エウフェミア・デルフィニー②
エウフェミアは涙ぐんでいる。
ネレアは俺の指をしゃぶって勝ち誇ったかのようにキャッキャキャッキャと笑い出した。
指を離そうとするとギュッと握られて口の中に吸い込まれていく。
赤ちゃんの握力を俺は侮っていたよ。
いや、一年くらい前にシミオンでも同じことがあったな。
でも、ここまでじゃなかったよ?
「ネレアはサクヤのことが好きすぎか!?」
ヌリア母様がネレアのほっぺをツンツンして揶揄うと、ケラケラと笑い出す。
やべ、マジで可愛い。
お嫁さんにしたい。
でも、それはこの世界でも兄妹で結婚はムリだろう。
そうだったら自重しなければならないな。
そうして俺の指をネレアの口から引き抜こうとすると、ネレアは迅速に俺の指を捕らえる。
「私、兄弟がいないから羨ましい」
エウフェミアは淋しそうな顔をしながら再びネレアに手を伸ばした。
「うーーう、うーーッ!」
俺の指を掴んでいない手でエウフェミアの手を払う。
これが生後数ヵ月の赤ちゃんか?
とんでもないベイベーだ。
「ネレアちゃん、私のこと怖いの?」
ハの字眉毛のエウフェミア。
これはこれで尊い表情だ。
これが黒の魔女と呼ばれる悪の化身に育つのか。
爆乳グラマーな男好きする体型に育つんだよな。
白の魔女によく似た爆乳超絶グラマー体型でくびれが綺麗な長身だった。
そんな前世の記憶の俺の好みの体型に成長を遂げる予定のエウフェミアの今は幼女。
罪が深い……。
容赦なく泣いて追撃するネレア。
しかもそれは
何というのか業が深い──と、言えば良いのか。
何故そうなっているのかはわからないけれど、エウフェミアもネレアと一緒になって泣いていた。
これで俺の親兄妹に会わせたわけで、じゃあ、次はどこに行こうかって考えたけど、思いついたのは訓練場。
五歳の誕生日を迎えてから、俺は父上から武器の練習を許可されている。
そこで俺は近衛騎士の皆さんから、剣や弓、槍などの武芸を教わっている。
今日はお茶会の予定で組んであるから訓練所は近衛騎士たちが訓練に勤しんでいることだろう。
ということで、ヌリア母様の私室を出て階段を二階分下りて一階──城の裏手にある訓練場に出る。
グラウンドでは軽装の騎士たちが掛け声を揃えて剣を振っていた。
「ボク、最近、ここで剣を教わってるんです」
訓練場の騎士たちにエウフェミアは興味津々。
自分もヤってみたいとばかりにウズウズした様子を見せていた。
貴族の子弟は割と早くからこうした武芸の訓練に参加する。
パワーレベリングとのバランスを取っているんだろうことは分かるけど、武器はどれも子ども用の軽くて刃が粗末な比較的安全性の高いもの。
要するに子ども向け初心者向けの木製の模擬刀などを使って剣技他、武芸全般の技術と知識を学ぶのだ。
俺は前世の記憶を頼りに適性の高い剣と槍、それと弓を教わっている。
「殿下は武芸を教わっているんですね。凄いです!」
エウフェミアはダンジョンの話や武芸など、物騒な話をよく好むらしい。
何度か会ってはいるし、話したことはあるけど、確かにいつも、つまらなさそうにしていたもんな。
こんなことで少しだけ良い顔するんだからエウフェミアもまだまだ子どもってことだよね。
もちろん、俺も子ども。子どもだから許されることがたくさんある。
「殿下! 本日はとても可愛らしい女性をお連れしてどうなさいました?」
俺に気が付いた騎士長が話しかけてきた。
初級ダンジョンのガーデンバーネットでのパワーレベリングでは彼の世話になってる。
「こちらは本日は母上のお茶会のお客様のご令嬢のエウフェミア・デルフィニー様です」
「おお、デルフィニー閣下のお嬢様でいらっしゃいましたか。殿下も陛下に似て隅に置けないですな」
「ボクはそんなんじゃないですよ」
「お? 通じましたか。なるほど、殿下はおませさんですな。それにしても立派なお召し物で城内デートですか。子どもとはいえ宰相閣下のお嬢様と懇意になられるのは陛下も閣下もさぞお喜びのことでしょう。良い心がけです」
エウフェミアは可愛いから今のうちに唾を付けておくのは吝かではない──って、いやいや、まだ五歳だからね。
こんな歳のうちからそんなことにはならないから。それに彼女とはなるべく早く、婚約が立ち消えになるように振る舞いたいというのがある。
今日のところは母上が深刻そうにしていたからいたたまれなくて席を外すことにしたけれど、気持ち的にはスタンリーと一緒に遊んでいたいんだ。
そしたら、男の子ってなんて野蛮で汚らしいのってなるはずなんだけど、スタンリーの魔法に気が付いたからね。
やはり黒の魔女にフォルムチェンジするほどだから、才能の片鱗は既に出てるんだな。
羨ましい限りだよ。俺には身体強化くらいしかないというのに、身体強化は消耗が激しくて何度も使えないゴミみたいな才能だ。
だけど、この身体強化があるから俺は階層ボスを倒せている──というのは確かなので、階位素子……経験値を得るためにはパワーレベリングしてもらいながらやっていくしかない。
それを許してくれる騎士長に俺は足を向けて寝られないんだよね。
とはいえ──だ。
「城内デートってなんです? ボク、難しいことは全くかわかりません」
俺は前世の記憶があるから何のことかわかるけど、それでも俺は純粋無垢な五歳の少年なのだ。
そんな子どもに変なことを教えるのはよろしくないッ!
というわけで訓練場をあとにして中庭のお茶会の席に戻ることにした。
「あら、おかえりなさい。城の中を案内してもらっていたの?」
エウフェミアの母親──イングリート様が俺たちに気が付いて、エウフェミアに言う。
「はい。スタンリーくんと、ネレアちゃんに会いました」
「まあ、そう言えば女の子を産んだばかりでしたものね。私、ヌリアが出産する前に会ったきり会ってないのよね。可愛かった?」
「はい。でも……」
エウフェミアは俯いて言葉を濁した。
泣かしちゃったと言葉に出来なかったんだろう。怒られると思って。
でも、赤ちゃんは泣くのが仕事なんだから、泣いちゃっててと一言言えば良いのにね。
「ヌリア様にお会いします? ご案内いたしましょう」
エウフェミアが言い淀んでいるところに助け舟を出したのは母上だった。
「よろしいんです?」
「ええ。イングリート様にいらしてもらえましたらヌリア様がお喜びになられると思いますわ」
「それでしたら、お言葉に甘えて……。新しく生まれた姪のご尊顔を拝見させていただきたいですしね」
「なら、決まりね」
母上はニコリと笑みながら席を立ち、使用人に片付けを命じる。
それから直ぐに中庭から離れて三階のヌリア母様の私室に移動した。
「お姉様、いらしゃってくださったんですね」
ヌリア母様はイングリート様の訪問を喜ぶ。
「ん。久し振りね。最後に会ったのは出産前だったからすっかり見違えたわ」
「ごめんなさい。ご挨拶したかったんですけど、ままならなくて……」
「ふふふ。でも、今日、会えて良かったわ。ネレアちゃん見せてもらえる?」
「ええ、どうぞ。さっきサクヤにかまってもらえたからとってもごきげんなの」
部屋に入ったときには椅子に座ってネレアを抱いていたヌリア母様。
イングリート様と言葉を交わして再会を喜んだ。
ヌリア母様がニコニコ笑うネレアをイングリートに抱かせると、ネレアの笑顔は変わらず、俺の顔を見て手をひょいひょいと動かしている。
ネレアが伸ばす手を掴もうとエウフェミアがネレアに近寄ると「うーっ! うーっ!」と唸って手で払う。
「お母様……」
エウフェミアはネレアに嫌われてると涙目でイングリートに訴えた。
「まだ首が座って間もないくらいなのに自己主張が強いのね。きっとサクヤくんが取られちゃうと思って怒ってるんじゃないかしら?」
と、イングリート様。
まさか、ご冗談を。だってネレアはまだ生まれたばかり。
そんなわけあるはずがない。
とはいえ、泣きそうな顔のエウフェミアはそれはそれでとても可愛い。
やばい──やばい自分に、目覚めそうだ。
将来、黒の魔女となる彼女。既にその悪役っぽい雰囲気が少しだけにじみ出ている。なのに、泣き顔。
それが何故、サクヤ・ピオニアの性的嗜好を刺激するんだろうか。
うーん。わからん。
だけど胸の奥からむわっと込み上がる情念。
不思議だ……。俺はまだ五歳だと言うのに、同じ五歳で泣きそうな顔で黒いオーラを薄くまとわり付かせているエウフェミアに興奮を覚えてる。
紫色の髪の毛で真っ青な瞳──闇落ちした黒い魔女と違ってまだ色はあるけど、幼女なのに妙な色気を俺に感じさせるエウフェミア。
スタンリーにも少し似たものを感じているからこれが魔力というやつなのかも知れないな。
だからなのか、俺はエウフェミアのことも守りたいと思い始めているらしい。
前世の記憶では敵役のエウフェミアだけど、彼女が闇に落ちない人生を、俺は模索したがっているような気がする。
なんか俺の感情が──色んな人に向けている様々な感情や思慕が入り乱れて考えがとっ散らかりそう……。
いやほら、目の前で幼女が赤ちゃん相手に頑張ってるじゃん?
それがめちゃくちゃ可愛い。
「え、そんなことしないよぉ。だから、ニーってしよう? ね?」
エウフェミアがネレアに手を伸ばすも「うーっ」と相変わらず手を払われる。
悔しいのか悲しいのかこらえてた涙が決壊。
声を我慢してポロポロと涙を流し始めた。
女の子の泣き顔って唆る……。
俺(サクヤ)は思った。
あと何年かしてネレアがどう育つのかはわからない。
俺(朔哉)の記憶にネレアは居ない。
エウフェミアは『口うるさい婚約者』という一文はあるけど人となりはゲーム内での非道な振る舞いをする悪者っぽさが全面に出ていて本来の人間性はわからないまま。
身分の違いを押し付けて、下の者には
なのに俺の目の前のエウフェミアは「ふぇ……うぇ……」と小さく呻きながら泣くのをこらえて我慢しきれずポロポロと涙を流す可愛らしい幼女だ。
はぁ……尊い……。
俺がエウフェミアに見惚れていたら上から声がする。
「だ……だだ………」
ネレアが俺に手を伸ばしていた。
「あら、ネレアちゃんはサクヤくんのところに行きたいのね」
イングリート様にネレアを渡されてしまった俺。
ネレアを縦に抱っこするんだけど、すると俺の服をがっちり掴んで肩や首をハミハミと食むんだよ。
俺を食べ物か何かと絶対に間違えてる。
首が座ってない頃は横にしか抱っこしなかったけど、縦に抱っこするようになってからは特に。
鼻息が荒いし、どことなく目が血走ってる感じがして怖いんだよね。
でも、可愛い。本当に可愛い。
「わ、ネレアちゃんはサクヤくんが本当に大好きなのね。本当に良い顔」
イングリート様が嬉しそうに俺が抱っこしてるネレアを可愛がる。
その横で、エウフェミアはこらえきれなくなって、ついに声も憚らずに泣き出しちゃった。
俺も彼女も五歳の子どもで、ネレアはまだ赤ちゃんだ。
あまり喋らない母上と、ネレアと俺を見守るヌリア母様、初めて会う姪を可愛がるイングリート様。
乙女ゲーらしからぬこのハーレム状態。
子どもってこういうときに約得なんだよな──と、俺は前世の記憶を振り返ることができる謂わば二度めの人生。
最初の人生も綺麗な女性から慕われる幼少期を送ったわけだけど、まあ、良かった面があれば良くなかった面も当然あったわけだ。
この世界での俺はそんな目に遭ってないことや第一王子という立場もあって大事にされていると強く感じる。
そんなだからか、俺はこの場所を守りたいと子どもながら、心に誓った。
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