サクヤ・ピオニア③
お師匠様と二泊三日の短い旅から一週間。
今日も俺は王城から遠く離れた白の魔女──ブラン・ジャスマインという名を持つお師匠様の家で魔法の研鑽に励んでいた。
「たった一週間で魔法を三つ、輻輳させる──か……」
地下室で本に囲まれた俺を見て誰からの返答を求めない言葉を垂れ流す。麗しい声で。
人差し指に火、中指に土、薬指に風──と、ここまでは良かったけど、小指に水属性の魔法を発現しかけたところで、練り上げた魔力が乱れて魔素が霧散。
ぷつんと魔力の糸が切れたかのように輻輳して顕現していた魔法がかき消えた。
「お師匠様……。見てらしたんですか?」
「いいや、今、来たところだよ。サクヤ殿下を呼びに来たんだ。お昼にしようと思ってね」
「あ、もう、そんな時間だったんですね」
「ずいぶんと熱心だよね。最近はわたくしが下りてきても気が付かないんだもの」
いつも、この地下の書斎で時間を忘れて本を読んでいると、お師匠様が来て昼食の時間を報せてくれる。
けど、この一週間は魔導書を読みながら魔法の輻輳を練習していた。
この古い魔導書には魔法の多重化について記されていて大変参考になっている。
そして、今日。
ようやっと三種の魔法を同時に発動するところまで出来た。
四つ目の魔法が上手く出来なくて魔法は消えてしまったけど。
「ごめんなさい。でも、やっと三つ目までできました」
「ん。見てたよ。凄すぎて言葉にならないくらいだよ。たった六歳で三重魔法を覚える。
お師匠様の時代──というのは今よりも魔法文明が発達していた時代のことか。
六歳だからと褒められても俺(サクヤ)には四十年分の俺(朔哉)の記憶がある。だからただの六歳って感じじゃないんだよね。
それでも、お師匠様に褒められるのはとても嬉しい。
褒められれば褒められるほど、お師匠様に近付いていると思えるから。
「ありがとうございます。でも、まだまだです。もっと頑張らないと」
「頑張るのは良いけれど、頑張り過ぎは良くないからさ。さあ、食事にしようじゃないか」
魔導書を閉じてお師匠様と一緒にリビングへと上がる。
お師匠様とレクティータに行ってから、食事時は向かい合って座ってくれるようになった。
食事を必要としないお師匠様だけど、昨日はお師匠様と一緒に食事をとってる。
きっとこれからも週に一度か二度の頻度で一緒に食事をしてくれて、お師匠様が食べないときでも向かい合って座ってくれることだろう。
俺としては見られて照れくさいところはあるけれど、お師匠様が眩しそうにして見る眼差しを向けられるのは悪くない。
でも、ときどき──。
「わたくしにも、サクヤ殿下くらいの子どもがいたっておかしくなかったんだよね。そう思うと、まるで自分の子どもみたいに思えて仕方がないわ」
なんて、ぼそっと独り言ちる。
当然、俺の耳に届いていて居た堪れない。
とはいえ、お師匠様の気持ちもわからなくもない。
なにせ俺には俺(朔哉)が四十歳の誕生日を迎えたその日までの記憶があって、朔哉は未婚の子なしだった。
お付き合いした女性はそれなりに居たけれど彼には深いトラウマがあって相手の期待に応えられず結婚まで至らないという人生を送っている。
そこで、自分にも子どもが居れば──と、若い夫婦が子どもを連れて歩いている様子を見て思った記憶もある。
お師匠様が生まれた時代──千年前に滅んだらしいマトリカライア王国時代では貴族の子は早ければ十二歳前後から遅くても二十歳になる前に結婚して子を生むという社会だった。
そんな中でお師匠様は聖女と称えられたせいで結婚が遅れ二十三歳の誕生日の日も王太子の婚約者として過ごしていたのだとか。
だからなのか、お師匠様の中でもそういった気持ちがあるのだろう。俺(朔哉)にもあったからね。
と、そんなわけで、俺(サクヤ)は六歳の子どもである。
子ども扱いされるのは仕方ないにしろ、やはり、前世の記憶があって、さらにお師匠様への憧憬が強まる一方なのだから子どもとしてしか見られないのは面白くないのだ。
お師匠様の隣に並び立てる男になって、お師匠様の呪いを解き、俺はお師匠様と結婚したい。
しかし、未来の俺に訪れる困難を乗り越えなければならない。
物語と多少ずれたとしても、既にお師匠様がヒロインに呪いをかけたから、ヒロインの周辺はゲームのとおりに進むはず。
筋書きが変わるのは俺の周辺だろう。
来たるべきその日のために備えなければならない。
逆ハーレムエンドだけは何が何でも避けたいから。
それから、その日の午後はお師匠様に武芸の稽古を付けてもらって城に戻った。
王族が一同に集う夕食では国王である父上から、ついに鑑定の話が伝えられる。
「サクヤ。お前のために探していた鑑定士だが適任が見つかった。近いうち、お前を鑑定するために登城する。委細決定後に伝えるからその日は空けておくようにな」
父上からはそれだけ。
俺は父上から少し冷遇されているようで──と言うのも、母上が健康上の理由で正妃から退き、代わりにヌリア母様が正妃に着任した。
それでかねてより魔法の才能を発揮していたスタンリーが王位継承順位の筆頭となり、魔法の才能がないと認識されている俺は序列を下げている。
俺は父上の言葉に「わかりました」と返すだけ。会話らしい会話というのをここ数ヶ月はしていなかった。
そのやり取りを申し訳無さそうに目を伏せて視線を落とす母上と、冷めた目線を父上に向けるヌリア母様。
俺の真正面のスタンリーは黙々と食べていて、俺の右には何故か妹だけどヌリア母様の娘のネレアが座ってる。
ネレアの右にシミオンという席順。
「おにぃ。おにぃ。あん、あーん」
口を開けて俺から食事を与えられるのをネレアが待ってた。
それを微笑ましく見る母上と「お行儀が悪いわよ」と注意をするヌリア母様。
最近はネレアがスプーンで不器用に掬った料理を俺の口に放り込もうとするので、ヌリア母様はバツが悪い顔で俺を見ることがある。
ネレアの口にスプーンを持っていくと、ごきげんにスプーンを啜り、今度は自分の番だとばかりにスプーンですくった料理を俺の口に持ってきた。
「おにぃ。はい、あーん」
ネレアは可愛い。
断るのが可哀想だし、ネレアのスプーンに口を付けて料理を口に入れた。
すると、満面の笑みを俺に向けてくれるのだ。
妹、可愛いな。年頃になったらキモいとか言われるんだろうけど、今はうんと甘えさせてあげよう。
兄としてネレアの可愛い笑顔を守りたいって思うしね。
とはいえ、ネレアから解放されるのは俺がお師匠様の家に行っている間だけっていうのも何ともね。
しかしネレアが俺につきまとっているのも今だけ。妹になつかれてる現状を楽しむことにした。
それから数週間──。
鑑定スキルを持つ鑑定士が登城した。
お師匠様とのパワーレベリングの結果が問われる日である。
俺の私室に父上からの使いがやってきて──。
「サクヤ殿下。謁見の間にて陛下のお呼び出しでございます」
扉越しに男の声。
「はい。参ります」
マイラと一緒に部屋を出ると若い男性の騎士が待っていた。
「では、謁見の間までお願いします」
「はっ」
二階の私室から騎士の先導で階下に進み、しばらくマイラと並んで歩いて一階から再び二階に昇る。
階段を上がって踊り場に出ると廊下の先に謁見の間につながる扉。
「私はここでお待ちしてますね」
マイラがそう言って隅に控える。
騎士が衛兵と言葉を交わして扉が開いた。
再び、騎士が先導して、俺は謁見の間に入る。
両脇にはたくさんの貴族が居てドン引き。その中に──父上の玉座から見て右側の末席に、お師匠様の姿もあった。
ただの鑑定なのに何故こんなに大袈裟なのか。
そう思っていたら前にいる人間の尋常でない姿。
「来たな。サクヤ。紹介しよう。こちらはガスパル・ファルカータ殿。隣国ファルカータ王国の王子だ」
なんと、やってきたのは隣国ファルカータ王国の王弟──今は王子ということはこれから王弟になるということか。
彼はストーリー終盤に入る頃にヒロインに感銘を受けて、シミオンの最終装備となる神剣を託すNPC。
まさかこんなところで対面するとは。
「この度、ナサニエル様より殿下の鑑定を依頼をいただきましたガスパル・ファルカータと申します。お見知りおきを」
丁寧に胸に手を当てて頭を下げてくれた。
ゲームでは頭頂部が禿げ上がったおっさんだったが、そうか、俺はまだ六歳。ゲームではヒロインが高等部三年生──十八歳のころが初登場だから、十二年後くらいに登場するガスパルさん。
つまりこの時点ではまだ禿げていない。ふさふさだ。
こんなに髪の毛が多いのに──本当に十二年経って側頭部の髪の毛を残して見事につるっつるになるんだから時の流れというのは残酷だ。
彼はストーリーの終盤に差し掛かり、ヒロインがパーティーメンバーの強化を図るために訪れる街、クラッスラを治める王族。
その時はまだサクヤは仲間になっておらずお助けキャラとして時折加勢するくらいでクラッスラへの同行はしていなかった。
役に立ってるな俺(朔哉)の記憶。
「サクヤ・ピオニアです。よろしくおねがいします」
俺はガスパルと同じように、右手を胸に当てて頭を下げた。
名乗り終えると、父上が口を開く。
「では、ガスパル殿。サクヤの鑑定を頼む」
「はい。承知しました」
玉座に座ったまま動かない父上の言葉にガスパルが応じる。
「では、サクヤ殿下。失礼しますね」
ガスパルは俺の右側に移動して俺に目線を注いだ。
キラリと一瞬光ったような気がしたので、鑑定スキルを発動したのだろう。
「かっ、鑑定できませんッ!」
つまり、ガスパルのレベルは俺よりも十以上、下だということだ。
鑑定は自分よりレベルが高いとレベルと名前しか見られず、対象のレベルが十以上高い場合は名前もレベルも見られない。
「なんと! ではやはり……」
「はい。サクヤ殿下は少なくともレベル六十以上であることは間違いありません」
「そうか。鑑定、感謝する」
ガスパルの報告に父上は頷いて、言葉を少なく俺に「下がれ」と命じた。
もう俺の出番は終わったらしい。
俺を謁見の間まで連れてきた近衛騎士が俺の傍にやってきて、
「サクヤ殿下、参りましょう」
と、俺は近衛騎士の先導で謁見の間を去った。
騎士に連れられてマイラと一緒に俺の部屋の前に到着。
「ありがとうございました」
「きょ、恐悦至極に存じます」
何故か挙動不審で噛むほど、緊張してる様子の近衛騎士。
どうやら女性に免疫がないのか、マイラを正面にする騎士の顔が赤い。
ほーん。そういうことか。
マイラも綺麗ではあるからな。
近衛騎士ってどうせ野郎の集団だろう。見た目の良い成人女性が目の前にいたら緊張するよな。
そんな色目を向けられたマイラも満更でもない様子なのがまた受ける。
いや、受けちゃまずいんだろうけど。
マイラも妙齢。結婚相手を探す時期にあるのだろう。
悪くないと思ったのなら早々に結婚したほうが良い。
俺とマイラは近衛騎士が階段を下りるのを見守って部屋に入った。
すると、ヌリア母様がネレアを抱いて部屋のベッドに腰を下ろして待っているではないか。
「あら、随分と早かったわね」
ヌリア母様が艶のある声を俺に向けた。
「はい。鑑定だけだったので、直ぐ終わりました」
俺は答えたが、もう既にネレアが俺に抱き着いている。
「おにぃ。おにぃ」
頬ずりしてクンカクンカと鼻を鳴らす。
ヌリア母様もマイラもネレアのこの素行は見慣れたもの。
まだ、一歳だから仕方ないよねっていう諦念もあった。
「サクヤ、こっちにおいで」
ポンポンとヌリア母様は隣のスペースを叩いて俺を誘う。
俺は子どもなので誘いに応じて、ネレアを抱えながらヌリア母様の隣に座った。
「で、どうだったのかしら? 鑑定の方は」
まあ、気になるよね。
結果だけは聞きたいのだろう。
俺も結果しか知らないし。
「鑑定できませんッ! って言われました」
「あら、そう。じゃあ、サクヤはこれからどんどん強くなるのね」
ヌリア母様はそう言って笑みを浮かべる。
まだ六歳だからレベルがいくら高くても体の成長が追いつかなければレベルアップの効果は極めて薄い。
ゲームではわからないけど現実はそうだった。
「スタンリーが『王様になったら魔法使いになれないからイヤだ。サクヤの下で魔法使いになりたい』って言うのよね。サクヤがそれほどの強さなら私、安心だわ。スタンリーの気持ちが変わらないようならお願いね」
この『お願いね』は聞かなかったことにしよう。
俺の序列は二位。スタンリーは一位。でも、ゲームでもスタンリーが王様になるルートはなかった。
ヌリア母様はヌリア母様で野心に乏しいから母上が復活したら正妃を譲りたいと考えていたようで母上と相談を繰り返してるそうだ。
でも、母上は正妃の座を固辞。父上は母上の身体を慮ってるのか信用していないのかはわからないけど、ヌリア母様に公務を携わらせたくて正妃の交替を望んでいない。
既に一度、健康上の理由で交替してるからね。
しかし、この返答は困るな。
俺も王様にはなりたくない。
スタンリーがならないのはもう仕方ないとして、やはりシミオンだ。
シミオンこそ王に相応しい。
ゲームでもシミオンルートでは神剣をピオニアに持ち帰って王座につくんだからそうするべきだ。
「ボクにできることと言えば日々の鍛錬と準備だけですけど──」
「王族なんだし今はまだ子どもだからそれで良いわ。一緒に頑張りましょう」
ヌリア母様は我が子が可愛いのは当然。スタンリーが望まないことはしないだろう。
野心が全く無い彼女とスタンリー。
「は──」
はいって言おうとしたら、
「おにぃ、ちゅきっ! ちゅっ、ちゅーぅ」
ほっぺを手で挟まれて唇にキスをされた。
ネレアに。
「んぐぅ、ぬぐっ──」
ネレアの力が強くて離れたくても離れられない。
ヌリア母様とマイラがその様子を見てケラケラと笑っていた。
キミたち高貴な身分なんだからもっと上品に笑いなさい。
そう──、誰も俺を助けてくれないのだ。
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