日常 (修正版)

古雨

日常 (修正版)

 ――命を踏みにじる仕事をしている。


 例えばその日は警備である。

 背後には堅牢な壁で囲われた楽園、我が祖国。正面には未だ我が国と冷戦関係にある隣国の国境。

 しかし我が国の指導者はそんな隣国からの移民も積極的に受け入れる。

 彼の御方は、『我が国でその生涯を終えたいと願う者をどうして拒めようか。忠誠を捧げる者は皆愛しい国民であり我が子である』と仰せになった。

 ああなんと尊いお考えか、慈悲か。我が国の歴史で最も長く導き手を担う御方。誰しもが貴方を愛し、そして愛される事を望むでしょう。

 その日も新たに、彼の御方の庇護を受けたいと宣う移民が訪れた。

 隣国の貧富の差に耐えられず、全てが平等である我が国に身を置きたいと。素晴らしい。それは賢者の悟りに近い。隣国の“醜さ”を正しく認識し、あの国境で偉大な一歩を踏み出した。勇気ある行動である。讃えよう、歓迎しよう。


 さあはやく門の中へ。


 そこではあなた方の荷物を検閲し、審査を行う。何、そう怯えないで。驚くほど簡単な作業だ。聞かれた事に正直に答えればいい。問題があっても、適切に処理してくれればいい。そうすればあなた方は家族だ。愛し合おう隣人よ。


 さて、では荷物を並べて頂けるか。

 ああ、そう、そうだ、そのように一列に立たせて。マダムは手際がよろしいようだ。察するにそちらは夫だろう。体格もあって頼りがいがありそうだ。素晴らしい。あなた方のような者たちとこれから家族になれるなんて。ああ、失礼。仕事を放って話し込んでしまった。いけない、私はお国の安寧を背負っているのだ。仕事に戻ろう、世間話は仕事の後でも問題無いからね。


 ええ、ええ、荷物は名簿通りのようだ。

 一応、読み上げようか。規則なんでね。形式的なモノさ。馬車、荷車と馬二頭。積み荷、日用品、衛生用品、衣類、家具が必要最低限、それから士官候補適正年齢者がいち、に、さん……よん。ああ、問題ないね。素晴らしい。スムーズな手続きができる。


 おっと、なんだ、質問か。

 いやいや、気にする事はない。気兼ねなく聞いてくれ、何でも答えるさ。答えられる範囲に限るがね。

 ……何? 『士官候補適正年齢者』と何か、と。ああ!すまない、忘れていた。あなた方の疑問はこうだろう?『渡した名簿には娘と息子、その年齢しか記載していないはずだが』。よく聞かれるんだ。もちろんお応えしよう。我が国には『子ども』が存在しないんだ。


 はは! 驚くような事でもない。

 あなた方も聞いただろう?我が国は『平等』なのだと。

 私もあなた方と地位は変わらない。違うのは職と部屋番号だけ。我が国で唯一身分が違うのは、最高指導者たるあの御方だけさ。おっと、彼の御方の名前は言えないんだ。気安く呼べば罰則が待ってる。あなた方もお気をつけて。それでなんだったか……ああそう、士官候補生の話だ。この国で成人していない者は『子ども』ではなく『候補生』さ。皆まとめて、成人するまで士官学校に通って貰う決まりでね。大人が割り当てられた職務をこなすのと同じで、候補生たちにもお勤めがある訳だ。当然だろ?

 ちなみに、成人するまでは皆士官学校に住み込みだ。この検閲所を抜けたらデカいトラックがあるからそれぞれ案内に従って乗り込んでくれ。もちろんそこで成人までお別れだから、しっかり挨拶はしておいてくれよ。まあちょっとの辛抱さ。生き残れば成人後に会いにくるだろう。それと男と女はもちろん別だ。これは候補生も大人も変わらない。皆割り当てられた一人部屋に住む。そして二年に一度、国から封書が届くから、それに従って割り当てられた異性と営んでくれ。期限はひと月。それまでに必ず着床を確定させる事。その後はそれぞれ指示に従って労働をしてくれ。給料は出ないが、毎日美味い飯が十分な量配給される。メニューは選べないが、中々に美味いぞ。


 そうだな、説明はこんなところか……ん、待て。

 そこの候補生の、一番背の低い奴。事前申告によると持病があるな……心臓が弱いのか。これはいけない。大変だったろう? 大丈夫、これからあなた方が為していく候補生たちは、事前にあなた方自身の心身に『対策』を施し、生まれてきた後もきっちりバイタル管理をする。早々病気なんてもって生まれてこないし、当然医療費なんかもかからない。これからはそんなものに苛まれる事はないんだ、安心して欲しい。さて、じゃあ早速だが、コイツで四番目の候補生を『処分』してくれ。心臓病はコスパが悪いし、生まれてきちまったんだからもうどうしようもできないだろ? 大丈夫、先端を指して、あとはぐっと押し込めばいい。一瞬だ。


 ……おいおい、どうした。どうして泣き崩れているんだ?なぜ怒っているんだ。参ったな、これでは手続きが進まない……っておい、どこへ行くつもりだ? そちらはあなた方がは入って来た門だ。国の敷地は向こうだぞ?


 何?『このような国とは思わなかった』?『入国は取り消させてもらう』? ははは、なんだ、ジョークを言う余裕はあるんじゃないか。よく見てくれ、出口の門に取っ手なんてないだろう。この国に『出口』など存在しないんだ……っといけない、暴れ出してしまったか。仕方がない……カルチャーショックで半狂乱になる奴は時々いるんだ。総員、撃て。よし、眠ったな。皆、健常者を丁重にトラックへお乗せしてくれ。俺か? 俺は馬と欠陥者を畜産エリアまで運送してくる。やれやれ、欠陥者には俺が麻酔を打つしかないな。




 —――人権を踏みにじる仕事をしている。


 翌日の職務は配給係。

 あの新入りの夫婦の様子を見てやりたかったが、奥さんの方が心神喪失でバイタルルームにいるらしい。新しい環境に参ってしまったのだろう。稀にある事である為気にしていない。女性は大切な国力の生産源なのだから、健康である事が一番だ。

 朝の配給で旦那に会ったが、俺の顔を見るなり殴りかかってきた。

 おっと、危ない。はは、元気な人だ。

 我が国も安泰だろうと言えば、彼はよろめいて崩れ落ちるように座った。腹が減っていたのだろう。

 ほら、今日の配給だ。今日の栄養食は桃味だ。これが一番美味い。あなたは幸運だ、初日にこれを食べられるのだから! おや、払いのけられてしまった。どうしたどうした、酷く落ち込んで。友よ、我々は家族なのだから、悩みがあればいつでも言ってくれたまえ。

 

 何、妻はどうしたか、と?


 なんだ、そんな事か。あなたは良い夫だったんだな。誇らしいよ、兄弟。あなたの妻は今バイタルルームで治療中さ。どうも疲れ切ってしまったらしい。安心してくれ。その内労働場所が被りでもすれば会えるさ。その時あなた方が夫婦かは分からないが……なんだ、そんなに驚いて。もう忘れたのか?言ったろう。この国では二年に一度配偶者が割り当てられると。あなたにもあなたの妻にも近い内に新たな異性が割り当てられる。ひと月彼彼女と暮らして妊娠すれば、二年間の夫婦関係となる。だからあなた方はもうすぐ夫婦ではなくなるが……一途なんだな、アンタ。そんなに涙を流して。今の奥さんは幸せ者だ。

 でもこうは考えられないか? アンタの次の夫も、もしかしたら奥さんを幸せにしてくれるかもしれない、って。大丈夫さ。この国では皆平等。良い奴しかいない。それに、運が良ければまたあの奥さんと交配できるかもしれない。

 

 ……おや、聞いてるか、旦那さん……おっと! あいたた、どうしたんだい突然殴りかかって。

 参ったな……暴力行為はご法度なんだ。助けてやりたいが、俺にはどうにもできない。だってホラ、もう警備隊が階段を駆け上がる音がしてきた。驚く事はないさ、単純に、この国は最高指導者様の『目』が行き届いてるだけって話だ。隠し事なんてできやしないが……何にも困る事なんてないぞ。誰も何不自由なく暮らしてるからな。それに家族は隠し事なんてしないだろ? 皆尊いあの御方の子どもだからな。ああ、いけない。俺はそろそろ行くよ。次の配給先に行かないと。時間が押してるからな。超特急で行ってくる。

 旦那さん、警備隊の言う事には素直に従っとくのが吉だ。


 その方が痛くないからな。




 ――心を踏みにじる仕事をしている。


 その翌々日の職務は、士官学校の指導員。

 間違っても『指導者』とは言ってはいけない。あの御方に対する冒涜になる。

 しかしこの仕事はあの御方に敬意を払って、最も厳格な規則の元行われる。まずは候補生。元気があり余っている彼らには悪いが、昼間は基本的に座学に励んでもらう。

 しかし『子ども』が存在しないとはいえ、我々は候補生たちの精神的な未熟さを認識していない訳ではない。故に、ここでは『規則を守るだけ』で許される。立派な成績を修めさせようと自主的な努力を求める事はしない。俺は勉強が苦手だったから、これには助けられたものだ。懐かしい。なんせ規則さえ守っていれば、皆平等な成績を修める事ができるのだ。競争などさせない。彼らは等しく彼の御方の子どもたちなのだから。私たちも同じ。だから彼らにも私たちにも優劣などない。あるのは『お勤め』の差異だけ。それも誤差だ。


 日が昇ってきた。東の空が白む——―美しい。

 もうすぐ彼らの起床時間だ。

 彼らは我々に従うよう規則で決まっていて、我々は彼らが成人するまで導く義務がある。大切な妹弟たちだ。歳が離れていようと関係ない。今日も愛を以て指導するさ。何せ最高指導者様と疑似的に近い役職を担うのだ。手を抜くような兄弟はいないだろう。

 ああ、鳴った。けたたましくも懐かしい、甲高いベルの音。

 校舎中に響き渡るアラーム。

 これで候補生たちは飛び起きる。寝過ごすなんて死んでもいない限り不可能だ。

 飛び起きた候補生たちがぞろぞろと部屋から出て来た。寮室は四人部屋だ。広くはない部屋から出てくる候補生たちは、ひよこのようで愛らしい。朝の身支度に割り当てられた時間は十五分だ。彼らの為にも、我々指導員は全力で喝を入れる。『遅刻など許されない』『反抗心は非国民の現れ』『全ての項目を達成できなければ懲罰だ』『懲罰となれば就寝時間を削ってでもお勤めを果たして貰う』『立派な国民となるのだ』『最高指導者様の為に』『指導者様の為に』『指導者様の為に!』。愛の鞭たる指導員の怒号と、懸命に指導者を称える候補生たち。


 ああなんと美しい光景だろう! これぞ青春。懐かしい。彼らはこうして立派な国民となる。おや、泣いている候補生がいる。このような隅で、物陰で。制服で顔を擦りながら、しとどに涙を零している。私は音も無く近寄る。怒号と号令で、私の足音は彼女に届いていない。よく耳を澄ませば、父と母を呼び続けている。ああそうだ、彼女は数日前に移住してきた夫婦の貨物だ。

 可哀そうに。何とかしてやろう。私の責任だ。そこの貴様。何をしている。朝の支度は、号令はどうした。指導員が最高指導者様を称えれば、必ず続けて称える規則だろう。なぜしない。なぜ泣いている。……いいや、すまない。怯えさせたな。私にはわかっているよ。


 恋しいのだろう? あの夫婦が。

 可哀そうに。教えてあげよう。

 あの夫婦は貴様の両親ではない。

 

 はは、顔をあげたな。そのまま聞きなさい。彼らは両親だった“もの”だ。この国に足を踏み入れ、身分を得て、生を全うするのであれば、最高指導者様だけが親なのだ。それ以外に親などいない。彼らは貴様を産んだというだけの、兄弟だ。姉と兄だと思いなさい。おやおや、まだ涙が止まらないのか。しかしこのままでは朝の支度が終わらない。懲罰は痛いのだ。痛いのは嫌いだろう? そうだろうな、では今すぐ立て。泣きながらでもいい。泣きながら支度をし、泣きながら彼の御方を称えろ。恋しがるのは金輪際、彼の御方だけにしろ。……幸い、見ていたのは私だけだ。あの御方から賜った制服を涙で濡らした事も、あの御方を恋しがって泣いていたと私が便宜を図ってやろう。分かったなら急ぎなさい。この後は皆で朝食、集会、それから九時間の勉学と八時間の訓練だ。その後は速やかに七時間の睡眠。


 明日も、明後日も、毎日だ。


 それがお前たち候補生に課せられた、あの御方からの尊きお勤め。できるな?できなければ明日はないのだから。さあ支度をしろ、可愛い妹。私はお前を愛しているよ。




 —――尊厳を踏みにじる仕事をしている。


 今日の職務は警備隊である。

 これが一番重労働だが、お国の平和の為だ。皆が幸せに暮らし、あの御方の庇護を受け続ける為に、危険分子は排斥しなければならない。とはいっても、この国に住まう家族に、危険な存在などいない。みな兄弟であり、あの御方の子ども。親を裏切る子供なんて存在しない、そうだろう? 


 しかしそれでも、危険はあるのだ。


 我々警備隊はその危険を取り除き、適切に“処分”しなければならない。危険の最も少ないだろうこの国を、永劫平和に維持する為に、警備隊には最も多くの成人が割り当てられる。ホラ、先日俺が移民の旦那に殴られたろ? あの時すぐさま警備隊が彼を取り押さえられたのも、国中に多くの警備隊が張り巡らされているからさ。あの時食らった拳は、青痣になって俺の左目に残ってる。ま、来たばかりの兄弟なんだ。これくらいで俺は恨んじゃあいない。戸惑って怯えていたのさ。ちょっとくらいの癇癪を多めに見てやるのは兄貴の役目だろう。あれくらいの仕事は時々あるが、基本警備隊ってのは暇だ。重労働だが、やる事は少ない。交代で持ち場を見張り、持ち場の無い時はひたすら訓練する。これだけ。こんなんで飯を貰っちまっていいのかとも思うが、いざという時の為だ。これも立派なお勤め。何せあの御方の采配に間違いなどないのだから。

 ああ誇らしい。俺は嬉しいんだ。いまこうして持ち場に三時間立ちっぱなしの間にも、俺は国を守っている。これの何たる光栄な事か。今日も空は曇天に似た工場の煙で埋め尽くされている。国はいつでも独特の匂いで満たされていて、部屋にいる時以外はこの鼻のを壊しそうな煙たさと匂いに包まれる。しかしこれすら、愛しい兄弟たちが日夜懸命に、唯一の父たるあの御方の為に働いている証左だ。

 それさえわかれば、この息苦しさだって愛おしいはず。

 皆そう思ってる。

 俺たちは支え合っている。


 ああ愛おしい家族たち。


 ふと、アラームが響き渡る。

 おっと、感傷に浸っている場合ではない。大変珍しいが、仕事だ。耳に固定された無線から、感情の無い音声が流れる。なるほど、脱走者あり。こんな夜中に。全く、この時間は労働者以外みんな就寝しているはずなんだがな。一体全体どういう事か。どうして部屋から出る必要があるのか。全くもって理解できない。

 ああ、アイツだ。足が速いな。しかし追いつける。どうしてそんな速く走るんだ? まるで俺たちから逃げてるみたいだ。まあ、いい。これから聞こう。こうして取り押さえられた訳だ。いくらでも時間はある。


 おや? おい、おいおいアンタ、あの旦那じゃないか! 覚えてるだろ? 少し前に俺がアンタたちの移住手続きをしたじゃないか! いやはや、まさか脱走者がアンタとは。どうした? アンタとは顔見知りだ、俺が尋問を担当してやる。どうしてこんな夜中に部屋を出たんだ? 就寝時間は守らなきゃダメじゃないか。

 困ったな、暴れないでくれ。あまり強く押さえつけると殺してしまう。そんな事させないでくれよ、兄弟。

 よしよし、いい子だ。素直な弟は大好きだぞ。それで、どうしたんだ。昼間工場に帽子でも忘れたか? 支給された帽子は持ち歩く規則だからな……慌てるのは分かるさ。でも、帽子を忘れる事よりも深夜の脱走のが刑罰が重いんだ。

 わかる、わかるよ。知らなかったんだろ? 兄弟。来たばかりだもんな。規則はたっぷりあるから、移民のアンタが全部覚えてなくても仕方ない。それよりも、規則を守る為に行動できたアンタが俺は誇らしいよ。自慢の弟だ。偉い、なんていい子。俺は誇らしい。それに免じて、俺が同僚に掛け合ってやる。刑罰は避けられないが、少なくとも多少軽くはなるはずだ。兄貴を信じろ。さあ、分かったら警備隊本部へ行こう。連行じゃないぜ、俺たちは平等だ。俺はお前に同行するし、アンタは俺に同行する。


 一緒に来てくれるだろ?


 ……え?悪い、今なんて? 忘れ物してないのか? じゃあなんで脱走なんて……妻と子どもたちを助ける為?

 この地獄から抜け出す為?

 ……なあ、アンタ。今は錯乱してるだけなんだろ? 家族はそんな事言わないよな……っと、困った。まだ暴れてくれるか。ふむ。いやいや、俺は兄弟を見捨てない。特にアンタの事は可愛がってるんだ。だから一旦落ち着いて……。


 ……………。


 ……ああ、言っちまった。


 それをいっちまったか。慌てているのか? どうして。アンタは今、あの御方を侮辱するどころか……唯一の親であるあの御方を裏切る発言をした。響き渡る警報も、そこら中を埋め尽くす赤い光も、今アンタを取り囲む大勢の警備隊も。もう俺じゃあどうにもしてやれないよ。なんせ、お前はもう兄弟じゃないからな。


 ああ、哀しい。聞こえていないだろう? アンタ。俺は哀しいんだ。大事な兄弟を喪ってしまった。

 もう可愛い弟だったアンタはいない。この国では家族以外の者はいない。それ以外は国に危険をもたらす密入国者だ。


 アンタはもう家族じゃない。悲しい、ああ哀しい。これから俺は、家族じゃない侵略者のアンタを。殴って。蹴って。沈めて。切って。鞭打って。絞めて。あらゆる尊厳を踏みにじって、死ぬまで生かさないといけない。恐ろしい。密入航者の管理はソイツを捕まえたやつなんだ。なあ。どうして俺なんだ。なんで今日に限って逃げたんだ。アンタと家族として生きたかったんだ。俺は。なあ。どうして。ああでも、安心してくれよ。本当はこんな事犯罪者に言わない方がいいんだが、今回のアンタの事で、アンタの元奥さんと貨物の候補生が罰を受ける事はない。あいつらは家族だからな。

 アンタが家族じゃなくなっただけなんだ。心配する事はない。元奥さんは新しい配偶者と国力を生産してる。貨物の候補生たちは最高指導者様の尊さが日に日に身に染みてる。きっと素晴らしい国民に、家族に、あの御方の子どもになる。ああだから、泣かないでくれ。俺の靴が汚れちまう。これもあの御方から賜った物だからさ。あまり汚さないようにしてくれると助かるんだ。毎日磨いてはいるが。アンタが泣くと俺も哀しい。今日喪った可愛い弟の顔がちらついちまう。声もアイツにそっくりなんだ、だから呻くのも嗚咽も慟哭もやめてくれると助かる。拷問の手が緩んじまうからさ。




命を踏みにじる仕事をしている。


人権を、尊厳を、心を踏みにじる仕事をしている。


毎日、毎日、毎日、毎日。休む事なく繰り返す。


俺は幸せだ。喪った弟にそっくりな犯罪者を毎日嬲っても。


俺は幸せだ。彼が死にかけた所を薬で無理矢理生かしても。


俺は幸せだ。彼の元妻が新たな配偶者に暴力的に愛されていようとも。


俺は幸せだ。彼の貨物が日に日に心を殺していく様を見ていても。


全ては家族の為に、唯一の父たるあの御方のために。


明日俺の命が踏みにじられないために。

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日常 (修正版) 古雨 @hurusame

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