舟並べ

小狸

短編

 小学校時代から今にかけて、私の創作意欲を引っ張り続けている作家先生が一人いる。


 まあ、私の文体や文章、物語の構成などから容易に想像が付くだろうから、ここではそれ以上の言及――例えばその名を出したりとか、そういうことはしないでおく。


 その先生は、軽小説――ライトノベルを書いている方であった。


 ライトノベル。


 今でこそ、アニメ化、メディアミックスが至る所でなされ、その境界線が曖昧になりつつある昨今ではあったけれど、私の学生時代というのは(これも年齢が特定されてしまうので敢えてぼかすが)、ライトノベルに対して良い印象を抱く人間は多くなかった。


 いや――はっきり、少なかった、と言ってしまおう。


 小説は小説として読むべき、在るべき、絵や映像と混合するなど言語道断、とは――少々誇張した表現になるけれど、まあそういうことである。


 まあ要するに、大人側の勝手な押し付けである。


 小説を読んでほしい。ひいては、勉強をしてほしい。頭が良くなってほしい。そういう小説を読んでほしい――という願望が透けて見える。


 高校時代のことである。


 入学早々、私は図書室へと赴いた。


 何を隠そう、中学時代の昼休みの大半を図書室で過ごした私である。


 そこで、他の著作とは隔離された場所にある書架を目にした。


 ライトノベルコーナーであった。


 無論、私が尊敬してやまない作家先生方の名前が、著作が、棚にあった。


 その棚の上には、こんな文言が記されていた。

 

 小さく。


『もっと良い本も、あると思うんだけどなあ』


 それは、恐らく図書館の司書の先生が、ライトノベルが多く入荷され、希望される現状を憂いて書いたものなのだろう。


 もっと――良い本。


 良い、とは、何だろうか。


 それは司書の先生にとって、良い、ということだろうか。


 この小説を読むと頭が良くなる、とか。


 この小説を読むと教養が身に付く、とか。


 そんなものは個人の感じ方だろう。


 いくらそれが大賞を取った小説だとしても、全員に受ける保証はない。


 そこに私は、前述の大人側の意図を、感じてしまったのである。


 大人が読んでほしい本と、子どもが読みたい本。


 その乖離を間近で感じてしまった。

 

 そして、大人が本の中に。


 自分の大好きな作家先生の本が入っているのが、とても辛かった。


 そう、辛かったのだ。


 しんどかった。


 勿論、その文言が、私の読書人生全てを否定したわけではないということは理解している。


 当時の時世を鑑みるに、司書の先生もかなりご年配の方であったから、その苦悩も今なら十二分に理解できる。


 ただ、それでも。


 私の「好き」が、「良い」ものではないように感じて。


 とても胸が苦しかった。


 それ以降、図書室には足しげく通ったけれど、ライトノベルコーナーに立ち寄ることはなくなった。


 棚の上に記されたその文言を、見たくなかったからである。


 今では高校と大学を卒業し――会社員として仕事をしている。

 

 多分今でも、ライトノベルコーナーの棚のあの言葉は、残っているのだろうなと、私は思う。




(「舟並べ」――了)

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