第21話 髪の毛



 その年、夏の気配が更に濃くなってきた頃、俺と時島と紫野は、いつもの通りダラダラしていた。


 結局――俺は時島と紫野に、ほぼ同時期に告白された(のだと思う)が、それまでの関係が変わる事も無く、俺達は時島の家に集まっては、こうしてのんびりと過ごしている。俺の場合は、住んでいるのだから、俺の家としても良いだろうか。


 ダラダラしていると、全て夢だったような気がしてくるから不思議だ。

 男が男に恋をするなんて事が、そうありふれていては変だと思う。


 だが今でも、二人と体を重ねた記憶は消えない。良かった事が一つあるとすれば、俺は強姦被害にあった夢をあまり見なくなった。特に、痛みを感じて飛び起きる事が減ったし、生々しく流れた血液を想起する事も減ったのだ。残っているのは、恐怖だけだった。やはりまだ――怖い。しかし、時島の事と、紫野の事は、怖くはない。


 この違いは何なのだろう?


 そんな事を考えながら、今日は珍しく俺がご飯を炊く事にした。

 時島と紫野が話し込んでいたからだ。


 最近この二人は、深刻そうな顔で何かを話している場合が多い。


 やはり、俺が入ってはいけない部屋の事なのだろうと推測している。今でも夜になると、時折ガタガタと音がするからだ。最初はてっきり、泊まっている紫野が何かしているのだろうと思っていたのだが、今は違うと知っている。それにしても紫野はあの部屋で眠っても大丈夫なのだろうか……?


 そう考えながら米をといでいた時、俺はハッとした。お米の入った袋の中に、長い髪の毛を見つけたのだ。


「時島ー、この米どこで買った? 髪の毛が混入してる」


 俺の声に、夏であるにも関わらずコタツに入っていた二人が、そろってこちらを見た。それから立ち上がり時島が歩み寄ってくる。そして米の入った袋を覗き込んだ。紫野もやって来て、そうして首を傾げた。


「どこにあるんだ?」


 紫野の言葉に息を呑み、俺は再度米の袋をしっかりと見る。

 そこにはやっぱり長く黒い髪の毛が入っているのだ。何度も瞬きをしてから時島を見ると、眉間に皺を寄せていた。


「入っているけどな、入っていない」

「どういう意味?」


 俺が首を傾げると、隣で紫野が空笑いをした。


「俺には視えないって事か」

「え?」

「左鳥さ……最近、前よりも視えるようになってないか?」


 紫野の言葉に考えてみる。言われてみれば、時島や紫野と一緒にいるようになってからは、怪奇現象に遭遇する事が多い。だがそれは、視える人間が一緒にいるからだと俺は思っていた。すると時島が急に、非常に険しい顔になり、腕を組んだ。それを一瞥してから、紫野が言う。


「『力』の強い人間と一緒にいると、ひきづられて、視えるようになるんだよ。力が増すんだ」


 紫野がそう言ってから俯いた。そして下衣のポケットから、和紙に包まれた薬を取り出す。


「そんなもん、視えない方が良い――けど、この薬を飲んだら、ほとんど視えなくなるぞ」


 意味を図りかねて、俺は時島と紫野を交互に見た。


「もしもこれからも、オカルト話を集めるんなら……もしくは時島と同じモノを視ていたいんなら、飲まない方が良い。どうする? 選択する権利は左鳥にある。ちなみに俺は常用してる。だから平気なんだ……その、奥の部屋にいても」


 紫野の言葉に、思わず息を飲んだ。

 俺の力が、増している――? 俺に力などあるのか?


 時島は何も言わないまま、じっと俺を見ていた。俺はと言えば、そりゃあ理性的に考えて、例え怪しい紫野の薬であっても、飲んでおくべきだと思った。ただ、紫野の言葉が引っかかった。『時島と同じモノを視ていたいなら』……? 俺に選択権があると紫野は言った。どうしてそんな事を言うのだろう?


 それは、オカルト話を集めているからだとか、そう言う問題じゃない気がした。

 明確に分かった事は、その薬のおかげで、紫野には視えたり視えなかったりするらしいという部分くらいだ。


「時島は、その薬を飲まないのか?」

「……事情があってな」

「事情?」


 時島の言葉に、紫野が溜息をついた。


「視えなくするだけだから、変わらず憑かれる。特に、時島くらい強いとな。左鳥は多分、今ならまだ大丈夫だ」


 それから紫野が、時島を見据えてスッと目を細めた。そして少しだけ声を低くし、時島に聞いた。


「お前は自分の家の話を、左鳥にしたのか?」

「……いいや。必要が無いだろう?」


 確かに実家の話なんて、聞く必要は無い。俺だって地元や椚原の話、神道の家系の事なんて、話していない。

 ――高校を中退した理由についても。

 結局二人の話がよく分からなかったから、俺は尋ねた。


「それでこの米は、炊いて大丈夫なのか?」


 すると二人がそろって溜息をついた。


「ああ、害は無い。金も無いしな」

「気分は悪いけど、まぁ……俺には、視えなかったしな! 炊いてくれ! 俺も食べる」


 結局その日、俺もまたあんまり良い気分はしなかったが、その米を使ったのだった。

 それで作ったチャーハンは、美味しかった。



 チャーハンを食べ終わった時、紫野が言った。


「そう言えば、祠童って知ってるか?」


 座敷童ならば知っている。しかし祠童は聞いた事の無い単語だ。俺は首を傾げる。

 時島は皿を洗っている最中だ。


「薬を飲まなかったって事は――……結局、怪談話を集めるんだろ?」

「ああ、まぁ……」

「――それだけ、だよな?」


 先ほどは、紫野が自分から妙な事を言ったくせに――と、思ったら、溜息が出てしまった。

 紫野は、どんな回答を期待しているんだろう?

 俺にはそれが、分かるような、分からないような、どちらとも言えない気がした。


「時島と同じモノを視るっていうのは、オカルト話を集めるっていう意味だよな?」


 だから俺が聞くと、紫野が腕を組んだ。それから、沈黙を挟んだ後、小さく頷いた。


「……そうだな」


 紫野は何か言いたそうだったが、それ以上は追求しては来なかった。

 代わりにいつも買ってくるカフェラテを飲みながら、俺をじっと見る。


「久しぶりに怖いか分からないけど、話をしてやるよ。これは母方のじいちゃん家の方の話。すごい畦道があってな、小さな祠があるんだよ。地蔵みたいなのが中にあるんだけどな、それがちょっと変わってるんだ」

「どんな風に?」


 紫野の話はこうだった。


 ――それは、地蔵とも仏とも狐像とも異なる、瓢箪というか…さねん近いものをあげるならば土偶のようなものが祀られていて、祠童と呼ばれているのだそうだ。誰かがピンク色の毛糸で前掛けを作ったり、赤い帽子をかぶせたりして、今でも拝まれているのだという。


 田に豊饒をもたらすそうで、皆がにこやかに手を合わせている存在らしい。

 それが叩き割られたのは、丁度今のような、初夏の事だったそうだ。

 転校してきた小学生が、悪戯で、金槌を振り回し、割ったのだという。


「それでな、『怖くも何とも無ぇよ、こんなの』って、その子供は笑ってたらしい。だけど、夜にな――来たんだってさ。大きな影が」

「影?」

「それこそ土偶をデカくしたみたいな奴が。その子の妹が、それを見ていたらしい。そのまま子供は、土偶に喰われたんだそうだ」

「喰われた……?」

「次の日な、割れたはずの祠童が元に戻っていたらしい」

「それで?」

「口に、赤い血が付いてたんだとさ」


 地味にゾクッとした話だった。

 その時、時島が戻ってきた。そしてコタツに入ると、頬杖をついた。


「喰われた子供は、その後どうなったんだ?」

「血液検査の結果、祠童についてた血は、悪戯をした子供のものだったらしいけどな――その後の事は分からない。行方不明……神隠しって奴だな」

「まぁ、もう、この世にはいないだろうな」


 時島が怖い話にノってくるなんて珍しいなと思った。


 なんだか時島が会話に加わるだけで、怖気が増すように思える。第一、この世にいないと言う事は、何処にいるのだ? 純粋に疑問に思って首を傾げた。聞いてみよう。


「じゃあ何処に行ったの?」

「……」

「……」


 すると二人は黙り込んでしまった。その反応に疎外感を感じて、若干寂しかった。





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