第30話 合宿初日
当日は、夢で八重石に良くないことが起こるのを見てしまったから注意して見ていて欲しいと、またモトナリがインチキ超能力少年になりきって金剛に頼んでみた。
一応、今までに何回かこういうことがあって結構当たってるとか言って信憑性も高めてはみたけど、返事は「おそらく具体的な対処はできないが、気に留めておこう」だった。
だからとにかく今日は、俺達で八重石を見張るしかなかった。
一番不安だった合宿先までのバスでは、結局何も起こらなかった。
最悪バスジャックだとか横転事故だとかが起こるんじゃないかと、俺とモトナリは緊張しまくってたんだけど、バスの中はずっと平和だった。
平和すぎて騒ぎすぎた奴らが金剛に怒鳴られてたし、半分くらいの奴は今朝の五時起きのせいで爆睡してたし、八重石は隣の千崎と持ってきたマシュマロを食べながら話してたり、バスの中だってのに平気な顔で本を読んだりしていた。
俺は寝不足なのもあってか、途中から危なくて窓の外ばっかり見ていた。
通路側のモトナリは顔を青白くしながらも、酔い止めを飲んで八重石を監視し続けていた。「うわ――」「かわ――」「天使――」とかブツブツ聞こえてきたのは、気のせいだと思うことにした。
……そして無事合宿先の駐屯地に着いて安心したところで、地獄の特別メニューがすぐに始まった。
駐屯地は海が見える場所にあったけど、敷地の中に一つ、大きな山を持っていた。なんで山なんかあるんだって思った半時間後には、訓練で走り回るためなんだと理解させられていた。
山の中には、ぐるぐる回りながら登っていく道があった。道って言ってもキレイに舗装されてるわけじゃなくて、ただ木が生えてないからそこを通るんだなってのがわかるだけのものだった。
しかも、ところどころにシャレにならない障害物があった。手を使わないと登れない坂とか、乗り越えないといけない岩とか、落ちたら一周前の段に転がり落ちるしかない丸太の橋とか、あとは一周毎に越えないといけない川だとか。
それを日没までに五回登れってのがどんだけキツイのかを知らないのは、やっぱり俺だけだった。
でも一回目を登り切るのに一時間かかったところでヤバさに気付いて、しばらく頂上から海を眺めて現実逃避していた。
天気予報だと合宿の期間はずっと晴れが続くらしく、今日も雲はほとんどなくて、海は遠くでキラキラ光っていた。
……ちなみに明日は、あの海で遠泳をやるらしい。
考えるだけで冗談抜きで倒れそうになるから、もう考えない。今からあと四回ここまで登ってこないといけないってだけで死にそうなんだよ、マジで。いや、マジで。ホント、マジで……あと四回、四回かぁ。
帰りをめちゃめちゃ長い滑り台で下りれたのは、神が与えてくれた唯一の救いなのかもしれなかった。
時間切れのサイレンが鳴ったとき、俺はまだ四回目の真ん中くらいだった。
最初の説明で、合図が聞こえたらすぐに戻って来いと言われていたから、俺は大人しく来た道を引き返していた。
正直、下り坂を歩いてるだけで全身が痛かった。特に足の裏と手のひらは、表面全部火傷してんじゃないのかってくらいに。
日が沈みきって、空はどんどん暗くなっていく。
登るのをやめてから、急に周りの空気が冷たくなってきた気がする。というか汗と川の水でびちゃびちゃの迷彩服が、どんどん冷えてきている。
……なんか、久々な気がした。
久々に自分が周りよりできないってのを、ここまで実感した。
八重石はとっくの前にクリアしていた。余裕のクラス一番で、千崎は四番か五番くらいだったらしい。歩いて登るのが精一杯の俺の横を、二人は何回も走り抜けていった。
二人だけじゃない。他の奴らも、たぶんクラスの半分くらいはちゃんと五回終わっていた。残り半分の半分が四回登ってて、俺はそのさらに残り半分の上半分だった。
はっきり言って、今何か八重石に起こったって、俺には何もできる気がしなかった。
こうやって足引きずって歩くのが限界で、走るのだって難しそうなのに。もし今の俺に何かできることがあったとしても、そんなの、全部アイツが自分でできることに決まっていた。
丸太の横の坂道を滑り降りようとして転がり落ちながら、なんとなくバカらしくて一人で笑ってしまう。
……ダメだ。とりあえず疲れた。
なんでもいいから、早く風呂入って飯食って、寝てしまいたかった。頭が回ってないのがわかってたし、回そうとしたって回せる気がしなかった。
ふらふらしながら山から降りると、ちょうどモトナリが金剛に報告をしてるところだった。「空森戻りました」と言うと、モトナリもこっちに気付いて振り返った。
「おつかれ」
って言ってるお前以上に疲れた顔を、俺は今まで見たことないと思うんだけど。
「そっちのが、おつかれ」
「あ、はは。結局ギリギリ無理だった、三回」
「俺も、三回半くらい」
夕飯を摂り次第、速やかに入浴を済ますようにと金剛に言われて、俺達はとぼとぼ食堂に向かう。
二人ともそれ以上話す元気はなくて、薄暗い中、足の裏を引きずるみたいにざりざり歩く。
「……八重石さん見守るとか、全然無理だったね」
「おー」と答えたとき、思い出してたのはどんどん走っていく八重石の後ろで揺れてた白い髪のことだった。
アイツは体を使うとき、あの長い髪を必ず後ろで一つにまとめる。でも結んだりはしないから、広がらないだけで髪はリボンみたいにひらひら揺れる。
「八重石ってさ、なんであんな髪伸ばしてんだろ」
どうでもいいことだけど、考え出したらだんだん気になってきた。
普通でも、あんな腰を超えるくらいまで伸ばしてる奴なんかそうそういない。しかもこの学校では体を使いまくるから、男子はほとんど坊主だし、女子でも俺より短い奴なんかいくらでもいる。千崎の首にかかるくらいの髪型でも、ここだと結構長い方だったりした。
「それは、あの白い髪が、八重石さんの家にとって誇りだから、あんまり切りたくない、ってことらしいよ」
つってもまさかこんなにしっかり答えられると思ってなかったから、若干反応に困る。
「いや、違う。これ、空森君に聞いたってだけで、別に調べたとかじゃないんだって」
「……そうですか」
「そうなんですよ」
遠くの方でヒグラシが鳴いている。横の草が茂ってるところでも、よくわからない虫がリンリン鳴きまくっている。
家だとか、誇りだとかってのはやっぱり俺にはわからない感覚だったけど、すごく八重石らしくて納得はできた。
「ま、たしかに、切るのもったいない気はするよなー」
「うん。綺麗だも――」
声と一緒にモトナリの足音が止まったのがわかった。
……ちょうど八重石が大浴場の建物から出てきたところを見てしまったからだと、俺もすぐに気付いた。
後ろの浴場の明かりで照らされてたから、顔とか肌がほんのり赤くなってるのがここからでも見えた。髪はドライヤーをかけなかったのか、普段のストレートとは違って波打っていて、一回り小さくなったみたいだった。
あっと思ったときには、目が合っていた。気付かれて、手でも振ってすぐ逃げようと思ったのに、それより早く向こうが近づいてきていた。
……正直言うと、今は話すのはちょっとキツいと思ってたんだけど。
「なんかごめん、わざわざ来てもらって。おつかれ」
「いえ、問題ありません。空森さんと寺林さんも、お疲れさまです」
「は、はい、お疲れ様ですっ」
後ろには千崎もいた。
「おつかれ」「お、お疲れ様です」
「……おー。おつかれ」
「二人とも、もう晩飯も終わった感じ?」
「はい。とても美味しいカレーでした」
言われてみればさっきからカレーの匂いがしていた。
それに気付いた瞬間、急に腹が減っていたのを思い出した。山登りの途中で昼飯休憩は一時間あったけど、キツすぎてほとんど食べれてなかったんだった。
「まだ残ってたらいいけど」
「大丈夫です。ここの方々はプロですから、分量を見誤ることはありません」
言ってみたけど、やっぱり冗談は通じない。でもまあ、一周回ってそれはそれで面白いと思えるようになっていた。
「ならよかった」
「……。とてもお疲れのように見えます。しっかりと食事を摂って、今日は早く休んでください」
と、余裕ぶって笑ってはみたけど、俺も顔に出るくらいには疲れているらしい。
「そうする。今日はマジでキツかった。……でも八重石さんと千崎って、もしかしてまだ余裕?」
「……。余裕ではありません。ですが、まだ余力はあります」
「アタシも、結局幸に追いつけなかったし。……明日は、負けねぇけど」
「すげえ。さすがトップツー」
……と、思わず言ってしまってすぐに後悔した。本当に余計なこと言った。
「空森さんも、そこに並んでいたんですよ」
予想通り、ど真ん中の反応を八重石にされて、顔が歪みそうになるのを必死に堪える。
『空森』にはできてた。『空森』だったらこんな惨めなことになってなかった。
「今は、ちょっと考えれないけど」
「……。はい。今はそうだと思います。ですから、安心して努力してください」
安心して努力。
そう言われたとき、ふっと引っかかってたものが取れたみたいに一つ、感覚だったのが理解になった。
このむしゃくしゃする感じは。イラついて、ぐるぐると詰まってしまうこの感覚は。
八重石とか千崎とか、金剛とかにこういうことを言われたとき、俺は空森に成れって言われてる気がしてたんだ。お前じゃなくて『空森』に用があるんだから、早くそこをどけって言われてるみたいな。
だから俺だって、戻りたくても戻れないってのに。
戻ったら『俺』は、お前を殺してしまうかもしれないのに。
「お互い、明日も頑張りましょう」
――そこで俺は、「まあそこそこに頑張るよ」とか言うつもりだった。
「俺も、追いつけるように頑張る」
でも気付いたら、そんなことを言っていた。
なんでかって言われたら、たぶん悔しかったからだと思う。
『空森』にも八重石にも千崎にも、俺は全然敵わない。それくらい最初からわかりきってたし、そりゃ育った環境が違うんだから仕方ないと思っていた。
でも、なんか今は、悔しいって思ってた。
このままでいいって思ってるのは、なんか違う気がしたんだ。
「はい」
と、言ってから俺は自分の口から出た言葉の意味を考えてたのに、八重石はそれで当たり前みたいな顔で返事してきた。
……いやまあ、顔はホントにいつも通りの無表情なんだけど。
「幸、集合時間」
「そうでした。では空森さん、寺林さん、失礼致します」「また明日な」
「おー。また明日」「お、おやすみ!」
タイミングよく帰っていった二人に手を振りながら、俺はまだ考えていた。
最初はそうだ、仕方ないって思ってたんだ。
蹴り倒されたときも暑さでぶっ倒れたときも、情けないとは思ったけど、そこからどうにかしてやろうとは思えなかった。真面目に訓練受けようと思ったときも、今やれることだからやろうと思っただけだった。
何が理由で悔しいのかは、考えてもわかる気がしなかったけど、
「……俺、頑張ろうって、言ってもらえなかった」
コイツも含めて、周りがこういう奴らばっかりなのは、絶対関係してると思った。
「とりあえずカレー食いに行くか」
「うん」
八重石が宿舎の中に入っていくのを見届けてから、俺達も食堂に向かった。
ちなみにカレーはマジで今まで食べてきた中で一番美味くて、さすが軍隊基地って感じだった。
風呂も学校のよりキレイで体に沁みるってのがめちゃめちゃ実感できて、モトナリなんか俺が声かけてなかったら寝落ちするところだった。
――でも俺も、部屋についてちょっと一休みのつもりで布団に飛び込んだら、いつの間にか朝になっていた。
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