第3話 不機嫌な皇女とただ一人の取り巻き③
その後暫らくはセスリーン殿下も勉強に集中していたが、ふと気がつくと、殿下は窓の外を見ていた。
外では剣技の訓練が行われている。
もう直ぐ武術成果報告会が開催される為、訓練にも熱が入っているようだ。
その剣を振るう者達の中に一際目を引く金髪の生徒がいた。
殿下の元婚約者であるオストロス・エルナバータ殿だ。
未練があるのだろうか? 殿下はオストロス殿と一緒にいることもほとんどなかったし、さほど仲が良かったようには見えなかったが。
そんな事を思っていると、また殿下が声をかけてきた。
「お前は、武術の実技の授業を受けないのね」
「ええ、戦士としての最低限の心得程度の事は習いますが、基本的には戦略や戦術を伸ばすべきだと言っていただいていますので」
それがこの学院の教育方針だった。
何でも器用にこなせる人材も必要だが、得意分野に集中した専門家も必要ということだ。
そして僕は専門家の方の道を進んでいる。
具体的には、戦士の心情や心意気を知ることは戦略や戦術を考える役にも立つ、という理由で最低限の戦闘訓練は受けているが、それ以上は学ばず、その代わりに戦略や戦術の研究に時間を費やしている。
「お前の父親は高名な戦士だというのにおかしな話ね」
「その父からも、戦略・戦術を学べと言い付かっています。軍事において重要なのは個人の武勇ではなく、戦略・戦術だと」
戦士として名を馳せている父さんにとって自己否定のような意見だが、父さんがそう考えているのは事実だ。
若い頃の父さんは、軍で出世する事を望んで遮二無二剣技を磨いていた。
しかし、自分が望んでいる軍の中枢に上り詰める為に必要なのは、個人の武勇ではなく戦略や戦術の能力だという事に気がついた。
そこでそちらを学ぼうとしたが、当時の上司に拒まれた。
当時父さんは既に戦士として頭角を現していた為、個人的武勇を磨く事に専念すべきだと判断されたのだ。
その結果父さんは、今や軍全体でも有数といわれる戦士となっているのだから、その上司の判断は適切だったといえる。
しかし父さんには、望む道に進めなかったという恨みが残った。
そして父さんは僕が学院に入学するにあたって、戦略・戦術の習得に注力するように命じたのだ。
「そう。それでお前は、その父の為にひたすら勉学に励んでいるというわけね」
「……。そういうわけでは……」
その殿下の言葉にははっきりと答えることは出来なかった。
自分がひたすらに励んでいるのは父の為ではなかったからだ。
僕が励む理由は、幼い頃に我が家の領地で告げられた「頑張って」という言葉に応えるためだ。あの言葉がずっと僕の支えになっている。
その本当の答えを言う事は躊躇われた。
殿下は言葉を続けていた。
僕の返事などには興味がないのだろう。
「お前が大変な努力をしているというのは聞いているわ。毎日寝る間も惜しんで学んでいるそうね。無能は大変ね」
僕が必死に学んでいるのは事実だ。僕は残念ながら天才というタイプの人間ではない。
今の僕の成績は僕の努力の結果だ。だが、それの何がいけないんだ?
努力して優秀な成績を修める。結構な話じゃあないか。蔑まれるような事じゃあない。
「お前が何のためにそれほど必死で励んでいるか知らないけれど、そんなことは無駄よ。
そのうちきっと、お前の努力を簡単に超えてしまう本物の天才が現れるわ。
そうなってしまえば、お前のその大変な努力も全て無駄になるのよ」
その殿下の言葉を認める事は出来なかった。
その理由の一つは、単純にその考えが間違いだと思ったからだ。
天才がいれば努力する凡人が不要などということはない。両方いたほうが良いに決まっている。
それに凡人の努力が天才を超える事だってあるかも知れない。
少なくとも、一握りの天才がいるからといって他の誰もが努力しなくなったら、それは明らかに全体として衰えを招く。
そしてもう一つの理由は、努力することを否定される事は、あの言葉を、そして僕の誓いを愚弄する行為だからだ。そんな言動は、たとえ殿下の行いだったとしても許せない。
僕は覚悟を決めて反論を口にした。
「殿下、私にはそうは思えません。
努力という行為は、例え結果に現れないでもそれ自体に価値があります。そして努力の結果というものは、いずれは…」「お前に何が分かるというの!!」
僕の言葉は激昂した殿下にさえぎられた。
殿下はそう叫ぶと同時に、手にしていたペンを僕の顔に向かって投げつけた。僕はこれも避ける事ができなかった。
「あっ!」
殿下から小さくそんな声が漏れる。だが直ぐに罵声が続いた。
「なぜ避けられないの! 無能!」
「申し訳ありません」
僕はそう言うしかなかった。
「もういいわ。休憩にします。言いつけておいた物は用意出来ているのでしょうね」
殿下は僕に向かってそう告げた。
「……はい。直ぐにお持ちしますので、しばらくお待ちください」
僕はそう言うと隣接する給仕室へ向かった。
今までだって勉強がはかどっていたわけではないのにな。そう思ったが、そんな感想は隠しておくことにした。
僕は給仕室から綺麗に装飾されたケーキを運んで殿下の前に置いた。
それは、殿下の命令で僕が買った市井で話題になっている品物だ。
かつては、殿下が何かが欲しいと言えば、取り巻きの誰かが勝手にそれを用意していた。
だが、取り巻きは僕しかいなくなり、今の殿下の側近くに使えている使用人は、実質的に両陛下につけられた監視役で、当然殿下の我が侭を聞くことはない。
結果的に殿下の要望は全て僕のところに来る。
殿下は菓子類だけでなく、アクセサリーや小物の類も僕に命じて入手していた。
言うまでもなく、殿下はお金なんか出さないので全て僕の自腹だ。
はっきり言ってその費用は馬鹿にならない。
我が家の領地は貧しく、僕は仕送りなどもらっていない。
これらの費用は、休日の活動で僕が自分で稼いだお金から捻出している。
殿下は僕が献上したケーキを食べ始めた。
2・3口は機嫌よさそうに食べていたが、半分くらいになったところで、手にしたフォークが止まった。
「甘すぎるわね。もういらないわ。残りはお前にあげるわ」
そしてそう言った。
高貴なお方の振る舞いとして、さすがに、それはいかがなものかと思う。
だがまあ、くれると言うならもらっておこう。
元々僕が自分のお金で買ったものなのだし。
そう考えた僕は「ありがとうございます」と言ってケーキに手を伸ばした。
しかし、僕の手がケーキの乗った皿に届く前に、殿下が皿を持ち上げ、いきなりひっくり返して、残ったケーキを床に落としてしまう。
「や、やっぱり、お前にあげるくらいなら、捨てた方がましね」
そして、そう言い放った。
いや、だから僕が自分のお金で買った物なんですが?
僕は文句を言う気力もなく、床に落ちごみになってしまったケーキと汚れた床を掃除した。
これを買うのに結構苦労したんだがなあ……
その後少しだけ殿下の自主勉強は続いてから終了となった。
僕は帝都内にある我家の小さな屋敷に戻った。
「はぁ」
殿下の振る舞いについて考えると、つい溜息がもれてしまう。
いったいどんな環境で育てばあんな性格の人間になってしまうんだろう……。
そう思うと、僕は悲しみさえ感じた。
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