うわばみの酔い覚まし

mill

第1話

 虫さえも静まった丑三つ時。

 月明りが村を照らしていた。見渡す限り穂が実っている畑。家屋さえも点々としていて周りは雑木林。

 その一角に明らかに農家ではない庵があった。

 普段は都に留まっているが摂津でたまたまこの庵を見つけた。

 若干隠居に足を踏み込んでいる気もしなくはしないが、勤めはしっかりと果たしている。

 何かあれば馳せ参じればよい。これくらいは良いだろうと一人風情のあるここに入り浸っていた。少々手を入れて部屋を作り広くした。

 給仕場と刀を置いているこの本間のみ。しかし本間は広く御簾を垂らせばまた趣も変わるので好んでいた。

 最近は良い庭のようなものも作ることができた。これは誰か誘い酒を飲もうかと筆をとり手紙をしたため始めた。


 かりかり……。


 そんな折。朧げな蝋燭の明かりの中この庵の戸を引っ掻く音が聞こえてきた。


 「おお。もうそんな時間か」


 こんな時分。

 動くのは妖くらいであろうことは男にもわかっていた。

 しかし、恐れもせずまるで友人が来たかのような振る舞いでその戸を開ける。そこには一匹の狐がいた。

 赤い目に白い体毛。特徴的なのは前足がないこと。

 男は白い毛の狐であったこともあり神の遣いでは……と有難み定期的にくるその狐と物物交換をしていた。その白狐は器用に口に籠を咥えており、その中には和紙や生地などが積まれていた。


「いつもご苦労」


 そういって手を合わせつつ物を取って行く。

 空になった籠にはいつものように畑で採れた野菜をいれていく。籠がいっぱいになると満足そうに再び咥えて闇の中。ゆっくりゆっくりと月明かりの中。森へと去っていった。



◇◇



 右の前足のない俺は森の中ゆっくりと進んでいく。

 今日が満月でよかった。

 おかげで視界は良好で獣道がしっかり見える。いつものようにこけてしまうこともないだろう。

 器用に石を飛んでいく。

 まったく。三本足で尚且つ籠を持つのは顎がつかれる。帰りの方が重いのはいかなるものか。

 …とはいってもあの武人を前に人間に化けていくのも面倒だ。即見破られるだろう。


 ……また片腕を持っていかれては恥だ。

 それに今居候してもらっている身。表立ったことはするまい。それにあの男の最期を観てやるまでは死ぬわけにもいかないしな。

 果たしてあの男が死ぬのは老衰か。病死か、それとも討ち死にだろうか。


 男の庵もそうだがあの女狐の住む家は奥深い。趣がどうのいう前に利便性を訴えたい。

 俺がとうとう籠を下ろして休んでいると途中女狐の使いであろう小麦色をした子狐たちが俺に群がる。

 どうやら野菜の入った籠を持ってくれるらしい。

 そういうことだけはわかった。我先にと言わんばかりに持ち手を噛んで皆持とうとする。千切れることはないだろうが綱引きしているように見えた。

 俺は揉まれながら一応提案してみる。


「わかったわかった。一匹一匹野菜を持て。葉の部分を噛んで行けよ」


 理解してくれたようで地面に置いたままの籠から一人一匹ずつ持っていく。

 あとは葉物くらい。これで俺も楽ができる。

 皆さっさと女狐の元へ去っていった。

 俺も戻ってしまえば気楽に歩いて行ける。ただ人間の山狩りに気は抜けない。あいつらは隙を狙うのがうまいから。

 流石に迷惑はかけられない。しかしまあ名の通っている陰陽師の母がいるこの森を山狩りしようものならかの陰陽師が黙ってはいないか。

 迷った末疑り深い俺はゆっくり行くことに決めた。

 そうしてこの森――信太の森と呼ばれている森を進んでいった。

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