第7話 告白
いきなり殿下に拒絶されてしまったが、その程度で引き下がるようなら最初から声など上げない。僕は食い下がった。
「分不相応は承知しております。されど、そこを曲げて何卒お願いいたします」
「黙りなさい! あなたごときが…」
「騒々しいな」
殿下の発言をさえぎってそんな声が聞こえた。美しい女性の声だ。
その声は大声ではなかったのに、なぜか会場全体に良く響いた。
僕は思わず声のした方を見て、そしてほとんど反射的に跪いて頭を下げた。
そこに居たのは、いつの間にか貴賓席に姿を現していた皇后陛下その人だった。
一瞬垣間見てしまった皇后陛下は、天上の美と讃えられるに相応しいだけの美しさだった。
既に相当のお年のはずだが、とても若々しくセスリーン殿下の姉でも通るだろう。
余りにも人間離れした美貌からは冷たさが感じられるが、それはその美しさを損なうものではない。むしろ人には手がとどかぬ神秘性や気高さが感じられる。
そして、その方が機嫌を悪くしている様は、ものすごい迫力と緊迫感を見る者に与えていた。
皇后陛下の登場を知って、慌てて跪いたのは僕だけではなかった。
会場に居た全員が一斉に跪いている。
そして、全員が跪くと、それきり人が出す音が全て消えた。まるで全員が音を出したら死ぬと思っているかのようだった。
騒々しくしてはならない。全員がそう考えたからだろう。僕がそう考えたのと同じように。
本来なら皇后陛下は全ての準備が整った後で、呼び出しの声に続いて入場なさるはずだった。
だが、常ならざる様子が気になったのか、いきなり出てきてしまったのだろう。こういう儀礼等を無視してしまう事も皇后陛下にはままあるのだ。
そして、たった一言で会場の全てを支配した。
張り詰めるような静寂の中、皇后陛下の声が響いた。
「セスリーン。公衆の面前で無様な姿を晒すではない」
「申し訳ありません」
「だがまあ、予定していた戦士全員が病に倒れるとは確かに大事だな。それが真実ならば、な」
やばい。やっぱり相当不機嫌になっている。
欠席した連中は、多分皇后陛下の前で、皇后陛下の怒りを買っているセスリーン殿下の配下として戦う事を嫌ったのだろう。
学院では、皇后陛下の御不興は全く治まっておらず、セスリーン殿下が将帥を務める事に、不快感を示されたという噂も出回っていたから、それも影響したかも知れない。
実際、欠席者が1人だけなら、そこまでの大問題にはならなかったと思う。
しかし5人全員は拙い。これでは皇后陛下御臨席の試合を台無しにした事になる。
全員が自分ひとりくらいなら大丈夫と思ったのかも知れないし、中には1人くらい本当に急病の奴もいたのかも知れないが、結果的にこんな事になっている以上、ただでは済まないだろう。
最悪、我が国から五つの家が消える。
皇后陛下のセスリーン殿下へのお言葉は続いた。
「そなたが取り乱すのも、まあ、やむを得まい。だが、このような場で騒ぐではない。
少し時間をやろう。控えの間に戻って相談でもするのだな」
「畏まりました」
セスリーン殿下はそう答え、僕はいっそう身を縮めた。
そうしてセスリーン殿下と共に控えの間に移った僕は、早速セスリーン殿下から詰問された。
「どういうつもりなの!?」
「申し上げた言葉通りです。私を殿下に従う戦士として戦わせてください」
僕はセスリーン殿下の前に跪き、顔を伏せた姿勢でそう答える。
「信じられないわ」
「申し訳ございません。殿下の信を得られぬ不徳をお許しください」
「違うわ。そういうことではなくて、どうしてお前は私に従おうとしてくれるの?
お前には、か、感謝しているわ。
皆が私から離れてしまったのに、お前だけは残ってくれた。それなのに、私はいつも、つい乱暴な事をしてしまって……。そ、その、悪かったとも思っている。
でも、だからこそ分からない。どうしてお前はあんな目に会っているのに私から離れないでいてくれるの?
顔を上げなさい。アーディル・ハバージュ」
セスリーン様の言葉に従って、僕は顔を上げ彼女の顔をみた。
やっぱり美しい顔だ。
「アーディル。あなたの本心を言いなさい。嘘偽りなくはっきりと」
セスリーン殿下はそう口にした。
……これは、言っていい流れだよな。
いつか言ってやる、言ってやると思っていたことを、ついに今こそ、本当に言ってやる感じだよな。
そうだ、今がその時だ。僕はアーディル・ハバージュ。やれば出来る男だ。言え、言ってやるんだ!
よし! 言うぞ!
「殿下。私が殿下の下を離れない理由は、この心を殿下に捧げているからです」
「え?」
「お慕いしております。
殿下はお忘れのことと存じますが、幼き頃、当家の領地を訪れていただいた事があります。その折、頑張れ、とのお言葉を賜りました。
以来、殿下のその言葉をこの胸に刻みつけ、今日まで片時も忘れずに励んでまいりました。
全て殿下のお言葉に報いるため。お畏れながら殿下を思ってのことです。
この心と命の全てを捧げてお仕えする方は殿下のみ。
そう思い定め、失礼ながら、ずっとお慕い申し上げておりました」
言った!
言ってやったぞ!
僕はまともな人間だから、叩かれればムカつくし、きつい言葉を浴びせかけられれば心も痛む。
でも相手がセスリーン殿下だから、愛するセスリーン殿下だから我慢してきたんだ。
「な、な、何を言って……?」
殿下の口からそんな声がもれている。
こうなったらもう、思い切って、もっとはっきり言わせてもらおう。
「殿下を愛しております。それが身命を賭した、嘘偽りない私の本心です」
「~~~ッ」
殿下が黙ってしまった。その顔が真っ赤になっていく。
あれ? この反応、驚いている? ひょっとしてばれてなかった?
いや、男が女の我が侭を聞く一番ありふれた理由だろ? べた惚れだから、なんて。
当然、ばればれだと思っていたんだけど、そうでもなかった?
と、いかん。この今まで見たこがない新鮮な殿下をいつまでも見ていたい気もするけど、話を進めないと。
皇后陛下を待たせるのは拙い。
「殿下、先ほど恐れ多くも感謝しているとのお言葉をいただきました。悪く思っているとも。
そのようなお気持ちをお持ちいただいているならば、どうか私の願いをお聞き届けください」
「ね、願い!? な、何を」
殿下が胸元に手を置きつつ、上ずった声をあげる。
僕は願いを口にした。
「どうか私に、殿下の剣として戦う栄誉をお与えください」
「え? あ、ああ、そうね。その話だったわね」
皇女様は大きく深呼吸してから話し始めた。
「あなたの気持ちは嬉しく思います。い、いえ、嬉しいというのは私の為に戦いたいという事についてよ。
で、でも、あなたが戦ってどうなるというの?
武器で戦うのよ。戦略理論や戦術能力は関係ないの」
「私が戦えば、殿下を試合場に立たせずに競技を始める事ができます。
私が負けたならば敗北を宣言してください。それで競技自体が終了です」
「そんな事だけの為に?」
「大切なことです」
「危険な競技なのよ。無傷で済む者などほとんどいないほどの。それどころか過去には死者も出ている」
やっぱりな。僕が戦う事を拒否したのは、僕の事を心配してくれていたからだったんだ。
この学院に入って、我が家の領地にお越しいただいた時には、あんなに優しくて天真爛漫な少女だった殿下が、すっかり高慢な女になっていて驚いたけど、あの頃の優しさも残っている。
でも、あの言い方じゃあ普通は理解できませんよ。
殿下がすっかり歪んじゃったのは間違いないけど、言い方のせいで誤解されている面もあると思うんだよな。
そうだな。物事は、はっきり分かり易く言うべきなんだ。
僕はそう考え、殿下に告げた。
「殿下の為ならばこの命など惜しくはありません。殿下の為に戦って死ぬならば本望です」
「ッ!?」
殿下が声をつまらせて胸元を押さえた。
気持ち悪かったか?
でも、本心だし、誤解されるよりはいい。
それより話を進めないと。
「殿下への思いに身を焦がす、この私を哀れと思し召し、なにとぞ一時殿下の為に戦う事をお許しください」
「~~~ッ。わ、分かりました。私の戦士として戦ってください。そ、その、十分に気をつけて」
「有難き幸せ。では、少しだけ身支度を整えさせてください」
「ええ」
僕は立ち上がると、眼鏡を外して近くのテーブルの上に置いた。
そして懐から紐を取り出すと、ぼさぼさの前髪をかき上げて頭の後ろで束ねた。
戦うなら最善をつくすべきだ。視界を狭めるような姿で臨むべきじゃあない。
「ア、アーディル、あなた……」
「何か?」
「い、いえ、何でもありません。何でも……」
殿下はそう言って顔を伏せた。
セスリーン殿下の挙動が不審だけど、これ以上時間をかけるべきじゃあない。
僕は壁にかかった練習用の武器の中から、手頃な大きさの剣を選ぶ。
正直ろくなものがない。刃を潰した練習用だから当然だ。
今はとりあえず、それなりの大きさの両手剣でいいだろう。
それから、体に合うサイズの胸甲を身につける。他の装備をしている時間はない。防御面でも不安だが仕方がない。
そして、殿下に告げた。
「行きましょう」
殿下は無言で頷いた。
控えの間から競技場に歩く間に、僕は殿下にもうひとつ願いを伝えた。
「殿下、もう一つお願いがございます。試合が始まって直ぐに敗北を宣言する事は止めてください。私にも男として意地があります。
それに、実は秘かに剣も学んでいました。いつの日か殿下のお役に立てるともあるかもしれないと思ったからです。
これでも、父の名に恥じぬ技量を身につけていると自負しております。
戦うからには、その力を最後の最後まで振り絞ります。お目汚しとは思いますが見届けてください」
「分かったわ。存分に戦って。わ、私の為に」
「ありがとうございます」
殿下の為に、力の限り戦うことを認めてもらった。本当に嬉しい。
そんな沸き立つ思いをかみ締め、僕は殿下に従って競技場へと向かった。
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