第8話 先鋒戦
殿下と供だって競技場に入ると、観客席から多くの視線が僕に向けられた。ひょっとすると、僕の事に気付いた人たちがいるのかも知れない。
だが、今はそんな事を気にしている時ではない。
競技場はすっかり準備が整っていた。
皇后陛下も貴賓席についている。
セスリーン殿下が審判に告げる。
「アーディル・ハバージュが西軍先鋒を務めます」
「分かりました。それでは両軍先鋒は試合場へ上がりなさい」
試合は周りよりも1mほど高くなった20m四方ほどの広さの試合場で行われる。
審判の声に従って僕はその試合場に上った。
試合場の上から東軍側の陣幕を見ると、東軍将帥のオストロス・エルナバータ殿と目が合った。
オストロス殿は、不快と困惑が入り混じったような表情でこちらを見ている。
僕はまた、こみ上げてくる怒りをどうにか押し殺した。
オストロス殿のセスリーン殿下への言動は、僕の個人的な感情を無視して客観的に見ても、言い過ぎといわざるを得ないものだった。
だが、僕が懐いていた個人的感情は、殺しても飽き足らないと思うほどの怒りだ。
この男は、セスリーン殿下の婚約者という、全ての男の中で最も幸福な立場にあったのに、他の女にうつつを抜かし、あまつさえ殿下を愚弄する言説を言いふらしていた。絶対に許せない。
こんな男に、殿下が負けるなどということは絶対にあってはならない。
死んでも勝つ。僕は本気でそう思った。
実際、これから先どれほど長生きしても、殿下の戦士と認められて殿下の為に戦う機会など二度と訪れないだろう。なら、今日この時に、本当に命をかけても惜しくはない。
僕が秘かにそんな思いをかみ締めている間に、反対側から東軍先鋒のムスタフ・エバルズ殿が上ってくる。
板金鎧を身に付け、顔全体を覆うヘルムを被り、右手にブロードソード、左手には大きなタワーシールドを装備している。
僕とムスタフ殿は、試合場の中央で5mほどの距離をおいて向き合った。
「余計な事をしたな」
ヘルムの奥から、ムスタフ殿がそう告げた。
そして更に続ける。
「性悪の皇女様に、痛い目を見てもらう折角の機会だったというのに」
は!? 貴様、なんて言った?
痛い目を見てもらう?
まさか、殿下を本当に打ち据える気だったのか?
僕は、目の前の大男が手に持つ武器を改めて見た。
刃を潰したブロードソード。要するに鉄の棒だ。そんなもので、殿下を打つ、だと?
瞬間的に沸騰するような怒りがこみ上げる。
けれど僕は、その激情を隠して、両手剣を中段に構えた。
こちらの感情を知られることは、戦いで不利に働くからだ。
「貴様には、何の遠慮もせん。覚悟してもらおう」
そして更に、そんな言葉が告げられる。
僕は怯えたかのように、一歩退いた。
そこで、審判が試合開始の合図を発した。
「始め!」
次の瞬間、僕は全力で真正面から踏み込み、剣をムスタフ殿のヘルムへと突き出す。
「なッ!」
ムスタフ殿は驚いたような声をあげた。開始直後の正面攻撃を予想していなかったのだろう。そして、僕の動きの早さも。
ムスタフ殿は、明らかに気を抜いていた。
僕の剣は誤ることなく、ヘルムの正面を突く。
ムスタフ殿の上体が揺らぐ。
すかさず剣を戻し、そして素早く振り下ろし、更にヘルムの真正面を強打した。
視界を著しく狭めるヘルムなんかを装備しているから、こんな攻撃を避けられないんだ。
「卑怯な!」
東軍の天幕からそんな声が上がる。
イアン・レーリック殿だった。
余りにも愚かな発言だ。
試合開始の合図があったのに、気を緩めている方が悪いに決まっている。
それとも、僕が実力を隠していたことか?
それだって、咎め立てされることじゃあない。気付かない方が悪いんだ。
僕はその声を完全に無視して、ムスタフ殿への更なる追撃を狙う。
ムスタフ殿は、さすがに2撃で倒れるほど軟ではなかった。
そしてまた、黙って3撃目を受けるほど鈍くもなかった。
ムスタフ殿のブロードソードが、上から僕へ向かって振り下ろされる。
僕は右斜め後方に身を退いてそれを避けた。同時に、両手剣を右側に振りかぶり、またムスタフ殿の頭部を狙う。
ムスタフ殿は僕の意図を読み、左手のタワーシールド上にあげ頭部を守る。同時に、ブロードソードを上に構える。タワーシールドで僕の攻撃を受け止め、すかさず反撃するつもりだろう。
素直すぎる。
僕は素早く身を屈め、がら空きになったムスタフ殿の左膝を両手剣で打った。
「ぐぉ!」
そんな声をあげ、ムスタフ殿の体が大きく揺らぐ。が、何とか踏みとどまり、僕に向かってブロードソードを振るった。
だが、そんな苦し紛れの攻撃を見切るなどわけはない。
僕は身を起こしつつ後ろに引いてその攻撃を避ける。同時に、両手剣を左に振りかぶった。そして、直後に踏み込んで、低い位置に来ていた、ムスタフ殿の頭部へ向けて両手剣を振るう。
「ぐッ」
両手剣の直撃を受けたムスタフ殿から、そんな苦しげな声が上がる。
僕は、追撃の為に両手剣を頭上に振り上げた。
「それまで!」
審判の声が響き、僕は振り下ろそうとしていた剣を止めた。
「勝者、西軍先鋒、アーディル・ハバージュ」
そして、そう判定が告げられた。
ムスタフ殿は崩れるように両膝と両手をつく。
会場が少しざわめいている。僕の勝利が予想外だったんだろう。
僕は、剣を鞘に収めた。
(殿下に対して無礼な事を考え、しかも試合中に気を抜くから、そういうことになるんだ)
僕は、そう思いつつ、情けない姿を晒しているムスタフ殿に向かって一礼した。そして、顔を上げて東軍の陣幕をみる。
よほど驚いたのか、オストロス殿が、軽く口を空け呆然とした表情をしていた。
お前なんかに、試合で殿下に勝ったなどという実績は与えない。
そんな気持ちを込めてオストロス殿にらみつけてから、僕は西軍の陣幕に戻った。
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