ep.63 ■前置き

■前置き


 観察者:阿多丘 皇帝。F市南中学二年五組

 観察対象:弱井 磐眞。同上



 これから弱井磐眞の観察を記録していこうと思う。

 別に論文にして発表するわけじゃないし、誰に公開するつもりもないから、これは単なる俺の趣味だ。だから砕けた感じで書いていく。備忘録とでも思って。


 まずこうなった経緯を書こうと思う。単純な理由だ。これは俺の人生を満たす娯楽以外のなにものでもない。

 俺の両親は銀行員と広告代理店のプロデューサー。共働きで俺を一人にすることが多かったからか、経済力に余裕があったからか、物心ついたときにはすでにほしいものは何でも手に入る環境にあった。

 ビデオゲーム、プラモデル、パソコン、ドローン……どれも何かの目標を設定してそれを満たすという一連のプロセスによって、俺の心に達成感ややりがいを与えてくれた。

 しかしそれら商業流通している商品では、限界を感じるようになった。どれも消費者の一時的な満足を促すために開発されたものであって、俺の人生に寄り添ってくれるわけじゃない。


 ただのモノではだめだ。命や魂の込められたものでないと、ひとり相撲のようで寂しくなってしまうじゃないか。


 温度を持った葛闘や怯え、慢心、過ち……これらを初めて感じられたのが生身の人だった。まさに灯台下暗しってやつだ。人と会わない日なんて一日もなかったっていうのに。

 小学三年生のとき、掃除で同じ班になった女子を泣かせた。気が強く成績の良いその女子は、いわゆる委員長タイプと言うやつで、クラスの鼻つまみ者だった。だから俺はこう言った。


「お前、みんなに嫌われてるぜ真面目ちゃん。もちろん俺も嫌い」


 そいつが俺のことを好きだなんだと登校中に話していたのを知っていて、俺はそう言った。

 そいつが泣くかなという軽い好奇心は無事に満たせた。泣き出したそいつを口先だけで慰める女子も、陰でそいつを笑っていた。男子は爆笑していた。俺は目的を果たせて嬉しかった。


 人は良い。泣き出す瞬間の表情、声の震え方、悲しみとないまぜになった末に漏れ出た怒りまじりの罵声。事が終わった後から続く、恨みがましいかもしくは怯え切った俺に向けられる視線……。


 俺の行動が生み出した成果が、確かに俺の人生に刻まれている。俺だけではなくそいつの人生にも。

 これが、やりがいを感じずにいられるだろうか。


 ――話がそれた。

 とにかく俺は人を思った方向に動かせたときに達成感を覚える。だけどただつついて泣くだけのやつじゃだめだ。そんなのは消耗品の一粒限りの夢だ。こういうやつほど立ち直りも早いから、何だか忘れられているようで寂しくなってしまうじゃないか。


 もっと逃げ回るやつがいい。臆病に隠れながら、姑息に出し抜こうとあがいてくれる、可愛げのある奴が。それでこそ人としての温もり。歯ごたえってやつだ。



 中学生になって二年目で、俺は弱井磐眞に出会った。読書家で図書委員のそいつは、隣のクラスの同じく図書委員の奴と仲が良かった。そいつらの共通の友人だと言う、俺のクラスのオタクっぽい奴とよく三人でつるんでいた。


「弱井君それ何読んでんの? 面白い?」


 オタク向けのライトノベルを馬鹿にして、大声で晒し物にしてやろうとして声をかけたら、弱井は少し驚いたように目を丸くして、まるで予想外に被弾したとても言わんばかりに目をそらして言った。


「……山月記。ほら、この前国語でやったろ。ちょっと続きが知りたくてさ……」


 弱井はご丁寧に書店のブックカバーを外して、有名古典文学の表紙を俺に見せつけた。

 その場で本を取り上げて中身が本星のライトノベルだと暴いてやっても良かったが、もうすぐ教師が来る時間だし、何より俺は感動していたのでその場で何もできなかった。

 俺は確かに弱井に逃げられたのを感じた。そして警戒されたのを。これが俺の求めていたことだ。


 弱井と俺の通学路は、三丁目のスーパーの角を曲がったところで合流する。あいつの馬鹿みたいに早い登校時間を知っていたから、俺は翌日そこで弱井を見つけていじってやろうと思った。

 だがあいつは来なかった。いつもよりさらにもっと早く、校門がやっと開錠する時間に登校したらしい。

 弱井はその日からことごとく俺を避け始めた。席替えのくじ引きでは俺より遠い席の奴に取引を持ち掛けてくじ番号を交換し、ランダムで俺と同じ班になった体育の授業は見学し続けた。


自分へのリスクに敏感な、逃げ腰で臆病で姑息な男だった。まさに俺の理想ぴったりだ。こいつの健気な頑張りを、俺も頑張って上回ってやろうと強く思った。


 一学期は何もしなかった。俺の弱井への興味が失せたのだと思わせて油断させたかったし、しばらく時間をかけてあいつの癖や性格、パターンを覚えたかったのもある。


 だから二学期に入ってすぐに俺は愛情を始めた。

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