■(3)箱船
――粘土板の示した地点は、山の中腹にあった。
木々の合間に岩肌が見えた。不自然に盛り上がっているが、人工物には見えない。その岩のさらに先を、数字は示していた。だからまずは外側から、科学技術で内部の確認をする事に決まった。
すると内部には空洞があり――今度は明らかに人工物であろう長方形の代物があると分かった。その事実のみでも、調査に参加していた人々は喜んだ。シュメール文明に日本の痕跡があったという結果だけでも大ニュースである。そもそもシュメール文明が地球の座標を、ここまで正確に把握していたという事実を公表すれば、それだけでも研究史に大きな一歩を残す事は確実だった。
さて、幸いな事に、これは非公式な調査である。
だからなのか――壁とおぼしき岩肌を破壊する事に異を唱え、新遺跡の存在を日本国政府に連絡しようと提案する者は、誰一人として存在しなかった。
岩を破壊すると、中から洞窟が現れた。
その最深部に、台座あるいは柩のような、四角い巨石があった。その表面は、インカ文明遺跡をはじめ、いくつもの遺跡に見られる隙間無い石の組み合わせで出来ていた。さらに調査を続行する。
当初彼らは、その石の内部に、何らかの遺骨でもあれば大発見だと考えていた。しかし結果として、さらに地下へと続く石段を発見した。すぐに下層へと降りた。
地下一階は、日本の古墳内部のような土壁と、朱雀などの四神の瑞獣を描いた壁画があった。模様のようなものも残されている。そして……さらなる地下へと続く階段が存在した。想像よりも深い。今度は土で出来ていたため、慎重に人々は進んだ。
地下二階になると、それまでとは異なり、正確に測定し建築されたかのような、長方形の石室に出た。明らかに、階段は後から作られた様子だった。
内部はこれまでとは様変わりしていて、一切の継ぎ目がない白亜の大理石で、四方が建設されていた。
――古代人に、巨大な大理石をこのように加工する術があったとは考えづらかった。
この部屋に入った段階で、調査隊の半数の人間が、これは最近建造されたものであるという可能性を念頭に置いた。室内には、目立つものが二つある。一つは小さな噴水のようなもの、もう一つは地面に設置されている、扉らしきものだった。噴水は取り置くことにして、ここまで来たのだから進もうと、扉を開ける事に決まった。
その結果人々は、明らかにコンクリート製である梯子を見つけた。
コンクリートは、根本的に劣化が著しく数百年も保たない。
――よってその後の調査で、その『一見コンクリートであり、成分も類似しているが、腐食しないもの』が、現在一般的に使用されているものではないと理解されるまでの間、近年生成された人工物であるという疑念は晴れなかった。
だから調査隊の三分の二の人々は、この頃になると、シュメール文明で発掘された粘土板は、誰かが持ち込んだ贋作なのではないかという考えを抱き始めた。当初からそう考えていた人間は、己の思考を強化した。それでも彼らは進んだ。
そして次の階下の床に降りた時、彼らの視界が開けた。周囲が一気に明るくなる。暗順応していた目にも、毒になるほどの光ではなく、まさに『部屋の電気がついた』という感覚だった。何人かが天井を見上げる。すると天井一面が、一個の照明器具のように見えた。天井全体から、明かりが放たれている。
それから周囲を見渡すと、梯子が位置しない三方向の壁には、びっしりと模様――正確には記号や数字、何より文字列、図形が刻まれていた。
所狭しと刻まれているそれらが、『文字』である事に、最初に気づいたのは二名の研究者だった。一人は、シュメール文明遺跡の発掘の現場で、日本語ではないかと考えた研究者である。もう一名は、シュメール文明で用いられていた文字を初め、古代の文字に造詣が深い研究者だった。
そこには、古代中国で用いられていたものに大変よく似た文字や、象形文字に非常によく似たもの、なによりシュメール文明界隈の粘土板に刻まれていた文字そっくりのものなどが刻まれていた。他にも様々な形態の、ありとあらゆる文字があった。後に調査した結果、東南亜細亜や各地の原住民の間に残っている文字に類似したものも発見され、それらは時を経てから、この部屋に記された情報の解読に役立てられた。
――この時、二人の研究者が着目したのは、明らかに文字だが……少なくとも未知の文字群と、その下に書かれているシュメールの言葉だった。別の箇所にあるシュメール語によく似たものは、彼らが当時持っていたそのままの語彙で解読できた。しかし未知の文字群の下に刻まれていた部分は、どうやら、シュメールの文字による発音で、他の言語を書き取ったものである様子だった。例えば、ヘボン式ローマ字で日本語を記す要領だ。
すぐに判明したのだが、二人が見ていたのは、シュメールの言葉で、『古代日本語』を書き取ったと考えられる部分だった。
日本の縄文時代頃、世界各地でも文明が発生している。
当時の縄文文化は、文字を保たない文化だったとされている。一部、神代文字と称される当時の言語も伝わっているが、偽物であるとする説が一般的だ。
ここで発見された文字群は、現存する神代文字を名乗るものとは、少し様子が異なっていた事は記しておく。なお、断っておくが、シュメールや古ユダヤの言葉が日本に入り、帝とは、カド族の事であるという説とは、ここでは逆の事が起きていたのは間違いない。日本語が、他の言語にそのまま入り込んだように、記述されていたのだ。そう記す事が、この場合正しい。しかしこれは、遠方から日本に言葉が伝来したことを否定するものでも、日本から各地に言葉が広がった事を証明するものでもない。
一点述べるとすれば、ここに文字を残した人々は、少なくとも近代的な文明のコンクリートよりも、石碑に刻まれた文字の方が後世まで残る可能性が高い事を知っていたらしき点だ。同時に、単一の文字としなかったのは、後の解読可能性の事を考えてであったのかも知れない。なお――全ての文字が同時に刻まれたと推定すれば、世界各地に複数の言語が存在したことは、改めて確認しなければならない。この点を抜き出して考えると、旧約聖書におけるバビロンの塔で、神の怒りをかった後に、言語がバラバラになったという説話は、少なくとも『文字』や『音声言語』に関しての記述では無かったと言う事になるのかもしれない。昔から文字や言語は多種多様だったはずなのだから。
さて、二人の研究者がその場で読み解くことに成功した部分を記す。
勿論、『箱船』の完成当時の日本語と、現在の日本語は、発音の問題や単語の意味一つとっても同一ではなく、後に何度も精査された事も付け加えておく。ただ。新旧問わずに日本語知識がある人間がその場にいた事は、非常に幸いだった。
意味が読み取れないものに関しては、そのままの発音を記す。
意訳も含んでいる。例えば、『知的高等生物』であれば、『物を話し道具を作る神獣』のような書き方がしてあったからだ。
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