サクヤ・ピオニア④
コンコンと扉を叩く音。
「ブラン・ジャスマインです。サクヤ殿下を訪ねてまいりました」
清らかな声が部屋に染み渡る。
そのお師匠様の声に俺の侍女、マイラ・ダンデリオンが応じた。
「はい。今、開けますね」
マイラが扉を開けるとお師匠様が入ってきた。
ベッドの上でネレアに口を塞がれている俺。
お師匠様は俺に一瞥して口の端を吊り上げると顔の向きを変え、俺の隣に座る淑女──ヌリア・ピオニアに挨拶をした。
「あ、ヌリア様。ご機嫌麗しゅうございます」
「ええ、ブラン様は本日もお変わりない様子で嬉しく思います」
お師匠様とヌリア母様が挨拶を交わしたところで、ネレアが俺から離れて器用にベッドから下りる。
解放されて安心した俺。
俺から離れたネレアはお師匠様の前にピョコンと立って挨拶をする。
「にゃあ……」
ネレアはわけのわからない言葉を発して、お師匠様のマネをして胸に手を当てて頭を下げた。
異母妹が懐く数少ない人間の一人がお師匠様だったりする。
背のちっちゃいネレアがぴょこぴょこと動き回って挨拶するとか本当に可愛い。
「ネレア殿下もご機嫌麗しゅう」
お師匠様はネレアに挨拶を返した。
「ブラン様。ガスパル様の謁見はもう終えたのかしら?」
「ええ。ガスパル様は一旦控室に戻られてます」
「そう。なら、私、戻らないといけないわね」
ヌリア母様は王妃として父上とガスパル・ファルカータの歓待をするのだろう。
「サクヤ、マイラ。ネレアをお願いね」
そう言い残して俺の部屋からヌリア母様は出ていった。
なるほど、ヌリア母様はネレアを預けるためにここで待っていたのか。
俺が居ない間なんかも、この部屋でマイラと過ごしているようで、俺がお師匠様と部屋に戻るとネレアがいつも待ってるしね。
それはそうと、ガスパルがその後どうしていたのか気になってお師匠様に聞いてみることにした。
「お師匠様。ボク、驚きました。まさか、隣国の王子様が鑑定に来るなんて思ってもなかったです」
「ガスパル殿下のレベルは53。わたくしがサクヤ殿下のレベルを72と報告したから高レベルの鑑定士が他にいなかったんじゃないかな?」
お師匠様は先程までヌリア母様が座っていた場所に座り、ネレアを膝の上に座らせる。
こんな状態で、ネレアの目の奥が時折キラキラと煌めくのは鑑定か。
お師匠様の手を見て何度も鑑定スキルを使っているみたいだ。
「そうだったんですね。ボクのせいでこんなことに」
「そうかな。そんなに悪いことじゃなかったと思うね。サクヤ殿下が出た後も誰彼構わず鑑定で見て回ってたみたいだし」
「鑑定ってバレないようにできるものなんです? 鑑定するときって目がキラってしてわかっちゃいますよね?」
「それは、魔力の感応に長けたサクヤ殿下が感知してるだけだね。スキルは微量だけど魔力を使うからさ」
お師匠様がスキルも魔力を使うと曰った。
本当かよ。ゲームではスキルは
とはいえ、ゲームでは人を鑑定することがなかった。ドロップアイテムを鑑定するためのスキルだったのがここでは人や魔物にも使えるものとして認識されている。
でも、よくよく考えてみたら魔物の強さやパーティーメンバーのステータスやスキルってどうやって見るんだろうってなるもんな。
それが鑑定に依るものだとしたら多少は納得。
ただ、スキルを使用するのに微量な魔力を使うというのがまだわからない。
言われてみたらそうなのかと理解するけど、魔力を使うのなら俺に使えたって良いんじゃないかって思うんだよね。
しかし、目の前で起きているネレアの目の煌めく理由がスキルを使ったことで微量な魔力を動かしているということなら、ネレアの鑑定スキルに気が付いたということを認識せざるを得ない。
そんなことならネレアが鑑定スキルで人や物を見まくっているのは誰も知らないのか──。
気になってお師匠様に質問。
「え、じゃあ、ネレアが鑑定を使ってるのも誰も知らないってことです?」
「くっくっく。やっぱり、サクヤ殿下はネレア殿下が鑑定を使うことに気が付いてたんだね」
「──はい」
「ネレア殿下も、サクヤ殿下同様に有望な子だよ。成長が楽しみね」
お師匠様から頂いたお答えで、ネレアが鑑定を日頃から使っていることが確定した。
ネレアが人を選ぶのは鑑定のせい。
隣でお師匠様はネレアの頭をよしよしと撫でてる。
尊い。
願わくば、子どもの俺じゃなくて大人になった俺の隣でそうしていてもらいたいものだ。
そんなわけで、これで、六歳の俺の──サクヤ・ピオニアの冒険はここで一区切りのはず。
いつか見た夢みたいに、俺が一人ぼっちになることはもうなくなったんじゃないか。
お師匠様は俺の教育係として今後も働いてくれることが決まり、日々、勉学と武芸や魔法の修練に励む。
何故か王子としての教育が以前にも増して厳しくなったのはスタンリーが王位につくことを嫌ったせいだろう。
このままでは俺が王太子になってしまう。
まだ、俺がヒロインの逆ハーレム入りするフラグが折れていない。
次の転換期と言えるのはエウフェミア・デルフィニーとの婚約。
俺はエウフェミアとは結ばれない運命にあると思うし、彼女の家の没落も避けるべきだ。
デルフィニー公爵家が没落しなければエウフェミアが闇に落ちなくて済むし悪役になることもないだろう。
ただし、ただ、没落を避けるのではない。
俺とエウフェミアが婚約に至るのは仕方ないにしろ、王になるつもりがない俺だから円満に婚約を解消したい。
やることはいっぱいだね。でも、俺は六歳の男児。できることは極めて少ない。
考えることが一段落して隣に目を向ける。
ネレアを膝に載せるお師匠様。
俺の隣で愛おしそうにネレアの頭を撫でている。
「ん? サクヤ殿下。どうしたんだい?」
俺がお師匠様をじーっと見ていたことがバレてしまったようだ。
こうして正面にすると本当に綺麗だ。
乙女ゲームに出てくるラスボスのお師匠様。
眼力が強くキツい印象なのかもしれないけれど悪役らしい色香を漂わせる麗女だ。
「ボク、大きくなったらお師匠様と結婚する」
思わず口に出てしまう言葉は俺が六歳であるが故。
「くっくっく。サクヤ殿下よ。聡明とは言えやっぱり男の子だね。わたくしが千年を生きるおばあちゃんだって知ってるのに」
「でも、ボク、お師匠様と結婚したいんです」
「サクヤ殿下の気持ちは嬉しいけど、あと二十年経って気持ちが変わらなかったらもう一度聞いてあげるから、そのときに伝えてもらえるかな?」
そうやってあしらわれた。
お師匠様の頬がほんのりと桃色を浮かべていたことを俺は見逃さない。
真っ白な素肌に薄っすらとした桃色の頬。目を凝らさなければ紅潮してるなんてわからないほど。
千年を生きる女性でも感情があるのは間違いがなく。頬を赤くする程度に俺の言葉は届いているはず。
こうして見るとちょっとだけ背が高いけど可愛らしい少女にも思えてしまうんだから女性っていうのは神秘的。
それにしても二十年は長いな。
そこまで待たなくても良いよね?
[呪われた永遠のエレジー]の舞台となるピオニア王立フロスガーデン学園高等部に入学するまであと九年。
その頃には俺はもうお師匠様より背が高くなってるはずだから。
◇◇◇
物心がついて、一番最初の記憶。
アンヌは鮮明に覚えている。
まだ四歳を迎えたばかりのある日の夜。
一人で寝床で寝ていたら人の気配で目が覚めた。
するとアンヌの傍らで片膝をついて屈んで、顔を覗き込んでくる真っ白で綺麗な女性。
透き通る美しい声色でアンヌに語りかけた。
「寝てるところ、ごめんなさいね」
「だれ?」
「わたくしはブラン。白の魔女とも呼ばれてるわね」
「どうしてここにいるの?」
「それはあなたが聖女だから……。だから、少しだけ、あなたにお祈りさせていただくね」
ブランと名乗った女性はアンヌの小さな胸に右手を伸ばす。
「ひぃ……ッ!」
悲鳴をあげようとしたのに声が出ない。
逃げようとしたのに身体に力が入らない。
何とかして動こうと身動ぎしようにも金縛り状態で身体が動かない。
ブランがアンヌの胸に置いた手に魔力を込めると、アンヌの心臓がドクンと跳ねた。
「んん──ッ」
思わず呻くアンヌ。
ブランは手を引いて再びアンヌの顔を覗き込む。
「わたくしたち聖女は二十三歳の誕生日までしか生きられないの。そうしないと世界が滅んじゃうから……。だからそれまで、精一杯に生きなさい」
ブランはアンヌにそう伝えてから立ち上がると何も無いところに出現させた黒い影に消えていった。
アンヌにとってそれはまるで夢のような現実。良い夢ではなく悪夢として。
周囲にはアンヌと同じくらいの子どもたちが寝ているというのに誰一人としてブランに気がつくものは居なかった。
アンヌはニンフェア男爵家の庶子として生まれた。
母親はニンフェア男爵家の当主のウルクの奴隷。
奴隷の女が子を孕むと厩に閉じ込められて産後まで過ごし、子に乳を与えながら再びウルクの奉公に勤める。
そんなだから、年齢の近い庶子に囲まれ、そのときに飲める乳房にしゃぶりついて、乳離れしたら残飯を与えられて育った。
とても良い環境とは言えない中でアンヌは幼児期を過ごしている。
ニンフェア男爵領は小さな農村で、村を囲う柵は粗末なもの。
村の出入りは緩く、アンヌは日中、よく外に出て遊んでいた。
草を摘み手で持つと、それがどんなものかがわかる。
鑑定の一種で持ち物の名称と効果を感覚的に知ることが出来た。
怪我や毒を直す薬草だったらインベントリに仕舞って保管。すると、劣化することなくいくらでも所持できる。
白の魔女の夢を見た日からアンヌはもう一つ使えるスキルを理解した。
ファストトラベルである。
村を出たらひと目のないところでファストトラベルを使って薬草の群生地に移動して、帰りは村の近くにファストトラベルで戻る。
そして、聖女らしく、アンヌには魔法が使えた。
アンヌは回復魔法、支援魔法などに向いていて特に夜に光を灯す魔法は狭い部屋でひしめく同輩の子どもたちに重宝された。
そうして長閑に過ごして八歳を迎えたある日。
アンヌは実父のウルクに呼び出される。
「アンヌ。ちょっと来い。話がある」
アンヌにとってはじめて入る男爵家の屋敷。
それほど大きくはないものの、村で一番の建築物だった。
その一室でウルクはアンヌを確認する。
「アンヌは魔法を使えると聞いたが見せてもらえないか?」
ウルクは厩の子たちから話を聞いて、アンヌが魔法を使いマジックバッグのようなものを持っていることを知った。
ウルクの言葉にアンヌは恐る恐る魔法を使う。
魔法を発現させるために言葉を紡いで詠唱する。
十秒ほどの詠唱で魔法が成立。
アンヌの手のひらの上に光の塊が発生した。
「──これは神聖魔法か」
「神聖魔法──?」
「んむ。光を齎すのは神聖魔法の一つとされている。まさか我が家にこのような娘が生まれるとは」
ウルクは歓喜した。
これが本当に神聖魔法ならアンヌは聖女かもしれない。
「今日からこの屋敷に部屋を用意する。教育もつけるから心して取り組むように」
ウルクはそう言い渡してアンヌを庶子ながら家名を与えて手厚く保護することにした。
この日からアンヌはアンヌ・ニンフェアとして生きることになる。
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