃなきゃ人はレントゲンやサーモグラフィーを発明してない』
『それも、そうかな』
少年は幼いながらも自分なりの持論を持っていて、それに沿って行動していた。多少危なっかしい状況だろうとブレない持論を。
モーズはそれが少し、羨ましかった。
『今でも見えないから存在していない物って、沢山あるんだろうな。モーズなら何が見えるようになると嬉しい? 宇宙の果て? 地球の中心? 深海の底? それとも、未来とか』
『いきなりきかれても回答に困るなぁ。でもそう、だね。《道標》が見えるようになれば頼もしい、かもしれない』
『道標?』
そこで少年は顔をあげて、初めてモーズの方を見た。
『道に迷った時、選択に迷った時、何でもいいけれど、道標があれば無駄な時間をすごさなくてすむから』
『えぇ〜。モーズの答えは面白くないなぁ』
『えっ』
『迷って悩んで戸惑って寄り道しての方が人生面白いし、そうしないと出会えないこともあるものだよ。僕は短距離走より長距離走、それも障害物競争の方が好き〜』
分かれ道を見付けたらあえて茨の道をゆく。そう言い張る少年の主張は、モーズにはなかなか理解し難かった。
『うぅん。わからないな。結果を手早く求めるのがそんなに悪いとは、思わないんだけど』
『悪いとは言ってないよ。好みの問題だ。……でも』
不意に少年は立ち上がる。屈託のない笑みを浮かべて。
『モーズにもいつかわかってくれたら、嬉しいなぁ』
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