――第二章(手稿)――

■(1)序文

 伝承や神話が、真実を(例え僅かであっても)伝えていると考える人々は、有史以来数多く存在してきた。何もそれは敬虔な宗教の徒とは限らない。神が人類を作ったと信じている人々に限らず、古代から『ノアの箱船』は、多くの人々の関心を集めてきた。他には実際に、言い伝えが真実を伝え、『トロイアの木馬』の発掘に至ったこともある。


 今回の主題は、この『箱船』の方である。


 洪水神話を持つ文明は多い。その中で最も有名だとして過言で無いのは、全世界で最も出版数が多い書籍――聖書に記述された、ノアの箱船伝説だ。この場合に指す聖書とは、基督教徒が旧約聖書と呼ぶ一連の教典である。バビロンの囚人達がまとめたとされる、世界創造や人類の起源などが記してある代物だ。


 箱船の探索に乗り出した人々は歴史的に多い。大抵の場合彼らは、旧約聖書の記述通りアララト山を捜索している。


 ――とはいえ、例えば、日本にある等と、都市伝説をしたり顔で述べる者もいた。

 彼らは、日ユ同祖論を信じている場合もある。

 これは、ユダヤの失われた十氏族が、日本の地にたどり着いたとする説だ。


 言うだけなら、無料(ただ)という言葉もある。

 真実が分からない以上、必ずしも否定すれば良いわけでもないし、受け入れれば良いというわけでもない。


 今回発見された箱船が、果たして旧約聖書に残されたノアの手によるものなのか、その他の代物なのかを議論することも、無駄に時間を消費する側面を持つ。決して議論が有益ではないとは思わないが、それは落ち着いて時間がある時に、専門の研究者が行うべきであり、ここでは議論せずとも問題ないだろうと、私は個人的に考えている。


 そこに在るのは、箱船が発見されたという『事実』のみである。


 これまでにも、幾度も箱船発見のニュースは、世界中を騒がせた。

 あるいは、それらのいずれかが、ノアの箱船であった可能性もある。

 だとしても、何の問題もない。

 少なくとも新たに一つの箱船が見つかった、という現実を変えるものでは無いからだ。


 当初『それ』が、箱船であると認識した人間は少なかった。けれど、『彼ら』は紛れもなく最初から、箱船調査のために派遣されていた。そして、無事に目的を達成したのである。これは、その際の記録だ。



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