⑤十四と天使様

「ああぁぁああ~」


 ジェット噴射のお風呂に浸かる十四。彼女の情けない声は更衣室を通りすぎて銭湯の受付まで響いていた。きっと煙突から近隣住民まで聞こえているだろう。気持ちよさそうに蕩ける十四の表情をみて他の利用客はクスクス笑っている。その笑みが自分に向けられているのだと分かると、十四はタコのように顔を赤くして身を縮こまらせる。


「いや、そうじゃない何やってるの私は!」


 水面をパチンと叩く。お正月の鏡餅のCMに抜擢されそうな良い叩きっぷりだ。十四はジェットバスや電気風呂の機能がある浴槽とは別に、普通の湯船に浸かる私のところへ移動し、ぐいっと顔を近づけてくる。


「ここはどこですか!?」

「ずいぶんと溜めに溜めたノリツッコミだね。まちこなら『もしや過去からタイムスリップして来たんですか?』って純粋無垢な質問が飛んでくるところだよ」

「まちこって誰!?」

「浮気を疑う彼女みたいな言い方しなくてもちゃんと紹介するからさ。というか十四も知ってるでしょう。ほら、天使の輪っかを凝視して悲鳴をあげていた子だよ」

「あのマンドレイクみたいな叫び声をあげた子、まちこちゃんって言うんだ。可愛い名前。明日改めて謝らないと。って違うそうじゃない!」

「違う違う、そうじゃ、そうじゃない~♪」

「突然の雅之やめてください。もう……」


 問いただすのを諦めて浴槽に寄りかかる十四。私の頭には小タオルを折りたたんで乗せている。十四も見よう見まねでタオルを頭の上に置いて、私に並んで大人しく座る。お母さんの真似をする子供みたいな行動にクスッと笑ってしまう。


「銭湯だよ。ここは昔の馴染みのお店なんだ」

「知ってます。遅いです。その返事をもっと早く欲しかったです」

「十四とのお喋りが楽しくてさ、ついつい余計なことばかり言っちゃうんだよ」

「そんなこと言われたら……何も言えないじゃない」


 金髪で作ったお団子をにぎにぎと触る。どうやら嬉しかったようだ。まちこは何でもかんでも表情に出やすいタイプだが、十四は表情に出ない分、そういった動作で感情が表に出るみたいだ。


 十四はお湯に肩まで浸かり、手足を伸ばしたあとに深く息を吐いた。湯けむりが視界を悪くさせる。それがまるで夢の世界にいるみたいに思えて悪い気はしない。


「私、銭湯なんて生まれて初めて来ました。天使である私には一般の方との過度な接触は禁じられていましたから」

「そりゃあ勿体ない。こんなに気持ちが良いのに」

「そうですね、とても心地良いです。だけどちょっとした背徳感があります。天使を演じているとはいえ、その名前を借りている以上はしっかりと役目を務めているつもりです。私に課せられたルールも原則守ってきました。だから私がこういった場にいて神様はお赦しに……」

「ここにいるのは天野十四だろ?」


 そう言っても彼女は理解が追い付いていないようで、ハテナマークを浮かべながら私の横顔を見つめる。


「天使様じゃなくて国立黒姫高校のω組の天野十四。だって天使様のシンボルである天使の輪っかなんて着けてないだし」

「え、あっ……」


 頭上に手をかざすもスカスカと空振りするだけ。普段から身に着けていると外しているのかどうか分からなくなるのだろうか。


「お風呂っていうのは汚れを落とすだけじゃなくて身体の疲労や悩み、不安、ツライことも全部お湯が溶かしてくれるんだよ。背負ってるものすべて脱ぎ捨ててお湯に入る。少なからず私はそう思いながらこの銭湯に通っていた。嫌なことがあったらよくここに来ていたんだ。良いもんでしょ?」

「もしかしてカレンさん、私を田んぼに落としたのは……」


 口にしかけた言葉を飲み込み、十四はひっそりと嬉しそうな笑みを浮かべた。


「十四の志は立派だよ。話を聞くまでは十四のこと見くびっていたもの」

「私、見くびられていたんだ」

「いけ好かないとも思ってた」

「いけ好かないとも思われてたんだ……」

「それは私が十四のことを知らなかったからだよ。なにひとつ知らなかっただけ。観測者として時代の転換ばかりを目で追っていたからか、私はつい最近まで他人に興味がなかった。でも十四の話を聞いているうちに、私はもう観測者ではないけど十四の行く末を見届けたいと思った」

「カレンさん……」

「ま、だからといって手伝ったりしないし手を差し伸べたりもしないけどね。でも」


 私はお相撲さんのように両手をまえに突き出して、いたずらな笑みを浮かべた。


「もし十四が歩いている途中で疲れてしまったら、私がいつだって堕天させてあげる」

「……ん」


 その短い返事は、『嬉しい』と『ありがとう』を重ねたような優しい声だった。身体が火照ってきたので私は湯船から立ち上がる。これ以上入ってしまうと湯疲れしてしまう気がした。


「私はそろそろ上がるけど、十四は?」

「もう少しだけ入ってていい?」

「ん」


 私は一足先に風呂場を出てたが、十四はひとりで湯船に浸かりながら天井を見つめていた。一人で感傷に浸りたいときは誰だってある。私もそうだったのだから。ゆっくり待っていよう、と思ったら、私が出ていったと同時に十四はひっそりとジェットバスのある浴槽に移動していた。


「……」


 更衣室で着替えている間、ふたたび情けない声が銭湯全体に響いたのであった。「まあ、十四が幸せそうならいいや」と、なんとも言えない表情で私は更衣室を出ていった。



 制服は泥まみれになってしまったが、銭湯の店主のご厚意で、すでに成人して巣立っていった息子さんのTシャツと半ズボンを借りることができた。制服は帰り道にコインランドリーで洗うとしよう。

 そしてお風呂の後は珈琲牛乳を飲みながらマッサージチェアで身体をほぐす。それが私の風呂場でのルーティンである。せっかくなので十四にもそれを堪能してもらうことにした。


「あ”ぁ”~ごれ”も”気”持”ち”い”いぃぃ~」

「満喫してるねぇ」


 マッサージチェアに全身をほぐされる十四を眺めながら、私は珈琲牛乳を飲み干した。美味しい。この味は数百年経っても変わらない。


「満足するまでゆっくりしててよ。私はあっちのベンチで休んでいるからさ」

「今日話したことなんだけどさ」


 その場を去ろうとした私に十四は唐突に話し始めた。振り返っても十四はマッサージチェアに寝転んだまま。空耳かと思いきやそのリラックスした状態で彼女は話を続けた。


「私が実家を乗っ取って世界中を幸せにするって話。ひとつだけ嘘ついた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る