先生と俺の日常雑談

ヘイ

第1話 出会い

 

 よく晴れた日の夜。

 空には三日月が浮かんでいた。

 

「うげっ!?」

 

 変な感触。

 足元に目を下ろす。

 

「……ん?」

 

 地面にはオッサンが転がっていた。

 俺は足を退け、少し横に避けて通り過ぎようとして呼び止められる。

 

「お、おい見捨てるのかい?」

 

 見捨てるとは何なのか。

 オッサンと親密な付き合いはないし、このオッサンを見たのは今が初めてだ。関わりのない人間に砕身するのはバカだと思う。

 

「喋れるなら大丈夫じゃないすか。まあでも道路に倒れてたら車に轢かれるかもですよ」

 

 現に俺もこうして踏んでしまったし。車だともっと不味い。

 

「それもそうだが、アイタタタタ……踏まれた背中が!」

「何だこのオッサン」

 

 しまった。つい本音が出てしまった。

 

「痛いなー痛いなー! 背中と心が痛いなー!」

 

 左手で胸を押さえ、右手を背中に回してオッサンは喚く。

 

「……あー。はいはい分かりましたよ」

 

 俺は溜息を吐きながら無理矢理にオッサンの体を道路脇にまで引き摺る。

 

「痛い痛いって! ぬいぐるみじゃないんだから無理矢理に引っ張ったら痛いだろ!?」

「知りませんよ。ぬいぐるみよりも可愛げないのに優しくされるとか思わんでください」

 

 それに酒臭いし。

 

「で、オッサン。経緯いきさつは察しますけど、あんな所で寝てたら死にますよ」

 

 壁に寄りかかり座るオッサンを見下ろしながら、俺は言う。

 

「そのオッサンやめて〜!? 敬語使われてるけど、敬われてる感ないからさ!」

「何言ってんですか、オッサン。おじさんを言い易くしたのがオッサンでしょうに。オッサンのサンは敬称のサンですよ」

「それはそうだけどね?」

 

 まあ、尊敬なんてのはサラサラ感じてないのは事実。だって目の前の酔い潰れてるだけの初対面のオッサンを尊敬してくださいと言われても、素直に尊敬できるか問題だ。

 普通に俺は無理。

 

「水飲みます? 飲みかけですけど」

「良いの?」

「俺は全然」

「そう言うの気にしない?」

「別に俺は。あ、でも残さなくて良いですよ。流石にいらないんで」

「気にするよね!?」

「いや、そう言うんじゃなくて。ほら初対面なんで」

「そうだね、初対面だね。それもそうだね」

 

 俺はペットボトルをオッサンから少し離れた場所に置く。

 

「あのー? 普通に渡してくれない?」

「あ、すんません。これくらいの距離が適切かと」

「どう言う配慮の仕方なのかな? 少なくとも直ぐ手元にないんだけど?」

「ソーシャルディスタンス的なアレです」

「酔っ払いに試練与えるのに楽しみ見出してないかな、君?」

「いえ……そんな、ことは……ナイ、ですよ」

「隠せてないんだけど!?」

「酔っ払いは声デケーな」

 

 アルコールで気が大きくなってるのか。

 

「なんか段々辛辣になってってるよね? これ僕の勘違いかな!」

「最初から今までの流れ振り返ってくださいよ。何処に尊敬される要素とか、辛辣にならない要素とかあったんですか?」

「強かだよね、君。普通はさ、心の中でぐっと押し留めたりするよ、そう言うの? そんな明け透けな態度取らないよ?」

「これも才能ですかね?」

「そうだね。心が強えーんだ」

「えー。そんな褒められても」

「うん。だから水をね」

「そうでしたね」

 

 俺はペットボトルを拾い上げてキャップを開く。

 

「じゃあ。はい、口開けてくださいねー」

「え? いやいや! ちょちょちょ!? ふ、普通に飲ませてください! そんな某テレビタレントみたいな高所から水垂らさなくて良いからね!?」

「いや、一人じゃ飲めないかと思って」

「だとしてもそのやり方は違くないかな!?」

 

 俺はキャップを閉め直してからペットボトルを渡す。

 

「やっと飲める」

「全くですね」

「君のせい……いや、水貰ってるんだからそんな事言える立場じゃないけども」

 

 口をつけようとした瞬間に俺は「あ」と思い出したように。

 

「俺、実は女なんですー」

「ブッ!」

「……って、どんだけ酔ってんですか。んな訳ないでしょうに。声聞いて分かりません?」

「だよね!? 気にしないとか言ったのに今更、実は女とかブチ込み過ぎな真似、冗談以外でやらないよね!?」

「そりゃそうでしょ。見てください、このお胸。どこにおっぱいがあるんですか。男らしい胸でしょ。夢も希望もない」

「男らしいかどうかは分からないけど、女の子皆んなにおっぱいがあると思ってるのは一部の女子に喧嘩売ってると思うのよ、僕は」

「あー、それ公言しちゃダメなやつですね。酒飲めるってことは社会人ですし。というかオッサンなんですからコンプラくらい覚えておかないと。どんなに小さなおっぱいでも、おっぱいはおっぱいですよ」

 

 小さい胸でも、大きい胸でも。

 

「そうだね、ごめんね……ってコンプラ意識ある人はね、おっぱいを連呼しないと思うね、オジサンは」

「まあどうでも良いですけど、俺男ですし。てか水飲まなくて良いんですか?」

「君が水を差したんだよね? 良いの? 本当に飲むよ?」

「ほら、グイッと一発」

 

 俺がジョッキを持ち上げるような身振りをすれば、キャップを開いてオッサンがゴクゴクと流し込む。

 

「いやー、助かったよ」

「助けてあげたのでお礼に何かください」

「押し売りレベルの話だよね。僕を強請っても出て来るのは吐瀉物くらいだよ?」

「いやそれは強請るってより、揺するですね。全く、水をあげたし俺の初めてもあげたってのに感謝は一言だけですか」

「人聞きの悪い言い方やめてくれないかな!? 君の初めてって何さ! やっぱり、水の事気にしてる!?」

「酔っ払いの他人を助けた初めてですね」

 

 水のことは全く。

 友達同士、ではやった事もないし。恋人も居た試しはないが。まあ、姉とはやってたから初めてでも何でもない。

 

「何かドッと疲れたよ」

「お仕事お疲れ様です」

「いや、君とのやり取りに」

「俺は面白かったですよ。酔っ払いの必死さが」

「性格悪過ぎない?」

「通りすがりの男子高校生に助けを求めて、ヤンキーの慰謝料請求みたいな真似されたので」

「いや、それは……ほら」

「まあ、面白かったので問題ないです」

「でも助かったから、水のお金くらいは払うよ」

「あ、お礼とかは本当はどうでも良いんで」

「それじゃ悪いよ。僕の気分的にも」

「じゃあ、ちょっと待ってください」

 

 俺はスマホを取り出して、着信履歴を探す。

 

「え、なになに? 水の料金調べてる? もう、五百円くらいなら出すよ。助けられちゃったし」

「あ、いや。ウォーターサーバー買おっかなって」

「うぉおおい!! それは流石に話が違わないかなぁ!?」

「冗談です」

 

 俺はスマホの電源を落とし、ポケットに戻す。

 

「まあ、百円で。それくらいなら貰います」

「良いの? 百円で」

「貴重な経験もしましたし。こんな体張った芸を見せられたら」

「見世物じゃないよ!?」

 

 声デケーなぁ。

 俺はそんな事を思って少し笑ってしまう。

 

「どしたの?」

「いや、もう少し近所に配慮したほうがいいかな……と」

「うぐっ。でも叫ばせるような事してるのは君だからね?」

「酒がなかったらもう少し冷静に対処できたんじゃないですかね?」

「ぐぬぬ。それは否定できない」

 

 そこは否定して欲しい。

 

「そういえばオッサン」

「うん?」

「倒れてた経緯いきさつは泥酔してたからで納得してますけど、泥酔するに至った経緯いきさつは何なんですか?」

「それは……」

「仕事失敗しました?」

「仕事は適度に頑張ってるよ。来たばっかりでまだ慣れないのもあるけど。でもね、男は酔わないとやってらんない時があるんだよ。君も大人になると分かるさ」

「……嫁さんに浮気でもされました?」

「不倫だよ。浮気じゃない」

 

 酔っ払いと思えないほどレスポンスが早い。

 しかも暗くてよく見えないのに、何処となく哀愁が漂ってる気がする。

 

「定義でも調べました?」

「…………」

 

 無言の肯定だろう。

 

「そ、それより! 君こそこんな時間に出歩いて危ないじゃないか! オジサンが家まで送ってあげるよ!」

「凄い下心ありそうなんで遠慮しておきます」

「ないよぉ!? 僕の恋愛対象は女の子だけなの!」

「ゲイクイーンの子は?」

「げ、ゲイ、クイーン……? 色々情報がこんがらがるけど、僕の恋愛対象は女の子なの!」

 

 必死過ぎる。

 

「それで君、こんな時間に何で外に?」

「あー……それがですね。家に台風がやって来まして」

「た、台風!? そりゃ大変だ! 一日くらいなら泊まって行ってもいいよ?」

「下心は?」

「ないよ!?」

「あ、いや……でも。あー、流石にこれはなぁー」

「な、何? ハッキリ言いなよ。気になることがあったらさ」

 

 本人もこう言ってるなら。

 

「奥さんに迷惑じゃありません?」

 

 あ、固まった。

 

「もしもーし、オッサン?」

「……ないよ」

「はい?」

「妻は家に居ないよ! 不倫相手の所に行っちゃったよ!」

 

 泣いてるし。

 

「泣かないでくださいよ。オッサンにも良いところありますって」

「そうかな」

「ほら、今日は俺の家に泊めてあげますから」

「ありが……って、台風来てるって言ってなかった?」

「いや、来てますよ。超局所的な姉貴という名の台風が、彼氏を引き連れて」

「ねえ、何でそこに僕を誘ったのかな?」

「いや、俺一人だと姉貴のイチャイチャに耐えられないので」

「それだったら僕の家の方が落ち着くと思うんだけど!」

「未成年を家に連れてく時点で犯罪者すね」

 

 泥酔で判断力が低下してるみたいだ。

 

「ま、この百円でどうにかしますよ」

「それはどうにもならないと思うけど。警察に見つかる前に帰った方がいいと思うよ、僕は」

「そうします。じゃ、またどっかで」

 

 そうだ。

 

「ここであったのも何かの縁ですし。俺はヤマノメです」

「ヤマノメくんね」

「ハンドルネームです」

「そこは本名でしょ、普通!」

「名前が知りたかったら自分からですよ」

 

 オッサンは「よっこいせ」と年寄りくさく立ち上がる。

 

「そうだね。僕は瀬名川せながわ。これ本名ね」

「じゃ、瀬名川さん」

「やった、やったぞ! オッサンから卒業したぞ、僕はっ!」

 

 右腕を空高く突き上げるガッツポーズ。どんだけ嬉しいんだか。

 

「オッサンはオッサンですけどね、瀬名川さん。俺は狭山さやまです。また会えるかは謎ですけど」

「そうだね。でも世間は狭いよ? 妻の不倫相手が僕の高校の同級生だったくらいには」

「恐ろしく狭い世界ですね」

 

 それを聞くと、直ぐにまた会いそうだ。

 そしてそれは当たっている事を俺は痛感する事となった。

 

「────失礼しますよ、酔い潰れ先生。またの名を倫理赤点先生」

 

 俺の学校の新任の先生だった。

 

「しーっ! お願いだから黙ってて!」

 

 

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