ep87.「ほんといい迷惑よね」
結局、昼休みの非常ベルは誤報だったと教師が説明した。
そしてその誤報に関わっていたとかで、午後の授業から石橋・玖珠・喜屋武・河合の四人が教室から姿を消していた。
何かトラブルがあったのだろうか――。
放課後になるまで何度もスマホをチェックしたが、安斎からのメッセージは来なかった。
もしかしたら約束を忘れているのかと不安になっていた頃、帰りのホームルームを終えたとき、下校のために立ち上がった安斎が自分を振り返った。たっぷり三秒はこちらを見つめてから、そっと教室を出ていく。
まるで尾行のように距離を置いて、己斐西は彼女についていく。校門を出たところで安斎は待っていた。
その姿に安心して駈け寄り、己斐西はほっと息をつく。
「待ち合わせも何も約束してないから、てっきり忘れられたかと思ったじゃん」
「だって学校の中で話しかけたら嫌でしょう? 唯恋さん、わたしと仲良くしてるところ、あまり人に見られたくなさそうだから」
まるで自虐のようなことを言われて言葉に詰まる。
すぐに反論できないから、また一つ自分を嫌いになった。
「行きましょうか。実は素敵な喫茶店を知ってるんです」
こちらの返事を待たずに歩き出した安斎の隣を、言葉少なについていく。
いつもなら彼女と一緒にいるとき、決して気まずくはない無言があった。安斎小蓮との、独自の空気。己斐西はこれが何より好きだった。
それをどうして、台無しにしてしまったのだろう。
「二駅隣まで行きます」
最寄り駅で安斎はそう言い、切符を買った。あまり行ったことのない場所だ。己斐西はチャージ式のICカードを準備する。
改札を通ってホームまで行くと、意外にも人が多かった。
「あまり混むような時間じゃないんですけど……」
そう呟いて眉をひそめる安斎の隣で、学生や社会人の噂する声が聞こえて来た。
「人身事故で遅れてるんだって」
「ほんといい迷惑よね」
「死にたいならよそでやれよ……」
「間に合うかな」
人身事故――。
人が死んだと言うのに、誰もが無関心だ。
この前の出来事もこれと同じか、と己斐西は思った。真柴が死んでも、死んだ後に殺人容疑をかけられていても、誰もが無関心なのだろうか。
隣の安斎は何食わぬ顔でレールを見つめている。
きっとこの子がこれから眼前のレールに飛び込んだとしても、きっと周りの人たちの反応は大して変わらないだろう……。
「あ、来ました」
目的の電車が来たのを見て、安斎が一歩を踏み出す。
すとん、とその体が線路に落ちる様が頭に浮かんで、思わずその手を握ってしまった。
掴まれた手を見てきょとんとして、
「ああ、混んでますものね」
そう言う安斎は、本当に空気が読めない。
辿り着いたのは、己斐西がほとんど来たことがない町だった。同じ市内だというのに、まるで旅行者の気分だ。
ビジネス街らしく、雑居ビルが多い。チェーンではない店舗もたくさん並んでいる。
一番近くに合った高層ビルをつい見上げていると、くす、と含み笑いで安斎が言った。
「高いですよね。落ちたら即死だと思います」
まだ繋いだままの手を目の前に持ち上げられた。
前言撤回だ。こいつは空気が読めていないのではなく、読まないフリをしていただけなのかもしれない。
「あんたほんと……良い性格してるよね……」
「唯恋さんは見た目に反して心配性ですよね。あと臆病」
笑って手を離される。
愉快そうに歩く安斎についていくと、閑静な街並みに出た。居酒屋に雑貨屋に郵便局、天然石を取り扱うアクセサリーショップ……背の低い店が立ち並ぶ。
進む途中で、橋を渡った。遥か下には川が流れている。橋を渡り切ったところで、下の川岸に献花があるのを見つけた。
誰かがここから飛び降りたのか。
「着きましたよ」
まさかこの現場を見せに来たのかと一瞬思って、馬鹿な考えを改めた。
安斎の指さす先に、小さな喫茶店。おとぎ話に出てくるような、可愛らしい外装だった。
「なんともキュートなお店……けどこーいうとこって、良いお値段するんじゃねーの?」
「そりゃチェーン店にはない趣と静かさがありますからね。少なくともクラスメイトなんて一人も来ません。それに唯恋さん、お金には困ってないでしょ?」
「まあ確かにね……って、たかる気か!」
つい、いつものノリで突っ込みを入れる。笑う安斎を見て、己斐西は一緒に笑った。まるで昔に戻ったみたいだった。
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