25.6月のマーメイド【side-光希】後編
そうして迎えた6月の第3日曜日
阪神競馬場 マーメイドステークス 芝2000m
1番人気 2番 ミュシャズスマイル
2番人気 5番 ブラックピンク
3番人気 8番 ヒヤヤッコ
4番人気 6番 レイカプリンシパル
3月のレースで1着だった富田先輩の馬が1番人気、高松先輩は白っぽい葦毛とそのユニークな名前で人気のヒヤヤッコとのコンビで3番人気になっていた。
対して私の馬・レイカプリンシパルはというと、レイカに頼まれてから手綱を取った3戦全てで馬券的中圏内、つまり3着以内を逃す結果だったので今回は4番人気に甘んじている。それと……
「いよぉ、人魚姫さんとやらじゃねえか。お友達の七光りの次はコレだもんな。これだから女は……」
私の苦手な関東のベテラン、黒田快が2番人気の馬に跨って出走していた。
『ベテラン』といえば聞こえはいいが、騎手歴だけがやたらと長い割にそこまで大きな成績は上げられず、私と同じような条件戦で5番人気以下の馬に乗り勝った負けたを繰り返している中年騎手だ。私もそこまで大きな成績を挙げられていないので実績という点で大きな事は言えないのだけど。
ただ私が苦手だと思っているのは品性を感じられないその発言と態度。トレセン内の食堂でも調整ルームや記者控え室なんかでも、同じような年代の同じような境遇の中年騎手たちと中央付近のテーブルに陣取って、いつもあれこれと若手の揚げ足を取るような発言で盛り上がっている。
例えばレース中、若手がたまたま進路上に居て自分の馬が前に出せずに終わってしまった時などは、わざと聞こえるように「俺らの若い頃は先輩方の進路塞ぐなんておっかなくて出来なかったんだがなぁ。最近の若手は礼儀なんてあったもんじゃねえや」などと口々に言い合ったりしている。そんな態度だから騎手年数が上であるという事以外に全く尊敬できる要素も無いのだというのに、気付いていないのだろうか?
そんな黒田が、新堂さんの書いてくれた『同期や自分自身のために頑張る、6月のマーメイド!』と題された記事をたまたま見かけていたらしく、わざわざそれを揚げ足取りの材料に使ってきたのだ。それも発走する時、隣の枠という最悪の状況で、である。
「愛しの彼氏は今日のレースは出てねぇんだな?美浦に帰って彼氏に跨って慰めてやった方がよっぽど良かったんじゃねえの?」
「ホントだよ、そうすりゃこんなボロ馬じゃなくて4番人気に先輩様が乗ってやるっつうのによ。配慮ってモンがなってねえよなァ?」
ゲートが開くのを待っている間、反対隣のベテラン騎手と口々に汚い言葉を投げてくる。今の社会でそんな発言は間違いなくセクハラパワハラの類だと思うのだが、さすがにゲート内での会話までは係員には届いていないだろうし、そもそも訴える先すらないのが競馬というこの世界の現状だ。
でも、だからと言って、こんな奴らに負けてたまるか!!
「残念だけどあの報道以来萎縮してるみたいで、跨ってもしぼんじゃってダメなのよねェ。だから今日の私の騎乗見せて勃たせてあげるのよっ!! 」
彼らにとっては多分、想定外の反論だったのか黒田ともう反対隣の中年騎手が一瞬動揺してスタートが遅れる。その隙を突いて私はロケットスタートを決めて飛び出した。これで奴らにマークされてレースを妨害される心配は無いハズだ……代わりに自分の
《マーメイドステークス、スタートしましてまずは1頭、レイカプリンシパルがハナを切る! 遅れてヒヤヤッコがこれを追う展開。2番人気のブラックピンクはちょっとダッシュが付かなかったか最後方からです》
「おおー光希ちゃんやるやないの♪さっきのはオッサンたちビックリしてたで、俺もやけど」
「ヤダ!! 風馬先輩聴こえてたんですか!? あ、あんなの冗談に決まってるじゃないですか」
「ハハハ、わかっとるって。でも随分思い切って揺さぶりかけてった所は素直に拍手したるわ」
そのまま先頭争いに来るのかと思った高松先輩だけど、ここで争うつもりは無いらしく私の斜め後ろに付けた。
「今日は姫様をエスコートする王子様役やからなぁ、俺の定位置はここや」
愉快そうに話す高松先輩の方を振り返ると、私と高松先輩がインコースを占有する形になって他の先行馬たちが前へと進出してくるルートを塞いでくれている。他の馬に突かれてペースを上げざるを得なくなる展開からまさしくエスコートしてくれているのだ。今のところは。
《先頭はそのままレイカプリンシパル! その後にヒヤヤッコが続く形でその後ろをサンジノヒロインとプリンセスユリヤンが追走。1番人気2番人気はまだ後方で3コーナーを廻って残り800mを切ります》
ここまでは展開の向きか、それともホントに高松先輩のおかげなのか楽に逃げを切らせてもらっているけれどこの辺りから、後続の馬たちが前に押し寄せようと虎視眈々と狙いを定めているのが感じ取れる。そして……
「そろそろやな。
光希ちゃんゴメンやけど、俺のエスコートするお姫様は光希ちゃんや無くてヤッコちゃんなんや。風よけご苦労さんな」
「そういう作戦なのは薄々気付いてましたよ風馬先輩!! 」
ここまでは利害が一致して共闘してくれていた高松先輩の馬が真っ先に牙をむき、並びかけようと速度を上げてくる。それを見てか、最前列の均衡が崩れたのを感じ取った後続の馬たちもコーナーを回りながら加速して押し寄せてこようとしているのが分かった。
《さあ第3コーナーと第4コーナー中間点、先頭は単騎から2頭並んでの追い比べ!さらに後続も押し寄せる》
高松先輩に並ばれまいと必死に馬を追いながら第4コーナーを回る。そしてコーナリングが終わって直線に立とうとしたその時!
「……邪魔すんなやクソアマぁ!! 」
追い比べている高松先輩の反対側、インコースギリギリのところになんと追い落としたはずの黒田が迫って来ていた。他の後続の馬たちは先行する私たちをかわすため外側に進路を切る中で、イケると判断してコーナーの内側を廻って加速してきたらしい。
咄嗟にインコース側へ寄せて蓋をすることも考えたが、それをすればこの男は馬をぶつけてでもコースをこじ開けてくるだろう。そう判断した私はそのままで馬を進めた。
「先輩が通る時は道を譲るモンだよなぁコラ! さっさと手綱弛めて後ろに沈めよ! オレの
インコースの進路は渋々空けたというのに、黒田は馬をこちらに寄せながら恫喝してくる。私は手綱を必死にしごいて馬を追うがどうしても振り切れない。チラリとアウトコース側も見ると高松先輩も富田先輩の馬と追い比べになっている。
《さあ直線あと200mで1番人気から4番人気の4頭が一閃横並び!ここからどの馬が来る!?》
『ねえ、あたし光希には頑張って欲しいって心から願ってる』
「何よ急にそんな事」
こんな局面で思い出したのはレース3日前の木曜日の夜、レイカからの電話。
『
それで分かったんだ。復帰するなんて簡単な事じゃない、そんな世界で私が辞めた後も頑張ってる光希はどれだけ凄いかって事』
その後に騎手に戻るのは諦めたわ、という言葉を彼女はぽつりと添えた。
『新堂さんの記事だっけ?あれSNSで拡散されたやつにもコメントとか来ててさ。私や光希と同い年で、でも仕事が全然上手くいかなくて、そんな中で記事に励まされたから光希を応援するって、今週のレース観に行くってコメントしてる子が居たの。そうして誰かの光になれるって凄い事なんだなって素直に思った。だから、絶対に勝ってね』
そう、私がこのレースに勝ちたいと思っているのは自分自身のためでもあるけれど、そうして誰かの光になれるかもしれないっていう想いの方が強い。騎手としてはもうあきらめたってレイカの為に。記者という立場で応援するって言ってくれた新堂さんの為に。名も知らないけれど私の頑張る姿を自分に重ねて応援してくれる人のために。負けるわけにはいかないんだ。
「っせやァァァァァ!! 」
黒田の馬に並ばれる!という瞬間、最後もうひと伸びの望みをかけて渾身の力でムチを振り下ろす。これまでムチを使わず低い姿勢で追っていた私の急な動作に怯んだのか黒田のスパートが少しだけ遅れた。そしてそのままでゴール板へと向かう。
歓声と蹄音と風の音が混ざった喧騒の中で「光希ちゃん頑張れ!!」と叫ぶ声が聞こえた気がした。
《1着レイカプリンシパル逃げ切り勝ち!! 2着3着は微妙です! 芦名光希騎手、これが重賞初制覇!! 》
「おめでとう! 今日のあなたは本当に強かったわ。最後のムチ一閃は川原さんでもあんな気迫出せないんじゃないかってくらい」
「ありがとうございます! 」
写真判定の結果、ハナ差で2着になった富田騎手と握手を交わす。3着には黒田の馬が入線していたけどコーナーを曲がる際に前の馬を強引に押し退ける部分があったらしく、降着になっていた。
ゴール後の検量を終えて人生初の勝利ジョッキーインタビューに向かう。レース内容について答えている間、レイカに提案された発言が少しだけ頭をチラついたけど、その質問を向けられた時には自然とこの言葉しか浮かばなかった。
『それでは最後に、この勝利を誰に伝えたいですか?』
「私はこの勝利を私と同年代の、逆境の中で頑張っている全ての人に捧げたいと思います。私なんかでも頑張っている姿を伝える事で、自分の置かれた場所でもう少しだけ頑張ってみようかな?って思えるようなきっかけになってくれたら嬉しいです。ありがとうございました」
爽やかさの残る初夏を過ぎて本格的な夏が近づいているのを感じる。レイカや結城馬主が用意してくれた祝勝会を終え、早朝の新幹線に飛び乗って戻ってきた美浦トレセンは、梅雨明け前だというのに夏本番さながらの暑さで既にモワっとした空気に溢れていた。
「……あ」
「お……おう。おかえり」
父と私の所属する厩舎にようやく戻ってくると、その入り口で出迎えてくれたのは調教助手である父ではなく、加賀君だった。しばらく連絡を取ってなかったからか、話しづらそうな雰囲気を出している。
「えぇと、昨日の重賞……観たよ。初重賞勝利、おめでとう」
「あ……うん」
こちらもなんて話せばいいのか分からなくて一瞬戸惑うが、すぐに思い直した。こんな時、映画のヒロインだったら王子様が誘ってくれるのをただ待ってるだけで済ますハズがない。
「祝ってくれるなら言葉で終わりじゃなくてさァ、たまにはお洒落なお店とか連れてってよ! 1軒ぐらい知ってるよね?」
私の発言に苦笑いしながら仕方ないなって表情を浮かべる彼。そこに気まずそうな雰囲気は消えていた。
そう、これでいい! だって私は6月のマーメイドなんだから!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます