第16話 覚悟と勇気

「よし、これだけあれば何とかなるかな」


 瑠華と別れ体育館に避難していた霧奈は自分と姉の身を守るために弓道場から竹弓と矢を竹筒に入れ姉のもとまで戻ろうとしたその時、ドカーンという音とともに多くの人の悲鳴が霧奈のいる場所まで聞こえてきた。


 霧奈は急いで悲鳴のしたグラウンドの方へと走り出す。そして見てしまう。そこにいたのは一匹のワイバーンがグラウンドの中央で他の人たちと戦っている光景だった。ワイバーンの足もとには人だった肉の塊のようなものが血を周囲に飛び散らせ、木刀や箒を持った人たちが無謀にも立ち向かい、無惨に噛み殺されていく。あまりにも一方的なこれは戦いというよりも虐殺に近い。


「早く逃げないと」


 霧奈は目の前の光景から目を背けようと無意識に口からそんな言葉が溢れた。


「逃げるってどこに?ここから逃げてどこに行くの?もうこの世界には安全な場所なんてないんだから。私も戦わないと」


 震える足を必死に前へと進ませる。わかっている自分が行ったところでなんの役にも立てないことなんて。自分もあそこにいる人たちみたいになんの抵抗も出来ず殺されていくんだって。


「それでも、もうお姉ちゃんを失わないために。もうこれ以上自分を嫌いにならないために」


 霧奈は手に持つ弓を強く引く。ワイバーンとの距離はおよそ六十メートル。これは霧奈が普段部活で的を狙っている距離とほとんど同じだ。違うところといえば的がでかいことだろう。いつもの的の大きさは直径百センチほどに対して、ワイバーンの大きさはだいたい五メートルほど。いつもの五倍もの大きさの的だ、恐怖で体が震えていようとも霧奈なら余裕で当てられる。


「まだ、もう少し」


 弓を強く引き狙いを定める。さっきまで震えていた指も弓を引き始めれば自然と治ってくる。


「まだまだ、あと少し」


 今霧奈が弓を引いている間も次々とワイバーンに立ち向かっていき、虫のように潰されていく。そんな光景を霧奈は目を逸らすことなく見つめ続ける。


「早く、早くこっちを向け」


 ワイバーンは未だ人を殺すことをやめない。立ち向かう人たちも自分たちが死ぬことをわかっていて立ち向かっているのだ。もし自分じゃなくて七瀬くんがいたらすぐさまワイバーンを倒せたかもしれない、もし神楽さんがいればこの人たちは死なずにすんだのかもしれない。そんな考えが集中している思考を邪魔する。


「今だ!」


 ワイバーンが一瞬こちらを向いたその瞬間、強く引かれた弦は激しくしなり、矢は一直線に狙った場所へと向かっていく。


「グギャァァァァァァ」


 矢は見事ワイバーンの右目に当たり、そこから赤い血が流れる。ワイバーンの周囲にいた人たちもその攻撃に呆気に取られ攻撃する手を止めている。


「やった」


 霧奈は弓を握るてで拳をつくり小さくガッツポーズを取る。その時霧奈はワイバーンの残った左目と目が合う。その目は先ほど戦っている人たちに向けられていたものとは違い鋭く、そしてその瞳には霧奈の姿が映っている。


(やばい早く逃げないと)


 目が合った瞬間次に見えた光景は自分がワイバーンに踏み潰される姿だった。霧奈は手に持つ弓をその場に捨て走り出す。しかし、それよりも早く右目を失い怒り狂っているワイバーンは霧奈の逃げ道を塞ぐように現れた。


(あ、私死んだかも)


 ワイバーンの口がゆっくりと、そして今までの記憶が、走馬灯が視界に走る。


◇◆◇◆



「あれ?ここはどこ?」


 霧奈は気がつくと月光がさす森の開けた場所に一人立っていた。先ほどまで目の前にいたワイバーンの姿はなく、それどころか人の気配すら感じない。


「うそ、私死んじゃったの?」


 霧奈は周囲を見渡す。前を見ても森、左を見ても森、右を見ても森、もちろん後ろを見ても森だ。


「まさか死後の世界がこんなに自然豊かな場所だなんて、想像とは全然違う」


 霧奈が想像していたような雲の上の暖かい世界とも、地面の底のような薄暗い世界とも全く違う。


「私よく頑張ったよね?」


(そうだ、私はよく頑張った。あんなに大きな怪物に一矢報いたんだ、みんなのために頑張ったんだ、もう充分やったよ。だから…)


「だからお姉ちゃんも許してくれるよね?ごめんなさい今回こそ守るって、絶対に死なせないって決めてたのに私の方が先に死んじゃうなんて。お姉ちゃんきっと怒ってるだろうな…」


 霧奈の目からはダムが決壊したかのごとくたくさんの涙がこぼれ落ちる。これほど泣いたのはいつぶりだろうか。おそらく幼少期に母親に叱られて以来だっただろうか。今思えばどうしてあの時あれほどまで泣いたのだろうか。今ではよく思い出せない。


「何をそんなに泣いているの?」


「ふぇ?」


 一人涙を流す少女に一つの美しい声がかかる。その声はまるで静かな森に響くかのように澄んでおり、聞いているだけで心が落ち着くようなそんな声だった。


 霧奈は空を見上げる。そしてあまりの眩しさに手で影を作る。そこにいたのは白い布で肌を覆い隠し、足にはサンダルを履いている。そして、何より目を引く美しいほど透き通った長い髪は月の光に反射し輝いているように見える。


「あなたはとても強い女なのだから泣いてばかりいてはダメよ。あなたにはたくさんの人を救うことのできる力があるんだから」


 その女性はまるで重力を感じさせないような動きで夢宮の目の前に降り立つ。


「あなたには覚悟がある。あなたには勇気がある。だから私の"力"を貸してあげる。この力があればきっと大切な人を守ることができるは。さぁ、あなたの名前を教えて」


 そういうとその女性は霧奈の額に自身の額を合わせる。その途端ありえないほど体中に力がみなぎり、血液のごとく体を循環する。


「夢宮 霧奈(ゆめみや きりな)っていいます。あの、あなたの名前聞いてもいいですか?」


 霧奈は自身の体に起きた変化よりも女性のことが気になって仕方なかった。


「私の名前はよ」

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