とりあえずの箱

伏見同然

最初の箱

 うちのクローゼットには、とりあえずの箱と呼んでいる箱がある。


 片付け術のサイトなんかには定番で出てくるものなのだけど、どこにも置くところはないけど捨てられないものをいったんダンボールに入れておいて、一定期間使わなかったら思い切って捨ててしまいましょうという、ずぼらな僕にもすぐできそうな方法だ。とりあえずボックスなんて紹介されていたんだけど、うちのボックスは案の定すぐいっぱいになって、それでも捨てられないものが永遠に閉じ込められることになったので、開かずの間みたいな雰囲気で、とりあえずの箱となっていった。

そんなこんなで、娘も小学生になる頃には、とりあえずの箱が5個に増えて、いよいよ最初のとりあえずの箱を整理しなきゃなというときのことだ。クローゼットの一番奥の端っこから、箱を引っ張り出したとき、ふとある記憶が蘇った。


 高校3年生の夏休み、男友達から海に行こうと誘われた。その友達は車が好きで、免許も真っ先に取りに行き、とにかく運転をしているのが好きだったので、夏休みに遠くまでドライブする理由が欲しいんだなと思った。どうせならということで、女友達も2人一緒だということだったが、そのときは特に何も考えず、わかったということだけ伝えたと思う。

 当日、早朝に家の前で待っていると車がやってきた。目の前に止まった車には、運転席にもちろん男友達。そして、助手席と後部座席に1人ずつ分かれて女友達が座っていた。

「おはよう。よろしくー」なんて平静を装って、空いている後部座席に座ったが、実は頭が混乱していた。なんとなく描いていたイメージでは、自分が助手席に座って、道案内をしたり、眠気覚ましに会話したりしようと思っていたし、特に帰り道は後部座席の女友達が寝てしまっても、自分だけは起きていなければと思って、前の日は相当早く布団に入っていたからだ。

 前のふたりは、この車には私達だけしかいないというかんじで、はしゃいだ会話をしている一方で、後部座席のふたりは最初に軽く話した以降沈黙が続いていた。その女友達のことは、知ってはいるけど仲が良いというわけでもなく、まさかこんなシチュエーションになることなんて、頭の中のパターンに含まれていなかった。

 海に向かっている車内で、気の利いたトークもできないやつと思われる前に、自分の中で今日は寝不足だという設定にして、いかにも眠そうにして目を閉じた。もちろん、睡眠は十分に足りていたので眠れるわけはない。


 そのとき、右手を女友達が握ってきた。そっと優しく包むように。


 目を瞑っていても、それが事故的に触れたものでもなく、起こすために揺さぶっているものでもないことはわかった。

 目を開けることもできずに、これはいったいなんだと考えた。そもそも男と女が2人ずつで海に行くという状況。わざわざ女友達ひとりだけを後部座席に乗せ、自分が座る場所が設定されていること。前のふたりが不自然なまでに後ろに触れてこないことなどが繋がった。しかし、この女友達が自分に好意があるなんて考えたこともなかったし、だから自分がこの子をどう思っているかなんて全くわからなかった。


 そのままどうしていいかわからずに、とにかく寝たふりだけを続けていて、冷房の効いた車内で右手だけが暖かくなってきた頃に、一瞬前のふたりに沈黙が訪れた。

すると、自分以外の3人がどっと笑い始めて、その瞬間に右手からそっとその子の手は離れていった。

 そこで起きたふりをした自分がまわりをキョロキョロ見回して、その子の方をちらっと見ると、窓の外を見ながらくすくす笑っていた。

 結局、なんで笑いが起きたのかも聞けないまま海に到着して、少し海に入ったり、砂浜でご飯を食べたりして帰ったのだけど、帰りの車では何にもなく、それこそ女友達ふたりは寝てしまって、それを起こさないように黙ったまま男友達の運転を見ながら、あれはなんだったのかを考え続けた。自分に好意があることを、他の3人が知っていた作戦だったのか、自分をからかういたずらだったのか。


 別れ際も、そのあとも、その子とは何もなかった。

 男友達にも聞くことができずにきてしまったので、今に至るまで何だったのかはわかっていない。


 いい思い出のなのか悪い思い出なのかよくわからないけど、捨てられない思い出として、とりあえずの箱にしまっていたのかもしれない。そんなことを考えながら、一度出してきたとりあえずの箱を開けることはせず、そのままクローゼットの奥に戻した。

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とりあえずの箱 伏見同然 @fushimidozen

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