ep69.「来てくれると思ってたぜ」
ポケットの中のスタンガンと、ベルトの内側に通してあるピアノ線を何度も指で触れて確認した。
それらをすぐに取り出すためのシミュレーションを頭の中で繰り返しながら廊下を歩き、石橋は教室の前に立った。
南校舎の三階の端にある、使われていない空き教室。
周辺には美術室や部活のミーティングに使う会議室しかないため、昼休みのこの廊下は人通りがない。
石橋のこれまでの観察が正しければ、河合は体育の授業の前にここで一人で着替えをする。
奴は人との距離を詰めることは得意だが、決して四六時中誰かと群れることは好まない。彼が河合ではなく阿多丘だった時からずっとそうだった。
石橋は意を決して扉を開け、中に片足ずつ踏み入れる。教室内を見渡すが、河合の姿はなかった。
奴がまだ来ていないというなら、教卓の下にでも隠れて待ち伏せるか――。
「ぐ――ッ!?」
その瞬間、いきなり後ろから首根っこを引っ張られ、次に髪をむしり取る勢いで掴まれて、後ろ頭を教卓に叩きつけられた。
なるほど、待ち伏せされていたのはこちらのようだ。
「こんにちは、石橋磐眞くん。来てくれると思ってたぜ」
恍惚としたにやけ顔の河合が、のしかかるようにして石橋の顔を覗き込んでいた。
後頭部の痛みと、中学時代に何度も見たその表情に肌が粟立つ。しかし気圧されるわけにはいかない。怯えを抑え込み、何のために武装してきたのかと自分を奮い立たせる。
そう、自分は今、武装しているのだ。ありったけの武器を携えて、この男を打ち倒すビジョンを描き、来た。
だからまずここでやることと言えば――。
「ヒッ……いや、いやだ……何でなんだよ、どうしてここまで着いてくるんだよっ、僕が何をしたっていうんだ……!」
ひたすらに怯えて、声を震わせ、鼻水を垂らして懇願することだ。
情けなく怯えて見せ、河合の油断を誘う。
こいつはただ弱いだけじゃない、抵抗する石橋を可愛いと言っていた。
だから石橋がここで取るべき行動は、抵抗も逃げもせず、ひたすらこびへつらいながら命乞いをすることなのだ。
石橋が彼の理想の玩具になり得ないと認めさせ、興を削がなければならない。
「何が望みなんだよ、頼む何でも言うこと聞く。だからもう僕のことは放っておいてくれ……! もう殴らないで、痛いのは嫌なんだ……!」
涙を浮かべ、唾を飛ばしながら呂律の回らない口調で石橋は叫んだ。両腕で顔の前をかばうようにして、悲痛な視線を腕の隙間から河合に投げかける。
河合はしばらく真顔で石橋を見つめた後、はあ、とため息を吐いた。そこに確かな落胆の色を感じ取って、内心ほっとする。
彼の言うところの“可愛い”イメージを、無事にぶち壊せただろうか。
「なあ、磐眞。俺、二年前にお前に言ったよな。お前は逃げ腰で臆病で、それでも姑息だから弱いくせに這いまわって俺から逃げようとするところがたまんなく可愛いって。抗おうとするお前の弱さを俺は何より可愛がってるって……」
そこまで語った後、何故か歯を見せて嬉しそうに笑った河合は、石橋の右瞼を人差し指と親指でぎゅっと抑えて無理やりに見開かせて言い放つ。
「やーめろやめろやめろやめろよそんな下手な芝居。わかるんだぜお前をずうっと見てきた俺にはよ。お前はそんな風にプライドをなげうったりしないし、つきたくない嘘をついてるときには右のまぶたが痙攣して、ほら! こぉんな風に情けなァく下まぶたが震えるんだぜ……ッ!」
ああ――石橋は実感する。無駄だと悟って失望した。
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