鳥飼まきこの人生は

闇雲ねね

鳥飼まきこの人生は

 鳥を買いました。

 鳥を飼うなら喋る鳥がいいなと思いました。一人暮らしは寂しい。自己肯定感の低い私は気ままに暮らすばかりの猫とはきっとうまが合わない。犬は犬で手がかかる。私は出不精だし毎日散歩なんて、ましてや朝晩とも散歩に出すなんて、気が狂ってそのうち逃がしてしまいそう。

 預金も増えてきたので、そろそろ自分以外の動物のためにお金を遣ってもいいだろう。男に縁がないとはいえヒモ男は飼いたくない。飼うなら鳥。と、喋る鳥に決めました。

 買ってみると鳥って結構かわいいですね。外にいる野鳥は大きいと怖いし、喋らない。うちの鳥もまだ喋らないけどなんか喋りそうな顔をしている。喋ったらもっと楽しそう。というか、マンションのなかに鳥かごがあるのって、まるでマトリョーシカみたいだ。私もマンションの一室という鳥かごの中で飼われているよう。社会も鳥かご。地球も鳥かご。宇宙の誰が地球という鳥かごで何かを飼っている。

 インターホンが鳴った。モニターを覗くと誰も映っていない。別の部屋と間違えたのだろうか。予期しないものに意識を逸らされるのは苦痛だ。邪魔をしないでくれよ。ここは私の世界。私と鳥の部屋。部屋では時計がチクタク音を立てる。秒針が私と鳥の間を言ったり来たりしている。空中に目がぎょろっと浮かんで、鳥かごを口に放り込んだ。鳥かごごと鳥を唾塗れにして吐き出した。鳥がパタパタと羽根を動かす。私の顔にばしゃばしゃと唾が飛んでくる。唾は体液の臭いがした。宅配便の男。

 カラスが鳴いた。カラスは黒い。カラスは悪い奴じゃない気がする。どこか悪意が見えて逆に信用できる。悪意のない迷惑ほど手に負えないものはない。もう一度カラスが鳴いた。まだ鳥は喋らない。鳴かない。でも静かなのはうるさいより良い。落ち着く。

 アラームが鳴った。あらかじめ昼の十二時にかけておいたつもりが夜の十二時にかけていたようだ。十二時の表記は分かりにくい。高遮光のカーテンを開けると、外は真っ暗だった。バルコニーに猫がいる。

「こんばんは。」

「こんにちは。」

 挨拶をし合ったが、それ以上話すことはなかった。猫も同じことを感じたようで、つまらなそうな顔をしたあと静かに去っていった。暗いから気が付かなかったが、バルコニーにはカラスの死骸が置かれていた。内臓を引っ張り出すようにえぐられていた。くちばしの隙間から断末魔のような音が漏れ聞こえた。カラスの眼球から涙が流れ落ちた。後ろを振り返ると鳥かごの中から鳥が私をじっと見ている。

「こんばんは。」

 鳥に向かって話しかけたが、ただ鳥はじっと私を見ていた。

 部屋まで香ばしい肉の匂いがオーブンレンジから届いていた。じっくり低温で焼いたので柔らかくジューシーに仕上がっているはずだ。焼いたそれは、スーパーの前に傷んだ紐で繋がれていたものだった。私に何の抵抗も示さなかった。鳥も肉を歓迎して、羽根をばたつかせた。お腹を空かせて待っていたよな。肉をオーブンレンジから取り出し、丁寧に切り分けた。私は猫舌なので、あとで食べることにする。細かく切って鳥に持っていった。まだ熱かったらゆっくり食べな。

 ゴミ箱が倒れて音を立てた。ゴミ箱の中から傷んだ紐がにょろにょろと這い出てきた。じっと見ていると私に近寄ってきて、素足を静かに登り始めた。首にその身体を回したときにはさすがに私は抵抗して、紐を掴んで床に叩きつけた。動きが鈍くなったので、足で何度も踏みつけた。紐は動かなくなった。紐を掴んでバルコニーに放り投げた。カラスの死骸は無くなっていた。

 不幸は幸せを知っているから感じるものではないだろうか。私には幸せも不幸せもない。取り立てて幸せを感じたことも、何かに絶望したこともない。周りの他人が喜ぶ姿も悲しむ姿も大袈裟に見える。

 母から届いていた封筒を開いた。つらつらと書いてあった文字に辟易した。ぐしゃっと丸めてゴミ箱に捨てた。倒れていたはずのゴミ箱はいつの間にか元通りに起立していた。バルコニーから風が吹いて、ずっと窓を開け放したままなのを思い出した。先ほど投げ捨てた紐は五つに増殖していた。三つ四つうねうねしていて気色悪かったので、窓とカーテンを閉めた。紐があとでしつこく窓を叩いていたが、私は聞こえていないふりをした。

 鳥が鳴いた。鳥が鳴いた?鳥が今、ようやく鳴いた!

「かーかー。」

 想像していた鳴き声じゃなかったので拍子抜けした。餌付けした犬肉は全て食べていた。きっと鳴いて、私に感謝を伝えているのだろう。器をシンクへ持っていき洗った。肉を一切れ、口へ放り込んだ。なかなかいけた。

 グラスの氷がきしんで鳴った。水道水を、水道水から作った氷で冷やして飲んでいる。氷がかたかたと音を立てて次の水を催促した。蛇口から水を足した。フリーザーから氷も足した。満足したようにそれは静かになった。

 寝室には宅配便の男が寝ている。本能という言い訳で性の暴力を向けようとする男を心底嫌悪している。カラスの死骸が残っていれば横へ置いてやったのに。昔、テニスをしていた。インターハイの男女ペアの部で優勝したときのトロフィーで、殺った。それは唯一の勲章だったけれど、パートナーの男に犯されてから、いくら消毒しても性の臭いが取れなくなった。その男とはうやむやに距離を置いた。ペアは勿論解消した。宅配便の男。

 昨晩夢を見た。夢では元パートナーの男が笑っていた。強姦を忘れたかのように、今の私へにたにたと手を伸ばしてきた。抵抗しようにも身体が動かなかった。脳の破裂する音が聞こえた。

 この家には今、知らなかった男の死体と鳥と私がいる。やれやれ困ったな。とりあえず男を引っ張って運ぼうとしたが、思いのほか重たく動かせなかった。鳥かごを開けに戻り、鳥を連れてきた。一緒に引っ張ってもらうと何とか動かせそうだった。バルコニーに寝かせてみた。窓を閉めてリビングから覗いていると、昆虫たちがうじゃうじゃと集まってきていた。翌朝、バルコニーを覗くと、死体はやはり置かれたままだった。水分は全て抜かれて軽くなっていた。明るいなかで見ると顔があまりに醜く見えたので、カートゥーンアニメのタオルで目隠しをしたら、気にならなくなった。

 会社を休んで寝ていると、いつの間にか夕方になっていた。スマートフォンには会社からの連絡通知。心配しているという文字列が私の眼球をえぐる。謝罪と体調不良の旨を返答した。ふと閃いて、スマートフォンをバイブレーション機能で震わせたまま、バルコニーの死体の心臓辺りに置いてみた。

「かーかーかー。」

 鳥が嘲笑った。あははは。私も笑った。でも一瞬、男の指が動いたのを私も鳥も見逃さなかった。もう一度鳥と顔を見合わせて笑った。楽しかった。

 テレビを付けるとニュース番組のインタビューが流れていた。ある高校生の栄誉を称えていた。高校時代のことを思い出そうとすると、元パートナーの強姦犯の顔がいつも浮かぶ。吐き気に抗えず、フローリングに嘔吐した。寄り添ってくれていた鳥が、じゅるじゅるとそれを飲み、片付けてくれた。私は愛を感じて思わず鳥を抱き締めた。鳥は黙って抱き締め返してくれた。私は久しぶりに泣いた。涙を流して鳴いた。鳥も一緒に鳴いた。

「かーかー。」

「かーかー。」

 鳥の羽根が涙で濡れたが、すぐに涙は蒸発して、宙に虹を描いた。虹に手を伸ばしたがすり抜けるばかりだった。鳥は虹にとまって、私をじっと見ている。

 私はテレビを消した。


 ボストンバッグに鳥を詰めて家を出た。行けるところまで行きたくなった。マンションの死体はそのうち消える気がした。初めて旅をした気分だった。バッグのファスナーをこっそり開けると、いつでも鳥は私を見ていてくれた。大丈夫だと語りかけてくれた。

 横断歩道を渡っていた。青信号で私は車にはねられてしまった。バッグを抱き締めながら、道路をごろごろと転がった。不思議と痛くはなかったが、意識を失った。気が付くと病室のベッドに寝かされていた。重症だったのか身体が動かせなかった。朦朧としながら人を来るのを待った。ようやく現れた医師は、死んだ宅配便の男。耳元で囁く。

「よくもやってくれたな。」

 そこで目が覚めた。恐怖が私を叩き起こした。私を性暴力が襲う。許せない。許せない。許せない。事故の痛みも鈍るくらいの心の痛み。

「かーかーかー。」

 鳴いても鳥は来なかった。

「かーかー。」

「かー。」

 そこでまた意識を失った。


 ひどい夢だった。公園のベンチでバッグを抱きかかえて私は眠っていた。身体が動くことに安堵し、すぐにバッグのファスナーを開けたがそこに鳥はいなかった。タクシーを止めマンションへと急いだ。家に帰っただけだ。きっと家に帰っているはずだ。

 帰宅しリビングへと走った。鳥かごには鳥がいた。滝のように涙が流れた。鳥かごごと鳥を抱き締めた。愛を感じた。私はきっと寂しかった。ずっと孤独だった。誰にも伝えられなかった思いを鳥は受けとめてくれた。有難う!!有難う!!

 首を強く締められたのはそのときだった。鳥と鳥かごを抱き締めていたはずだったのに、私はいつの間にか元パートナーの男に首を締められていた。鳥も鳥かごも部屋には無かった。犬が繋がれていたあの紐で首を締められていた。バルコニーでは死んだ宅配便の男とカラスが手を繋いで踊っている。猫が腹を見せて私の横で気持ち良さそうに寝転がっている。この世は地獄だ。この世は地獄。この世は地獄だ。


 そうして地獄に落ちた。地獄では閻魔が私を釜茹でにしていた。ぐつぐつと茹でられいざ食われてしまうそのとき閻魔の顔をようやく間近で見た。閻魔の顔は、なぜか母に似ていた。

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