鮮やかな貧困の日々

中島らもの“僕にはわからない”という本を読んでいる。高校の頃に中島らもを知った。最初に読んだエッセイは、“砂を掴んで立ち上がれ”。人生のターニングポイントに読んだ本だった。この本を読んだからこそ今がある。というのは大袈裟かもしれないが、兎にも角にもこの本のお陰で何とか生きようと思えた。

これを読んでる人に中島らも好きはいるんだろうか。中島らもを読んだ人がいるとすれば、私の文体は、中島らもに影響されている事がわかると思う。私同様中島らもに影響されている文体を持った人といえば、大槻ケンヂだろう。

大槻ケンヂの作品は、1度しかない。友人ヒガの家に置いてあった“我が名は青春のエッセイドラゴン!”を読んだ。読み始めから感じるらも文体。1ページ目という初対面で、「こりゃぁあんたさん、中島らも好きかいな」とへへへと笑ってしまった。自分は大槻ケンヂの事を全く知らないが、多分中島らも以外にも沢山の本を好んで読む人だろう。彼の漫画には、松本大洋も感じる。

中島らもに影響されている人というのは、かなりの変わり者である。寺山修司好きの友人と“寺山修司に憧れる人は沢山いる。けれど中島らもに憧れる人はいないだろう”とゲラゲラ笑った覚えがある。中島らもも寺山修司も似たような人だ。なぜ似てるか。それは、と答えたいところだが、行数足りないので次回。今回書きたい内容だいぶ逸れてしまった。それも次回で。

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