第49話 境界

「泰雅っ……」


 夢と現が分からない。分からないままで、俺はただ無我夢中で泰雅の背に手を回していた。


 体が熱い。


 ――ああ、俺は今何をしているんだろう。


 この前の記憶が、夏だ。


 俺は、寂れた神社の境内で、泰雅に抱きしめられてはいなかったか?

 その腕の感触が、酷く嬉しくて優しくて、泣いてはいなかったか?

 そんな記憶とは裏腹に、俺の脳裏には、この『半年間』の記憶が過る。


「辛いか?」

「平気だから……もっと」

「煽るな馬鹿」


 ああ、泰雅は時島とは違う。そんな事を不意に思った自分に、吐き気がした。

 泰雅は優しい。


 我ながら虚ろな瞳をしていると思う。涙で霞んで、世界が滲む。

 瞬きすれば、その暗闇に、蛇の瞳が映った気がした。けれどそれはきっと気のせいだ。

 時島は、ここにはいないのだから。


 事後――俺は、ぐったりと体を布団の上に預けていた。


 すると泰雅が、横に寝転がった。それを見ながら俺は嘆息する。


「俺、何やってんだろ」

「左鳥は悪くない。『新しい一年』が来る事は、俺が保証してやるよ」

「泰雅……」

「お前を奪わせたりはしない――『鐘』なんかに」


 嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、あゝ、あ、ア……。


 その言葉に、俺の脳裏をある光景が過ぎった。鐘の音に煽られるように、規則正しく並んで進んでくる、尺八を吹いた修道僧達の姿だ。浮かんでは消えていく。瞬きをする度に彼らは進む。終着地を目指して。目的物は、『俺』だ。脂汗が噴き出して、息が苦しくなる。




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