第七話 そして死ぬはずもない人が死ぬ

 確かに刃が、腹部を貫通した。

 だが、私にはその感覚がない。


 命というものが失われてしまったから、何も感じないのだろうか?

 それとも自分の命にすら、〝謎〟がなければ頓着とんちゃくしない。私そういった欠陥製品なのだろうか?


 バケモノ、出来損ない、失敗作。

 父や妹の言葉が脳裏に甦る。

 なるほど、これが走馬灯か。

 魔力の残滓となってほどけて消える刃を見詰めながら、私は思考し――即座に、そんなほうけた無知蒙昧な夢から覚める。


「エドガーさまっ」

「――俺自身ではなく、お前を優先的に狙うとはな。備えておいて、よかったぞ」


 私の伴侶が、雑踏のなか、膝をついていた。

 彼は腹部を強く押さえており、そこからは赤いものが滴っている。

 反射的に私は自分の頭部へと指先を伸ばす。


 髪飾りが、魔力反応を帯びていた。


身代わりの魔術・・・・・・・! どうして私などに」

「……長く悔やんでいたのだ、初めて出逢ったあの可惜夜あたらよに……ラーベ、お前を試したことを」

「謝って下さったではないですかっ」

「頭を垂れた、詫びもした。だが、それでなお呵責かしゃくは我が魂を蝕み……ゆえに、これでよい。お前を、守れた」

「ああ、ああ」


 そんな、そんなこと、私はちっとも気にしていなかったのに。

 謎があるだけで。

 いいえ、隣で微笑み合うだけ。それだけでうれしかったのに。


「カレン! すぐに治療を!」


 叫び、従者を呼ぶ私へ。

 エドガーさまはどこまでも落ち着き払った声音で告げる。


「焦るな小鳥、大局を視よ。メイド、お前は俺の懐中を検めよ、治癒の魔導具を用意してある」


 すでに止血を行っていたカレンが、エドガーさまの上着をまくり上げる。

 ボロボロとこぼれ落ちる護符と治療道具。


「了解しました。が、旦那様」


 施術を行いながら、カレンが厳しい声を出した。


「第二射がきます」

「っ」


 まずい、襲撃者は失敗と判断していなかったのか?

 まだ私たちを狙っていたと?

 エドガーさまは私の代わりに傷を負っていて、即刻治療が必要。

 カレンはその処置で手一杯。

 ならば、ならば状況を切り抜ける手段は――


「明瞭なことです」


 私は、即座に駆け出した。


「小鳥っ」

「お嬢様!」


 閣下がお言葉をかけてくださるが無視。カレンの静止も無視。

 標的になっているのは自分だ。

 二人の近くにいれば、それだけで流れ弾の可能性がある。


 大丈夫だ。

 元より町中での凶事。

 雑踏を行き交う人々へ、無秩序な攻撃を仕掛けるほど襲撃者は愚かではないはず。

 それだけ自分の手札を晒すことになるのだから。


 つまり、この場から私さえ離れれば、誰も怪我などしない。

 襲撃者にとっても、私が人気のない場所へ駆け込むのは願ったり叶ったりのはず。

 はず、はずと頼りの無い。

 普段の推理はどうした?

 けれどいまは、臆測にすがるほかない。


 必死に祈りながら路地裏へと飛び込み、刹那――閃光を見た。

 飛来する斬撃。

 回避不可能な速度。

 死の切迫。

 私は、命を――


「尋常逸才流〝即応剣〟!」


 響いたのは裂帛れっぱくの気勢。

 一瞬後に私を貫くはずだった何かが、その場で切り落とされる。

 鍔鳴りとともに刃を掲げたのは、メガネの老爺。

 彼こそは。


「ノイジー閣下!」

「白昼堂々闇討ちとは……あまりそれがしをそそらせるものではないぜ」


 口元を苦々しく吊り上げる、ノイジー・ミュンヒハウゼンの勇姿が、そこにあったのだった。



§§



 剣聖閣下が常飲していたアルコール。

 あれは中身が最上級ポーションだったそうで、エドガーさまの傷口へ、応急処置として注がれることとなった。


 ジュウジュウと白い煙を上げながら塞がっていく肉。

 処置を終えた私たちは、彼を担いで走り、元の宿屋に駆け込んだ。

 出迎えてくれたのはセレナさん。

 彼女が手配してくれた回復術士の手で、更なる処置が施され、エドガーさまはなんとか一命を取り留めた。


 正直、ゾッとしていた。

 これまで謎を解く以外に興味がなかった私だ。

 誰が死のうと、生きようとどうでもいいと思っていたのに。

 しかし現実問題、彼が死にゆこうとしたとき、私は冷静な判断力を失って。


 ……私とエドガーさまの結婚は、政略結婚。

 主君の命令に従っただけで、そこには愛など欠片もなかったはず。

 ともすれば互いを利用しようと、私に至っては謎さえあればいいと考えていたのに。


 けれど、もはやそんなお為ごかしは通用しない。

 彼は一命を賭して私を救い。

 いま私の心は千々ちぢに乱れている。

 こん謎さえ、解けないほどに。


「お嬢様」


 差し出されたのは、華やかな薫りと湯気の立つカップ。

 見遣ればカレンが、穏やかな表情でそこにいて。


「どうぞ、お茶をお召し上がりくださいまし」

「……いただきます」


 カップを受け取り、香気と湯気を吸い込む。

 口を付ければ、喉を温かさが伝わって、胸中でゆっくりと広がる。


「大丈夫でございます。旦那様は、お嬢様をひとり残していくような方では決してありませぬ」

「付き合いも長くないのに、そんなことが解るのですか」

「無論でございます」


 我ながら冷たいことを口にしてしまうが、親友は何でもないとばかりに強く頷いて見せた。

 彼女は私の手を取り、両の手のひらで柔らかく包む。

 そうして告げるのだ。


「このカレンが、お嬢様を託せると判断した御方ですので」


 ああ。

 嗚呼……。

 それならば、大丈夫だ。きっと、大丈夫。

 だってカレンは、私が知る中で誰よりもつよく、誰よりも意固地なのだから。


 頭の中がしゃんとする。

 普段通りの自分が帰ってくる。


「あれ?」


 正常な判断力を取り戻した私が、真っ先に気が付いたこと。

 それは室内に、エドガーさまの剣が見当たらないという事実だった。

 鞘はあるが、剣はない。


 王都への来訪がお忍びではない。

 だからハイネマン家の従者方も普通に随伴されているが……彼らの誰かが片付けてしまったのか?

 家宝ともいえるような宝物を、当人以外が触るというのは少し考えがたい。

 懐刀と呼ばれる人物ですら固辞していたのだから。


 記憶を辿る。

 エドガーさまをここへ連れてくるまで、お腰には確かに剣があった。

 だが、治療を終えた後にはなかった……ように思う。

 いつ外されたのか……いや、これは考えても仕方が無い。


「ならば、私はやるべきことをこなしましょう。カレン、準備を。剣聖閣下と今後のことでご相談があります」

「御意」


 謎を解き、真相を究明する。

 それこそが私、辺境伯夫人ラーベの役割なのだから。


 しかし、この決意は長続きしなかった。

 なぜなら剣聖閣下の部屋を訪れた私は。


 彼の死体を、目撃することになったのだから。



§§



 武芸の到達者。

 大陸最強の魔術剣士。

 剣聖。

 ノイジー・ミュンヒハウゼンが、死んでいた。


 ベッドの上に仰向けで。

 喉から延髄えんずいを縫い止めるようにして、一振りの剣が突き立っている。

 鉄扉切りティルトー。

 ハイネマン家の家紋が刻まれた刃。

 死体の両手は、その剣身を強く握っていた。


 部屋の鍵はかけられていなかった。

 誰かが侵入した痕跡、争った痕跡も見られない。

 ただ、死体は眼鏡をはめておらず。

 よく観察すると、枕元に置かれていた。


「お嬢様」

「……刃がベッドまで突き刺さっています。ここまでの力が加わる方法は? 自殺? 彼は剣聖、この程度は造作もなく可能。しかし、剣はエドガーさまの――」

「お嬢様!」


 カレンの鋭い声で、ハッと我に返る。

 ダメだった、目前に〝謎〟を与えられれば、私はもうそのとりこになりはててしまう。

 あんなにもいろんなことを……きっと大切なことを、考えていたのに。


 大きく深呼吸。

 血の薫りが肺を満たすけれど構わない。

 勤めて精神を平常に保ち、私はカレンへと命じる。


「現場の保全と、ハイネマン家従者への連絡を。また、可能ならセレナさんにも報告をお願いします」

「御意」


 すぐさま動き出す頼れるメイド。

 私は一種の儀式として、常備している手袋を装着しながら剣聖閣下の遺体を、もう一度子細に検分する。

 今度は我を忘れないように厳しく律しながらだ。


 口元から微かに漂う血混じりのアルコール臭。

 酩酊するほどの量ではないから、件のポーションか。


 暴れた痕跡あとはない。

 喉をひと突き、抵抗もなく死んでいる。

 死後、それほど時間は経っていないと思われるが……しかし、このような凄惨な現場が形作られる死において、宿の誰も気が付かないということがあるだろうか?


 視線をあげる。

 目をこらす。

 防諜術式が、起動した形跡を残していた。

 なるほど、この部屋の音は外に漏れなかったということだ。


 あとは、これが他殺か自殺かを判断するだけ。

 だけ、なのだが。


「王宮へは……」


 時を置かず、連絡が行くだろう。

 私やカレンがしなくても、宿屋のものが勘づく。

 となれば、真っ先に疑われる人間は決まっている。


 大陸最強の剣士、ノイジー・ミュンヒハウゼンにち、致命傷を与えられるもの。

 そして、この場に大きな証拠――家紋の入った剣を残していった人物。


「エドガーさま」


 いまも昏々と眠り続ける私の伴侶こそ、筆頭容疑者に他ならないのだった。

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