③小さな科学者と惚れ薬

 彼女の股下に小瓶だったであろうガラスの破片と薄ピンク色の液体がみるも無残に広がっている。さすが自称科学者というだけあって怪しい小瓶を持ち歩いていたようだ。たった今、割れてしまったのだけど。


「おーいまちこ、大丈夫? 息してる~?」


 声を掛けても頬を叩いても反応がない。となれば存命確認だ。喉元に指を付けて呼吸していることを確認。次は胸元に両手を当てて心拍確認。ちょっぴり山なりで柔らかく健康的な胸である。心拍も問題なし。


 他にガラスの破片で怪我をしたのでは、と心配になり触診してみたが太ももはひんやりすべすべ赤ちゃん肌で切り傷などは見つからない。不幸中の幸いだ。しかしながら構図的に彼女が漏らしたような絵になってしまった。黄色だったら完全アウトだったがピンク色だからまあセーフだろう。それこそ不幸中の幸いだ。


「いや、少し赤みがかっている方がもっとアウトか。大変だ。誰かに見つかる前に早く移動させないと」


 その前に記念として写真を一枚パシャリ。周囲を警戒しつつスカートをめくり、シロクマがデザインされている毛糸のパンツを拝んだあと彼女を廊下の端まで運んだ。さすがにパンツはパシャリしない。犯罪の線引きは理解している。ちなみに私のモットーは『法を犯さず人として必要最低限度の悪事を』である。もちろん嘘である。単純に可愛い子のパンツが見たかっただけだ。


 そして彼女は見た目どおり軽かった。寝顔もふにもち頬もまるで子供だ。足だってすね毛の処理もしていないのにすべすべ肌。それにツルツルじゃない毛糸のパンツ。湖畔まちこは総合的にみて小学生高学年くらいの女児であった。


「かわいいなぁ。こんな子がクラスメイトにいるなんて興奮する」


 いやしい意味ではない。ただ撫でまわしたくて甘えさせたくて愛でたいだけ。柔らかほっぺを触りたい。あわよくば吸いたい。いますぐ吸いたい。赤ちゃんの柔らかほっぺを吸いたくなる親の気持ちが分かった気がする。だけど嫌われてしまっては元も子もない。ギャルゲーだってコツコツと好感度を上げてから『バッキューン』するものだ。


「とりあえず頭を打ってるかもしれないし、保健室にでも運んだほうがいいかな」


 お姫様抱っこをして保健室へ向かおうとするが、突如、まちこはカッと目を開けてウナギのようにニョロニョロと身体をうねらせてわたしの腕からすり抜けた。


「気持ち悪っ!!」


 着地すると両肘をピンと伸ばし、片膝を上げて道頓堀グ〇コサインに勝るとも劣らない美しいフォームをしてみせた。思わず拍手をしてしまった。


「はっ、私はいったい何を!?」


 どうやら無意識行動だったらしい。まちこは状況把握のため不安な顔で周りを見渡す。まずい、そう気付いたときにはすでに遅かった。私の存在よりも先に水溜まりとなったピンク色の液体を発見してしまった。


「わ、わああああああ!! わたしの最高傑作が、無残なことに!!」


 まちこは膝から崩れ、叫び散らかす。ピンク色の液体をすくい上げるが案の定、指の隙間からこぼれ落ちていく。まるで液体と化した両親を発見して涙を滲ませる哀れな少女のようだった。その悲観ぶりに嘘なんてつけられなくて、私は「ごめん」と謝罪の言葉しか出てこなかった。


「ごめん……ごめんと言いましたか?」


 ゆらりと彼女は振り向く。人は他人から与えられた悲しみを消化できなければ、のちに憎しみに変化するもの。まちこの悲しみは憎悪の炎に姿を変えてメラメラと燃えあがっていく。その怪しい液体がどれだけ大事な物だったのか、彼女の復讐に滾る目が教えてくれる。


「アナタが極悪非道の犯人ですか——っっ!!」


 目元が涙で潤っている。怒った顔もこれまた可愛い。


「ってアナタどこかでお会いしませんでしたか?」


 怒りはすぐに鎮静され、眉をひそめて私の顔をまじまじと覗きこむ。どうやら一命を取りとめたようだ。


「典型的なナンパされたの初めてで、ちょいとばかり嬉しい」

「何を言ってるんですか。アナタ同じクラスのカレンさんじゃないですか。というかさっきまで同じ教室にいたじゃないですか。わたしをナンパしている風に仕立て上げないでください」

「そんなことよりまちこは」


 そう言いかけたところで、まちこは黙りなさいと言わんばかりに私のほうへ手を伸ばした。レッサーパンダのような可愛いらしい手のひらがこちらに向けられる。


「私のことは苗字で、湖畔こはんとお呼びください」

「まちこ」

「え、いま私が言ったこと聞いてましたか? 私のことは苗字の湖畔とお呼びください。浜名湖の湖に、田んぼの田と半額の半を合体させた畔、それで湖畔と呼びます。旧箱根の芦ノ湖畔の湖畔とも」

「まちこ」

「え、え、なんて意地悪な人ぉ!!」


 一触即発の空気でオヤジギャグを放つ頭のおかしい奴を見るような、おどろおどろしい顔をしている。


「入学してまだ知り合って間もないのに、よくもそんな意地悪ができますね! クラスメイトと仲良くなれるかな、相手の機嫌を損ねないように慎重に会話をしなきゃ、苗字で呼んでほしいって何かワケでもあるのかな、って思うのが普通なのに、むしろその距離の詰め方に感服です」

「えへへ」

「嫌味です!!」


 まちこは怒りを心に留めることができず頭を沸騰させる。耳まで真っ赤だ。もうちょっと怒りゲージを上昇させれば湯気が立ち昇りそうな気がした。こういう反応は私の意地悪心を刺激する。


「まちこって良い名前じゃん。私は好きだよ、昭和チックで」

「最後のが余計です!! そこが一番気になっているところなんです! まだキラキラネームの方が良かったです!」

「昨今、若い子の間でルーズソックスが流行ってるんだよ。昭和ソングも再ブーム来てるし昭和リスペクトの時代、来てるよ」

「それとこれとは話が違います! あんまり嬉しくないです!」


 論争に負けて声の勢いが落ち着いていく。だけど両手に作った握りこぶしはぶんぶんと勢いを増して動いている。それからおさげがぴょこぴょこ跳ねている。なんだこの可愛い生物は。こんな天然ぶりっ子は初めて見た。このまま楽しいお喋りを続けていたいが私にはどうしても気になることがあった。


「それはさておき、まちこは何を覗いていたんだい?」

「へっ、いや、私は別になにも~ぴゅ~」


 唇を尖らせてへたくそな口笛を鳴らす。ごまかし方が昭和アニメ風だ。


「廊下の先になにかあるのかい?」

「あっ、ちょっと!」


 まちこの制止を振り切ってひょいと曲がり角に手をかけて廊下を覗きこんだ。廊下の真ん中あたりで数名の女子生徒が群がっている。さっきのギャルと違って普通の身なりをしたα棟の女子生徒たちだ。

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