第5話 時島昴

 この頃には、時島は、ちょっと学科でも有名な『変人』になっていた。


 髪を染めるでもない、髪型にこだわるわけでもない、だけ――だったらまだ、そういう学生は結構いたし、就活前後だったから、もう黒髪自体は珍しくない代物だった。特別真面目に講義に出ている様子も無かった……が、これも俺の大学では珍しい事では無い。


 何というか、飄々としているとでもいうのか――決して人当たりが悪いわけではないのだが、孤立ともまた違い、特定の仲の良い相手はいないようだった。少なくとも目立つ場所にはいない。かといってカノジョがいるという話も聞かない。


 顔の作りは、はっきり言ってしまえば悪くない。人好きのする顔だ。難点を言うならば、あまり笑っているのを見た記憶が無い事くらいだが、そもそも笑いかける相手がいないのだから当然だろう。ただなんとなく、時島は目立っていた。背が高いからなのかもしれない――いいや。勿論、大きな理由が一つある。


 時島は、『視える』そうなのだ。七原は自称だが、時島の場合は『他称』だ。

 そんな時島に、俺は声をかける決意をしたのだ。

 大学三年時の夏休み直前。もうすぐテストが始まる頃合いだった。


 この当時は、就活時期が早かったのである。


「時島」

「左鳥、今日もつかれてるな」

「疲れてないよ」


 ポンポンと肩を手で叩かれた時、俺は笑って返した。


「それより今、俺さ、バイトで怖い話のネタ集めしてるんだけど、何か知らない?」


 俺が問うと、時島が真面目な顔をして俺を見た。


「自分の部屋に帰ったらどうだ?」

「え?」

「左鳥の部屋なら、心霊現象の巣窟だろう」

「何だよそれ、どういう……」

「じゃあ、行ってみるか」


 どうしてそうなったのかは分からなかったが、この日俺は、時島と一緒に帰る事になった。午後の講義は、まぁサボった。






「でも、俺の家なんか、来ても何も無いよ?」


 扉の鍵を開けて中へと促すと、その瞬間に時島が目を鋭くした。何だろう、それほど我が家は汚くないと思うのだが……。


「お前、よくここに住んでいて平気だな」

「え?」


 最近はサークルの溜まり場は他の一年生の部屋に移っているし、中々に快適な一人暮らしをしているから、そんな事を言われても心外だった。取り敢えず時島をリビングまで通して、俺は座布団がわりのクッションを視線で示した。1kのロフト付きの部屋だ。


 麦茶を二つ用意して、向かい合わせに座りながら、俺は時島を見る。

 だが時島は、高い天井間際にある、横長の窓ガラスをじっと睨んでいた。

 つられて視線を向け――俺は息を呑んだ。


「え……何だあれ……」

「手形だな。子供の手形。ベタベタと付いているな」


 時島の言う通りだった。梯子でも無ければ絶対に手が届かない位置にある為、それまで意識してこなかった窓には、至る所に子供の手形が付いていたのだ。だがどうしてまた、俺の家に、手形などあるのだ。それも子供の手形? このウィークリーマンションは新築だったんだぞ? 過去に因縁があったとも思えないぞ? そもそもコレって幽霊の仕業なのか?


「それとな、左鳥。お前って、カノジョがいるのか?」

「は? いないけど、何それ、どういう意味?」

「――これは?」


 テーブルの下から時島が、長い黒髪を一束と、見覚えの無い口紅を一本取り出した。

 ……口紅の方は、サークルの誰かが忘れていったと思う事にしよう。

 だが、この黒い髪の毛は何だ……?


「お前最近、風呂の排水溝が流れにくいとかは無いか?」

「何で時島に、そんな事が分かるんだよ? よく、つまる!」

「……ちょっと見に行くか」


 立ち上がった時島が、俺の家の浴室へと向かった。呆気に取られたままだったが、俺もついていく。そして、排水溝の蓋を時島が開けた。


「っ」


 そこには、就活も終わり髪を染め直した俺のものとは、色も長さも明らかに違う、黒く長い髪の毛がごっそりと溜まっていた。


「――ストーカーか……?」

「それならば、まだ良いな。警察署に行ったらどうだ?」

「行ったらってそんな……何なんだよ、コレ……」

「さっきまでお前の肩に子供が群がってたから、それとその母親の仕業じゃないか」

「え?」

「叩いたら、どこかに行ったけどな」


 淡々と時島は言った。全ては時島の嘘であり、ネタの可能性もある。

 何せ俺は、怖い話のネタを収集していると告げた後なのだから。


 だがこのままこの部屋に残されるというのは、非常に怖い。これまで馴染んでいた居心地の良い部屋が、一気に違和を覚えさせる部屋に様変わりした気がする。


「な、なぁ、時島。今夜、空いてる?」

「ああ」

「その、泊めて、なんて……」

「……」

「――真面目に、ダメか?」

「俺は別に良いけどな」


 時島は鬱陶しがるでもなく、かと言って快諾するでもなく、淡々とそう口にした。

 それが俺にとっての救いだった。


 そのまま俺は簡単に衣類をまとめ、ノートパソコンと、一部の講義の資料を持ち、時島のマンションにお邪魔する事に決めた。この日が、時島と共に濃密な時間を過ごす事になる契機でもあった。


 ――どうでも良い話かもしれないが、俺は男に強姦されてから、男と一対一の空間がどうにもこうにも苦手だ。


 だが不思議と時島が相手だと、勿論幽霊物件に一人残るよりはマシだからなのかもしれないが、恐怖があまり浮かんでこない。更に、時島の家の中に入ると、残っていた恐怖もほとんど消えた。理由が自分でも分からないままで、俺は時島が鍵を閉めるのを見ていた。


 紫野から電話がきたのは、時島のマンションに着き、予備の布団を出してもらってからすぐ後の事だった。


『今、何してんの?』

「ちょっと時島の家。泊めてもらう」

『時島? 珍しいな。何か出たのか?』

「いや、その……うん……まぁ」

『暇だから、俺も行くわ。時島に言っといて』

「え、ちょ――」


 そのまま通話が途切れたので振り返ると、聞こえていたらしく時島が頷いた。


 紫野が来たのは、サークル終わりの夜十時半を回った頃の事だった。紫野は誰よりも早くに就活を済ませ、複数のサークルを掛け持ちしている、アウトドアなタイプだ。逆に時島は、一切サークルに入っていないらしい。けれどこの二人が、較的仲が良いというのは分かる。時島が他の特定の誰かと仲が良いわけではないので、話しているだけでも目立つのだ。だが、紫野が特定の誰かと仲が悪い所も滅多に見ない。なお俺達の三人の共通点は、全員英語のクラスが同じだという、ただそれだけだ。この二人は構内でも目立つが、俺は基本的に没個性的である。


 ここに泊まる事になった流れを、俺は紫野に、『オカルト話を集めている』という前提から始まり全て話した。その間、時島はボンゴレを作っていた。大学生の一人暮らしだと、パスタを食べる機会は無駄に多い。俺と紫野もご馳走になる予定だった。


「ふーん。じゃ、そういう事なら、俺が『ハットウ様』の話してやるよ。怖いかは知らないけど」


 紫野がそう言ったので、俺は気分を切り替えて、ホラーの小ネタを有難く仕入れさせてもらうべく、聞く態勢に入る。折角なので、パソコンも起動させた。


「これはさ、俺が中学生の時の話な。じいちゃん家に遊びに行ったんだよ。じいちゃん家っていうのが、これまたド田舎にあって、方言も色々ある。食器洗いの事はゴキアライって言うのな。で、周辺はみんな親戚だし、名字は同じのばっかり」


 紫野はと言えば、これから怖い話を始めるとは、到底思えないほど、いつも通りの顔をしていた。楽しそうな笑顔だ。




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