第5話


「――というわけで、夜野は……『珠樹天狗』と呼ばれるようになったそうだ。きっと今も、いつか天狗紋を刻んだ珠樹が再来するのを待っているのだろうと、地元民は囁いている」


 つらつらと語った岩鞍の言葉が終わった時、春花は思わず瞠目した。

 そして、つい尋ねた。


「その珠樹というブナの木の神が贈った首飾り、今も身につけていたりする?」

「当然だ。俺はひと目でわかったぞ、その耳に天狗紋が仮に無かったとしても、俺は珠樹を見間違えたりはしない」

「今は、春花って名前なんだよ。そう、そっかぁ。あー、解決した。夢に出てきたのは、確かに君だったし、あの場所は私達が過ごしたこの山だ。雪狗山の、私達の家の風景かぁ。たった今、私はすべてを思い出したよ。探しものって、私の事だったんだよね?」

「その通りだ。そして俺が天狗だと町の者は知っている。俺がずっと待っている事も、な。例えば、今のお前の祖父とてそうだ。会えて良かった。やっと、『いつか』が来たと思って良いのか?」

「私も会いたかった、の、かなぁ? 兎に角、夜野が天狗神になれてホッとしてる。私はずっと君が先に死んでしまうと思っていたからね」


 苦笑した春花を、岩鞍夜野を名乗って、人の姿を象っているある天狗が抱きすくめる。


「今度こそ、俺の番になって欲しい」

「待っていてくれたのかぁ、ああ、まずい、嬉しいなぁ」

「それで、いつかの約束は?」


 嬉しそうな顔をしているのは、岩鞍もまた同じだった。二度瞬きをしてから、春花が目を伏せ、軽く顔を斜めに傾ける。二人の唇が触れ合ったのは、その直後だ。それが、答えでもあった。


「大学を卒業したら、私はこの町に『戻ってくる』よ」

「そうか」

「そうしたら――今度こそ、きちんと番にしてもらおうかな」

「断る」

「え?」

「今が良い。もういつかなんてこりごりだ」


 微苦笑しながら岩鞍が述べると、春花がクスクスと笑った。そして自分から岩鞍に、更に強く抱き着いた。


「私も、もう死別が怖いなんて言い訳をするのはやめる。今で良いよ。だけどまさか、君より先に私の方が逝くとはなぁ」

「何があるかは、誰にも分からないものだな。閉館作業をしてくる。俺の先生はお前なのだから、もうこれ以上の御伽噺の講義は不要だろう?」

「そうだね。まぁ卒論用には、ちゃんとしたインタビューの記録とかも欲しいから、あとで協力は求めるけど」


 その後は岩鞍が作業をするのを、楽しそうに春花が見ていた。

 そして陽が落ち始めた外へと、二人そろって歩き出す。


「夜野が雪狗山の珠樹の所に今も居るという部分はお伽話だよね? だってここにいるんだから」

「町の中に、人の姿で暮らす家がある。だが何かと山には戻っているぞ?」

「そっか。私の足ではもう山にすぐには行けないけど、町の中でも話せるんだね」

「ああ、俺ももっと珠樹と――……春花と話がしたい」

「うん。今の私は、春花だよ」

「会いたかった」

「ごめんね、私はすっかり君のことを忘れていたんだよ」

「いいや。逆に、記憶が戻った事に驚いている。それに何も謝る事は無いだろう? お前は悪い事なんて何もしていないのだから」

「ううん、やっぱり、謝るべきだよ。一途に待っていてくれて嬉しいって喜んでるもん。君を悩ませたはずなんだけど、それすらも嬉しくて。私は本当に、忘れていたしね」

「構わない。記憶が無くとも姿が変わっても、俺にとって珠樹は珠樹なんだ。名前が変わっても、それは同じだ。今後も、ずっと俺はお前を見つけ続ける」

「嬉しくて死にそうだよ」

「やめてくれ。なるべく長生きして欲しい」

「切実だね」

「ああ、切実だ」


 そんなやりとりをしてから、そしてどちらともなく視線を重ねてからキスをした。


 譲原春花という人間になってから、珠樹は誰かに恋をした事は無かった。だが、甦った記憶が、それで正しかったのだと教えてくれる。何せ今、夜野が大切だという想いでいっぱいなのだから。


「夜野、好きだよ」

「俺の方が、お前を愛している。本当は、どこかで諦めていたんだ。もう会えないのではないかと。でも、信じる事しか出来ない俺がいた。だが、信じていて良かった」

「待っていてくれて、有難う」


 夜野がその言葉を聞くと、嬉しそうに笑ってから、春花の耳朶を噛んだ。すると春花の天狗紋がツキンと疼いた。夜野が何度も何度も、天狗紋に力を込めなおし、より深く魂へと番の証を刻み込む。


「――あ、そうだ。私、考えたんだけど」

「なんだ?」

「お伽話、続きをきちんと今後は付け加えないとならないでしょう?」


 春花はそう言って笑う。


「『無事に珠樹というブナと再会を果たした夜野という天狗』について、きちんと書かないとね」

「――そうだな。だが、最後の言葉は、口にするまでもない」

「最後?」

「それ以外の未来を、俺は決してお前に齎したりしない」

「それって?」


 首を傾げた春花を見ると、夜野が楽しげに笑った。


「『めでたし、めでたし』だ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天狗はかく語りき 水鳴諒 @mizunariryou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ