外遊⑧
そして数日──。
賢者セイジ・スカーレットが言うダンジョンに到着した。
封印されているのに禍々しいま力が渦巻く死のダンジョン。
その気配だけでも恐怖感で胸が埋め尽くされるほどだった。
「このようなダンジョンがこんなところにあるとは──」
上級ダンジョン。死せる騎士たちの迷宮。別名、ナイツ・オブ・ラビリンス。
高レベルのアンデッドモンスターが主体で武芸一本のアマリリス領兵では攻略が難しい。
「ここは不死者の迷宮。今は封印されているが、迷宮内には多くの魔物が封印が解かれるのを待っている」
「
領主は辟易した気持ちで溜めた息を吐き出す。
このアマリリス領に存在するダンジョンの多くがアンデッドの棲み家。
中級以下のいくつかの迷宮はアマリリス領兵の訓練の場として用いられる。しかし、魔法が不得手なアマリリス領兵では継戦力に劣り長くは戦えない。
ダンジョンに潜る時間が限られることから、訓練以外では多種多様の冒険者たちが挑み、迷宮のアンデッドを狩る。
彼らが挑むことで迷宮の不死者が討伐されてスタンピードに至ることがなかった。
だが、このナイツ・オブ・ラビリンスは明らかに違う。
並の力量では太刀打ちはできない瘴気を漂わせている。
アマリリス領兵や冒険者ではこの強烈な瘴気に耐えることができないだろう。
本流から外れたとは言え、アマリリス家の当主である彼はベローナ・リコリスの血を引く剣士。
迷宮から漏れ出る瘴気の強烈さを感覚で図ることができた。
(このダンジョンは我らでは太刀打ちできない……)
一瞬で理解する。
セイジは領主の心の動きを察した。
この迷宮は長年、封印されて、その効力は弱まっている。
瘴気の強さがそれを物語っていた。
「聖女の封印は年々弱まっている。こうして時々、ワシが魔力を注いでいるが、ワシもそう長くない」
セイジはそう言って視線を落としてから言葉を続ける。
「聖女はピオニア王国──ラクティフローラ領から現れる。ピオニア王国の助けを借りて、この封印を維持してもらいたい。そうしなければ、この封印が解け、アマリリスはスタンピードに襲われるだろう」
スタンピード──魔物の群れが運ぶ厄災。
それもただの魔物ではない。
アンデッドによる厄災である。
余程の手練でもなければ瘴気に触れただけでも命を落とす。
そんな不死者に襲われればアマリリスは存亡の危機を迎えるのは間違いない。
領主は悩む。
アマリリス自治領に従う近隣の貴族たちの領地に迫る勢いで領土を広げつつあるピオニア王国。
そのピオニア王国は魔法国家で優れた治癒師や魔道士を多く抱えることで有名だった。
ピオニア王国と自由に往来できる協定を結ぶか、それとも、ピオニア王国に下るか。
そういった選択を強いられることになる。多くの寄り子を抱えるアマリリス家だけにその場での決定はできない。
領主自身が、強烈な瘴気を放つダンジョンを目の前にしているとは言え、安易な決断はできずにいた。
「余の一存だけでは決められぬ」
「考える時間はあるが、ワシが死ぬまで幾許とない……そうじゃの──決まった頃合いを見計らって再び尋ねることにしよう。幸い、ワシに残された魔力でもいくらかは封印の効力を伸ばすことはできよう。それまでにしかと考えておいてくれ」
セイジはそう言って、なにもないところに境界を創り出し、扉を跨いだ。
境界は直ぐに消えて賢者もいなくなった。
「不思議な魔法を使う御仁だ……」
領主が独り言ちると、側近の一人が「全くです」と続く。
賢者はそれ以降、アマリリス領に現れることはなかった。
アマリリス領は定期的に、ナイツ・オブ・ラビリンスを調査を派遣したが、瘴気を量ることができる人材がおらず状況の把握に難航。
その後、ピオニア王国の助けを借りて迷宮の封印の調査を行っている。
その頃にはアーロン・ピオニアとの交渉で辺境伯の叙爵と引き換えにピオニア王国に属することを決めた。
自治領としての体を保ち、ほぼ独自の領地運営ができる。
武芸に秀でたアマリリス領からラクティフローラで活躍の場を求める非嫡出子たちが増え、ラクティフローラからやってくる魔道士たち。
アマリリス領内の多くの迷宮に挑む冒険者が更に増え、次第に攻略が終わり、迷宮が閉じる。
属領となったアマリリスは数十年の時をかけて大半の迷宮が攻略されて魔物が消失。
こうして、ナイツ・オブ・ラビリンスの近隣のダンジョンが失われ、瘴気の供給源が減ったことで封印を解除しようとする働きが弱まっている。
そのおかげで徐々に安定し、アマリリス家の寄り子共々、繁栄を迎えた。
ピオニア王国の属領ながら、王都ラクティフローラから遠いこともあり、平和とともに疎遠になっていったが、攻略しきれていない中級ダンジョンなどは冒険者たちの恰好の狩場として発展している。
そうした話を聞いている内に、ヴァラン・アマリリスが部屋の前で立ち止まった。
「こちらは迎賓室となっております。一旦、ここでお休み頂き、晩餐の間での準備が整いましたらご案内させていただきます」
ヴァランが言い終えると女性の従者が扉を開くとヴァランが先に部屋に入り「どうぞ」と入室を促す。
迎賓室は広く高価な調度品や絵画が飾られていた。
これまで立ち寄った貴族たちとこれは同様。家格の低いリコリスだけがこれとは違うものだったが、ヌリア母様も俺もリコリスで触れたシンプルなものが好みだった。
豪華なものはもう見飽きている部分があるけれど「素晴らしいわね──」とヌリア母様は迎賓室の調度品などを見て讃える。
ヴァランはヌリア母様の称賛に「お褒めに与り光栄にございます」と返す。
俺をエスコートする薄桃色のドレスに身を包むベローネはもっと覚束ない様子でいるのかと思いきや、意外にもシャンとしていて──表情の硬さはあったが──とても見栄えが良い。
「案内ありがとう。今日のベローネは学園で見るベローネと雰囲気が違うね」
椅子まで付き添ってもらって腰を下し俺の隣に立つベローネに言った。
「ふふふ。ドレスなんて着慣れないから不安だったの」
ベローネの辿々しい言葉遣い。聞き慣れない彼女の言葉遣いが何だかおかしくて口元が緩む。
でも──
「薄桃色のドレス。ベローネの真っ赤な髪によく合っているよ。見違えた」
と、褒めてみる。
俺と同じ十二歳とは思えない彼女の胸が相俟って非常に女性らしい。
俺(朔哉)の記憶では貧乳のベローネだが[呪われた永遠のエレジー]の彼女の立ち絵では軽鎧にショートパンツスタイルで尻と太股がむっちりとしていた。
実は巨乳だったベローネ。
あと数年もすれば素晴らしいスタイルに成長することだろう。
「お褒めに与り光栄です。サクヤ殿下も普段見るお姿よりもずっとご立派で大変好ましく思います」
ベローネは笑顔で返してくれた。
化粧をしているけれど、やはり十二歳。幼さは隠せていない。
こうして俺がベローネと会話をしている間、ヌリア母様はヴァランと彼の妻のレナエルと歓談を交えていた。
「それにしても、こうしてサクヤ殿下にお目にかかるのは初めてですが、私が見た中で最も聡明なお方に見える。ベローネが懐くのも理解できます」
「ええ。私の自慢の息子──と言うと少し語弊がございますが、本当に自慢の子なの」
「ベローネがこちらに戻ってくるとサクヤ殿下のことを話してくれるんです。とても優しいお方で、初等部の武芸の授業ではご一緒させていると……王国騎士団は皆、サクヤ殿下に敬意を払っていると伺っております。我が領兵の中には王都の騎士団で訓練を受けたものもおります故、サクヤ殿下には是非とも我が領兵とも交流を図ってもらいたいものです」
ヌリア母様とベローネの実父、ヴァランの会話が俺の耳にも届く。
アマリリス領兵との交流は予定に組み込まれていたはずだけど改めて釘を刺されたのか、それとも、どう交流をするのか考えておけということなのか。
「でしたら、私とサクヤ殿下の手合わせでも披露させていただこうかな……」
ベローネが言葉を発する。
「それは良い考えだ。ベローネはここ最近、強さを増して領兵では相手にならない。そんなベローネが王都の学園でサクヤ殿下とどのように過ごしているのかを報せる良い機会になろう」
「それは私も気になるわ。騎士から伺っていたけれど、一度見てみたかったのよ。イリスはふたりをいつも見てるのよね?」
ヴァランとヌリア母様が反応を示し──
「はい。僭越ながら、おふたりとも我が第一旅団の騎士では敵わず、私が直接指導をさせていただいておりまして、剣士として将来が嘱望されるほどの実力を有しております」
と、イリスはヌリア母様の言葉に答えた。
「そんな、大げさですよ。私はベローネにはいつも負けっぱなしですし……」
「そんなことはございません。最近では私のほうが負けていて、サクヤ殿下の上達に驚かされるばかりですから……」
正直、いつか王位継承権を放棄するつもりでいるから、あまり大きくしたくない。
けど、ベローネの追撃はそれを許さなかった。
「アマリリス領兵にもサクヤ殿下のことを知っていただいてお兄様にも見せて差し上げなきゃ」
ベローネには二人の異母兄がいる。
一人は嫡男のバルバナーシュ・アマリリス。もうひとりはピオニア王立フロスガーデン学園高等部に通うビアッジ・アマリリス。
バルバナーシュは王国騎士団に勤めていたが現在は退役してアマリリス領に戻っている。ビアッジは帰省していて領兵と訓練を行っているらしい。
今はこの場に居ないが後で顔を合わせる予定だ。
俺(朔哉)の記憶には存在しないベローネの二人の兄。
気になるものの、深入りは避けようと俺は思っていた。
リコリスに滞在できた時点で俺の目的は果たせたし、それに、こうしてドレス姿のベローネを見ることができた。
彼女の姿を俺(朔哉)の記憶の姿で上書きすると大変好ましい美貌を持つ女性に育つのは間違いない。
ゲームとは違って彼女にはたわわに実る豊穣の象徴が俺(サクヤ)の心を踊らせた。
俺の視線に気がついたのか、ベローネは頬を赤くして胸元に手を添える。
(いくらなんでも見過ぎだよ……こういうの慣れてないのに……)
小さな声でベローネが独り言ちていたのは俺の耳にしっかりと届いていた。
俺(朔哉)の記憶から良心の呵責に苛まれるも、それでも、俺(サクヤ)はベローネの胸元から目が離せない。
何とか理性を保ち、大人の記憶持つ威厳を以て視線を反らした。
「普段見ている姿と違うから見惚れてしまうね。すまない……」
「いえ。良いんです。私もこういうのが慣れていないので、どうも恥ずかしくて……」
そう言って顔を伏せるベローネがとてもいじらしく見えて、心が打たれる。
ゲーム中のサクヤはどうだったのか。
前世の記憶を掘り起こしてサクヤの振る舞いを思い返す。
しかし、彼にはこのように女性に対して性的に見たり、発言したことはない。
では、何故……。
ともあれ、これでは行けない気を引き締めて俺は王子でなければならないのだ。
「いつものベローネみたいに、自信を持つと良い。俺もベローネもまだ十二歳。今日はこういう場だからお互いに正装だけどいつもどおりにしてくれて良いよ」
笑顔を向けて見せるとベローネが顔を上げて俺を見てくれた。
「そうよね。こういう場だから貴族として振る舞わなければならないけれど、サクヤ殿下が普段のとおりに接してくださるのなら、私も気が楽です」
「ん。そうしてくれ」
ベローネの笑顔が途端に眩しい。
まるで真紅に燃える太陽のように。
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