⑥十四と天使様
マッサージチェアが停止しても、十四は背もたれに体重を預ける。右手を伸ばしながら自身の指の先を眺めている。マッサージチェアの振動によるものなのか多少声が震えている気がした。
「あの野望は嘘じゃない。話した内容も誓って本心だよ。泡沫の夢なんかでは終わらせない。でも私、つよがってたんだ。カレンさんに見栄を張った。本当はどうしようもなく不安で自信なんてこれっぽっちもない。『失敗したらどうしよう』、『すべて壊れてしまったら?』、『逆にみんなを不幸にしてしまったら?』そんなことしか考えられない小心者なんだよ」
リラックスした体勢で彼女はコチラをみた。視線が合う。情けないでしょ、そう問うように彼女は自分自身に冷笑する。
「天使の輪っかは私に偽りの勇気を与えてくれるんだよ。天使様でいるときはどんなに失敗しても天使様のせいにできる。天野十四じゃない。天使様が悪いんだって。だから怖いもの知らずで飛び出すことができる。だけど天使の輪っかのない天野十四は脆いんだよ。天使様も永遠じゃない。いつしか天使様の存在が天野十四に代わったとき、きっと私は立っていられない」
ハリボテの天使の輪っかはピエロのくだらない道具なんかではなく、十四を支える道具だった。彼女の言うとおり天使の輪っかを身につけた『天使様』は、十四の両親が生み出した信仰対象の御神体でしかない。天使様の言葉は十四の言葉ではない。
十四はいつの日か『天使様』を手放す日が来る。魔法が解ける時が来る。そのとき天野十四が『天使様』と同じくらい多くの人間を惹きつけることができるのか。
「もしも私が作り出した世界が地獄と化したら? 私の指示で多くの人が死んでしまったら? そうなったら私はきっと正気を保てない。醜い悪魔に転身してしまうかもしれない」
怯えた顔で未来を想像する十四。両手で己を抱きしめている。それは妄想なんかで終わる話ではない。十四が道を踏み外したり、選択を間違えれば充分にありえる話だ。彼女の所属する宗教団体なら地獄なんて簡単に作れてしまうだろう。それを彼女も自覚している。だからこそプレッシャーは計り知れない。
「私がそうなったとしても、そんな私を、カレンさんは励ましてくれる?」
たとえ大勢の人を殺したとしても私を励まして、とも聞こえる。冗談だとはぐらかさず、私を答えを待ち望んでいる。
このとき十四は言葉のとおり励まして欲しかったのだろう。『十四なら大丈夫だよ」と背中を押して欲しかったのだろう。嘘でもいいから優しさに浸りたかったのだろう。
残念ながら私はそこまで気が利ける女ではない。その考えには至らず、「だったら」と、私は十四の手を握る。大きなカブを引き抜くみたいに全身を使ってリラックス中の十四をマッサージチェアから起き上がらせた。
「そのときは手をとって一緒に踊ろう」
「え?」
繋がれた手は離さない。片手から両手へ。逃さないようにしっかりと握ってその場でクルクルと回りだした。周りに利用客がいてもお構いなしに、木目のフローリングをキュッと鳴らして身体を寄せ合う。
「ちょ、ちょっとカレンさん!」
戸惑う十四だがそれでも私はやめなかった。一定のリズムで足踏みし、十四をサポートしながら踊る。小学生が鼻で笑うくらいド下手な創作ダンスだ。恥じらいも捨てて大胆に手を広げる。
そんな私たちに、ダンスの催し物が始まったのかと勘違いした利用客らは手拍子を鳴らしてくる。注目を浴びて十四は顔を俯かせる。でも恥じらいながらも楽しくなっている気がした。私もそうだった。
「ねえ十四!」
「なあに!」
「もしも地獄のような世界になってしまったらクラスのみんなを誘って皆で踊ろうよ! 戦争が起こったなら戦場で阿鼻叫喚の音楽に合わせて舞踏会を開こう!」
「なによそれ!」
まるでこの銭湯が舞踏会の会場みたいに手拍子に合わせて私と十四は踊る。踊り方なんて知るわけもない。手を繋いだまま、片手を伸ばしたりその場で回ったり、とにかく自由で楽しいダンスを踊る。そんな二人がロクでも会話をしているなんて誰も思わないだろう。
「彼岸花をアクセサリーにして、返り血まみれの真っ赤なドレスを靡かせてさ、屍の肉片で作ったステージの上で踊りあかそうじゃないの」
「ふふっ、ロマンの欠片もないね。でも面白そう!」
「お酒も飲んじゃってさ、学生時代の思い出をいっぱいしてさ、きっと楽しいに違いないよ!」
手拍子が速くなっていく中、最高潮のところで決めポーズをしてダンスは閉幕した。せっかくお風呂に入ったのに汗だくである。息が上がる中、手を繋いだまま私たちは見つめあっていた。お互いに前髪が汗に濡れてヘンになっている。それがツボにはまって息の仕方を忘れるくらい笑いあった。
「そのためには学校でも放課後でも、いっぱい思い出を作らないとね」
「ねえカレン」
繋いでいる手に力が入る。十四は真剣な眼差しで私の名を呼んだ。初めて呼び捨てにされた。
「そのときは私と一緒に地獄に落ちてくれる?」
「もちろん!」
普通の人なら戸惑い、言葉にするのを躊躇うだろうが私は考える間もなく返事をした。自分でも驚くくらい迷いのない即答だったと思う。そのときの私は純粋な笑顔を見せていたに違いない。
「迷子にならないようにしっかり手を繋いでさ、地獄でも一緒に踊ろうか」
「約束だよ?」
「口約束じゃ不安?」
「すこし不安」
「だったら」
私は片膝をつき、お姫様に忠誠を誓う騎士のように十四を見上げる。
「地獄に落ちてもダンスの相手をしてくれますか、十四様?」
彼女の手の甲に優しい口づけをした。十四はちょっぴり驚いた顔をして、時間差で腹を抱えて笑いはじめた。
「あははっ」
涙が出るくらい笑っている。どこにツボが入ったのか分からないが、ヒィーと息苦しそうに呼吸をしている。なんだか私が恥ずかしくなってきた。
十四の顎から零れ落ちる汗と涙。それを袖で拭きながら、十四は胸に手を当てて呼吸を整える。そして彼女は、仮初ではなく本物の、天使のような笑み浮かべてこう言った。
「図が高いぞ、ばあか」、と。
「この付近にコインランドリーがあったはずなんだよ」
「ほんとに~?」
街灯が照らしていないと暗くて先が見えない。それほど夜が更けてきた時間帯だった。
天野十四と裸の付き合いをして語り合った銭湯の帰り道、泥だらけの制服を洗濯しようという話になり、コインランドリーを探していた。銭湯の店主からビニール袋をもらい乱雑に入れている。まるで浴衣の巾着のように手首にぶら下げている。
スマホで地図アプリを開くも、最近できたばかりのコインランドリーのため検索してもヒットしない。たしか銭湯から駅へ向かう道の途中にコインランドリーがあったと記憶している。
「でもこうして夜の散歩をしているのも楽しいけどね」
「まあね。私も夜に出歩くこともなくなったから、ちょっと楽しい」
「ね」
十四は軽く鼻歌を唄っている。足取りも軽い。たまにスキップも踏む。その動きにあわせてビニール袋を振りまわす。彼女の金髪は夜でも輝いていた。月の光に照らされた花畑にアゲハ蝶が飛んでいるみたいに目を惹かれるほど美しかった。
「ねえ十四」
「なに?」
「コンビニ寄っていい?」
コインランドリーは見つからないがその代わりにコンビニがあった。住宅街の一角にまぶしい光を放つコンビニは、駐車場はガラガラで買い物客も誰もいなさそうだった。立地からしてどう考えても近所の住人しか使わなさそうなコンビニである。暇そうなコンビニ店員はあくびをしてまぶたを擦っている。
「ん、それなら外で待ってるね」
「買うものは決まってるからすぐ買ってくる!」
私は走ってコンビニに入店し、ものの一分もしないうちに出てきた。すでに買うものは決まっていたので爆速である。私が買ったのは軽食である。袋から白い包み紙に入った中華まんを取りだし、それを包み紙ごと半分にちぎる。すると甘い匂いとともに湯気が夜の空気を白く染める。それを十四に差し出した。
「肉まんが売ってなかったからあんまんだけど、食べられる?」
「えっ、あ、うん。ありがとう」
戸惑いながら十四はあんまんを受け取った。私は大きな口を開けてかぶりついた。こしあんの甘みが口いっぱいに広がる。生地はふわふわであんこの美味さを引き立てている。
「食べないの?」
十四は半分にちぎられたあんまんを静かに見つめる。もしかするとつぶあん派だったんだろうか。古来よりこしあん派VSつぶあん派で争いが行われていると聞いたことがある。もしや地雷を踏んでしまったか。
そう思ったが十四は大きな口を開けてかぶりついた。一口、二口、そして三口でたいらげてしまう。唇の端にはあんこがべっとり付いている。
「きっと私は、今日という日を絶対に忘れない。ありがとうねカレン!」
そうやって私だけに見せる笑顔に、どうやら虜になってしまったようだ。
「まだまだ夜は終わらないよ」
そう言ってビニール袋から小さい缶の炭酸ジュースも取りだした。二缶分買ったのでこれはシェアする必要はない。
静かな住宅街に『ぷしゅ』と反響させて、それから近所迷惑を考えず「「かんぱーい」」と楽しそうな声が響きわたったのであった。
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