第2話 特務中尉のカノン 1.1
信じられないことだが、このテントにはピアノがあった。
それもコンサートホールにあるような、でっかいグランドピアノ。でも、色は黒じゃない。木目調というか、どこかのお城に置いてありそうなやつだ。
「相沢特務中尉!」
と、オオカミのような叫び声で、男がテントに入ってきた。カーキ色でヘルメットをかぶっており、いかにも軍人、という格好をしている。
「B51高地、歩兵第44連隊が苦戦をしいられております。つきましては、応援の迎撃を願いたいと、師団長令です」
それを聞いた美少女は、寝起きみたく腕を伸ばして、ピアノの前へ向かった。
「ノゾミちゃん、あとでお茶しようね」
などと死亡フラグ的なことを口にすると、彼女はピアノを弾き始めた。
……なにやら、テンポの良いような、昭和初期のダンスホールでの舞踏会で使われていたような、軽快ながらも陰鬱な曲だった。それを美少女は、強烈なアクセントで打鍵しながらも、流暢に弾いている。
曲は永遠に続きそうだった。
終わらなければ良い……はじめて聞く曲だが、わたしですらそう思った。
さっきの男が再び入ってきた。
だけども、なにも言わない。
「もう、終わり?」
曲を弾き終えた美少女が男に聞いた。
「報告いたします。敵の多くは出血を見て、ほぼ壊滅状態とのことです」
男は敬礼しながら、右手にある紙を何度も見た。
「早いのね……」
ピアノから離れた美少女は、簡易テーブルのイスに腰をおろした。
「今回もカノン砲はいらなかったのかしら」
「恐れながら、相沢カノン特務中尉の方が、よっぽど強力かと……」
男のその返しに、その相沢カノンという金髪のピアノ少女は、あはは、と高笑いした。
もちろんわたしには、なにが面白いのか分からなかった。
カノンは、わたしに顔を向け、「座ったら?」 とイスを指差した。
「今、弾いていたのはね、ショスタコーヴィッチのワルツなんだけど、もちろんご存知よね? 本当はCマイナーなんだけども、今回はB地点というからキーはBマイナー、つまりロ短調にしたわ。1音落とすだけで変な感じね。そのせいか、ちょっと力強く弾いてしまったわ。でも、わたしとしてはキレイに弾けたから、2千人ぐらいは消えたんじゃないかしら」
ちょっと言っている意味が分からなかったが、わたしは「はあ……はあ……そうですか……」と適当にうなずいた。
「まあ、お茶でも飲んで、ゆっくりしてよ」
カノンがそう言うと同時に、ワッペンみたいなのを白シャツにつけた女が、ティーセットを持ってきた。
お茶というから、緑茶かほうじ茶かと思っていたが、違うらしい。
イギリス貴族がアフタヌーンティーでお庭で飲むような、あれである。
「今日はマンハッタンのアールグレイだけど」
そうですか……わたしはリプトンの紅茶しか知らん……ってか、マンハッタンで紅茶なんか作っているの?
女の人が、缶から茶葉を取り出し、ティーポットの中に入れて、お湯を注いだ。
アンティークショップに売っているような、ポット、カップ、ソーサー、それにクッキーが盛られた皿……
え、ここって戦場じゃなかったっけ……?
「そろそろ、お飲みいただいても大丈夫かと」
紅茶を淹れてくれた女の人が言った。
親戚に1人はいそうな、聡明なお姉さん、という感じがした。
「あ、申し遅れました。わたくし、お二人のお世話をさせていただくことになっております、カワシマ・ハルカといい、階級は准尉であります」
彼女は一礼すると、カノンとわたしにそれぞれ敬礼した。
「わたくしのできる範囲で、お力になります、双葉ノゾミ特務少尉!」
なんでこの女も、わたしの名前を知ってんだ……ってか、さっきからなんだよ、准尉やら中尉やら……え、少尉?
「はい。正確には明日、国王と総司令による任命によって決定されます」
……意味が分からない。そもそも今何時だ? わたしが川辺にいたときは、まだ午前中だったぞ。スマホ、スマホ……と、スカートのポケットをまさぐった。
……無い……え、落とした?
ってか、しまむらで買ったショートスカート、しかもデニム生地は、こうも簡単に破れちゃうの?
いずれにせよ、現代社会でスマホを無くすことは、死を意味するんですけど……
「電子端末でしたら」
と、カワシマさんが言った。
「現時点では、省庁所持となっております」
……いやいやいやいや、それは困る、それだけは困る、それだけは避けたい……!
え、じゃあだったらどうするの? 来週ある定期試験の問題範囲が書かれた黒板の写真とか、数すくない友達と撮った写真とか、そうそう、観に行ったバンドのライブ写真や動画とか、あれマジで背筋を伸ばして撮ったんで、翌日超筋肉痛になったんですけど……あと死んでしまった愛犬ペルの写真とか……2年生になって教室で撮ったクラスメイト全員の集合写真とか……
……そもそも、わたしは、なぜここにいるの……?
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