1-6
五月の遠足の行き先は京都の嵐山だった。私の班は、先にトロッコに乗って保津峡を渡っていくグループだ。今は青紅葉が綺麗らしい。
冬木と私はめでたく余り者同士、同じ班となっていた。高校では友人というものを作りたかったが、中学で上手くいかなかった人間がそう都合良く事を運べる訳もなく、とどのつまり、私が友人と呼べるのは墨華だけだった。
この頃になると足の捻挫は随分と良くなった。段差に
班員の女子とは喋らないではない。だが、光の乏しいこの眼が悪いのだろうか、それとも受け答えが
トロッコ嵯峨駅に着く頃には、私と冬木が班の後ろをつかず離れずで追う形になっていた。自然、トロッコの席も隣り合う。尚も話の種が少ないので口が寂しい。持参したキャラメルをぱくりと放り込むと、柔らかな口当たりが心を落ちつけてくれた。
嵐山駅を過ぎると、赤いトロッコは次第に渓流へと近づいていく。ゴトゴトと揺れる車体に身体を委ねるが、木々と岩肌、桂川の上流が窓枠の中を流れていくだけで面白くない。人によっては心洗われる光景なのだろうが、私にはキャラメルの味の方が幸せだった。口の中で既に半分ほど溶けてしまっているが、この甘さは常に私の直ぐ傍にある。
それからどれほど経ったか知らないが、青紅葉の綺麗な一帯を通るというアナウンスが流れた。せっかくなので拝んでおこうかと、窓辺に留まった墨華と外を眺める。するとそれまでの景色から一転、周囲が薄緑のトンネルとなった。
淡い葉の色が、晴天のおかげで黄金に彩られている。木々を塗った陽光はトロッコを静かに温める。ちらちらと、峡谷がガラス細工のように繊細に見える。そうかと思えば、逆に私たちがトンボ玉の中にでも押し詰められたかのように思える。
そんな想像をするからか、トロッコがひた走るのと、凍てついたような心象とが矛盾しているように感じられ、心が置き去りにされた気分になった。だから、私には秋の紅葉の方が良いと思った。眼前のいやに瑞々しい緑が、胸を締め付けてくるように感じた。枯れ葉なら、私に
思わず墨華に向かって独りごちた。
「朱い方が綺麗だよね」
大地に散りばめられたならば無上だ。
「僕はこっちの方が良い」
不意に冬木が呟いた。振り向くと、冬木は私越しに外を眺めていた。少し覗き込むように見上げるので肩が触れる。制服がやけにざらざらしているように思われた。
やがて青紅葉の通路を抜けると、冬木は何食わぬ顔で姿勢を戻した。私は少しドキリとしたのが馬鹿みたいだと自嘲した。そんな心情を
「
「嫌いじゃない。綺麗だとは思う。でも、見てると気分が悪くなる」
それは「嫌い」とは違うのだろうか。嫌いとは言えないけれど受け入れられない、そんな感情だろうか。俗に言う、アンビヴァレントというやつなのかもしれない。仮にそうだとして、なぜそんな面倒な精神に至ったかは想像もつかないけれども。
墨華が冬木の肩に飛び乗った。まるで慰めるかのように身体をすり寄せる仕種をすると、アーと哀しい声を上げる。白銀の輝きを散りばめた渓谷に落とす冬木の眼は、トロッコの影でくすんで見えた。
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