第二章 歩かされた死体事件

第一話 名探偵令嬢は推理以外がてんでダメ

「お前は……思ったよりも不器用なのだな」


 呆れ混じりの声が降ってきた。

 カーペットに突っ伏していた顔を上げれば、エドガー・ハイネマン閣下――つまりは私の夫が、こちらを見下ろしている。

 苦々しい言葉とは裏腹に、瞳の色は穏やかで、口元には微かな笑みが浮かんでいた。


 冷酷無慈悲な辺境伯。

 そんな二つ名にふさわしくない慈しみのそれが、けっして愛情ではないと解っていても、どこか温かなものを私の胸に宿していく。

 ……もっとも。

 手足に絡まった刺繍糸で転倒し、頭から書類の山をかぶっている、という醜態を私がこの瞬間さらしていなければの話だが。


「不器用なのではありません。お嬢様にとって謎解き以外の権能は不要なのです。ああ、カレン崇拝」


 実家からついてきてくれた唯一の侍従メイド、オレンジ髪のカレン・デュラが弁護の言葉を述べてくれる。

 だが、途中で自己完結的に感極まられてしまうと、主従とども閣下から道化を見るような視線を浴びせられるのだと理解して欲しい。


「クク」


 ほら、笑われてしまった。


「カレン」

「仰らないでくださいまし、お嬢様。助けは無用、そうでございますね? カレン、感動」


 曲解していないで助けて欲しい。

 私はだんだんと頬が熱を帯びていくのを身をよじって隠そうとしつつ、弁明を試みる。


「閣下、申し開きがあります。これは作業効率を重要視して、閣下が不在の内に書類の整理を行いなおかつ、伯爵の娘として刺繍の一つも出来なければと思って同時に実行した結果、致命的な齟齬そごが生じただけで――っ」


 鞘走りばっけんの音が、言葉をさえぎった。

 途端、自由になる身体。


 書類や私の身体を避けて、閣下が糸を切って下さったらしい。


「何か言いたげだな、俺の小鳥」


 いきなり剣を抜くとはどういう了見なのだろうとか。

 こちらを見下ろして実にたのしそうだなとか。

 鞘に剣を収める姿が芸術品のようだとか。

 確かに言いたいことはいくつもあったが。

 どれほど心的抵抗があっても、まずこの場で口にするべきセリフを見失うほど、私は愚かではなかった。


「……ありがとうございます」

「よい。夫婦ならば当然のことだ。それに、真なる剣は全てを解決する」


 腰の得物を叩く彼。

 思わずため息がこぼれる。


「力技とは、辺境伯らしいと言いますか」

「軽蔑したか」

「いえ、快刀乱麻を断つ。それもひとつの解決手段と心得ております」

「クク。お前はそれでいい。手段を問わぬ合理、こころよいものだ」


 上機嫌な様子で、閣下は私の顎に手を当てた。

 クイリと上を向かされて、互いの視線がぶつかる。

 私の黒と、閣下の全ての色が同時に存在する瞳が交わって。


「こほん。それで、何用で御座いましょうか、旦那様」


 カレンが、私たちの間に割って入る。

 正直助かった。

 いくら人間の美醜に興味がなかろうと、私だって乙女である。


 胸を撫で下ろしていれば、閣下は小さく吐息をつき、離れて下さった。

 彼の手には、いつの間にか書類が一枚、握られていた。


「来訪の理由を問うたな、メイドよ。単純なことだ。先日そこの小鳥が暴いた事件――ゲーザンが取り引きをしていた相手が見つかった。俺はこの内情を暴きに行くが」


 閣下が問いかけの視線をこちらへと寄越す。

 お前はどうするか?

 言葉にしなくても、彼の意志は伝わってくる。

 私は、


「もちろん、おとも致します」


 いちにもなく、微塵の躊躇もなく頷くのだった。

 だって……きっとそこには、〝謎〟があるのだから。



§§



 辺境伯領は、当然ながら国境線に面している。

 他国がこちらの領地を狙う理由は明瞭。

 ダンジョンは元より、魔術や魔導具の触媒に用いられる希少鉱物が、辺境伯領では非常に多く産出されるからだ。


 この管理は閣下の仕事であり、彼の命を受けた人物が砕掘さいくつなどを取り仕切っている。

 主君たるパロミデス王の任命を受けた臣下が、場合によっては監督役を拝命することもあるが、最終的な決定権は閣下にある。

 国防を成し遂げるため、それだけの強権が彼には与えられていた。


 さて、今回訪れることになった鉱山は、辺境伯領の北側にある。

 査察の理由を尋ねると、閣下は難しい表情で、


「横領、度を超えた人員の酷使、国家転覆をはかる〝結社〟との内通疑い」


 と、ずいぶんな不穏なワードを並べてくれる。


「小鳥は籠に入れておくべきだったか」


 話が進むにつれ、私が瞳を輝かせたからだろう、閣下の声に後悔が滲んだ。

 確かに私はか弱い。

 乙女なのだから当然に。

 だが、そこまで過保護にされるいわれもないはずだ。


「安心して下さい閣下。鉱山のカナリヤ程度には役立って見せます」

「……メイド。俺がいまどれほどの激憤を胸裏にとどめているか、後で主人へと語って聞かせてやるがいい」

「いいえ、旦那様。お嬢様は〝これ〟だからよいのです。カレン、敬服」


 なんてにこやかなやりとりをしている間に、馬車は鉱山へと到着。

 二つの影が、採掘施設の前で私たちを出迎えた。


「皆様、よーこそいらっしゃいました!」


 先に声を上げたのは、ネズミ顔の男性。

 彼はただでさえ低い背丈を、さらに折りたたむようにして平身低頭。

 閣下の顔色をチラチラとうかがいつつ、歓迎の言葉を長々とまくし立てる。


「わたくし、こちらの鉱山監督を任せていただいておりますミズニー・バルデモと申します。このたびは遠路はるばる視察のために来訪していただき、まっこと恐悦至極と存じ上げまーす」


 音を立てずに拍手をするミズニーさん。

 一応、今回は辺境伯一行という身分を隠しての査察なので、その辺を考慮してくれているのだろうが。

 ただ、閣下が頭痛をこらえるように秀麗な表情を曇らせているので効果は薄いと言える。


 さて、もう一名は、頭からすっぽりとローブをかぶった男性だった。

 私たちが彼へと視線を移したからだろう。

 ミズニーさんが説明をしてくれる。


「これはわたくしの部下、死霊魔術師のモーガン。副官、経理、秘書、そういった役割ざつじを任せております。御用向きは全てこやつに申しつけていただければ」

「モーガンであります」


 直立不動の姿勢で応じる死霊魔術師さん。

 この実直さ、どこかの軍隊上がりなのかもしれない。

 興味深い。


「あのー、ところでハイネマン様……?」


 私が不躾ぶしつけな視線をお二人に注いでいたからか。

 ミズニーさんが、困り顔で閣下へと確認を取る。


「そちらのご婦人がたは……?」

「気になるか、俺の妻とそのメイドが」

「ひゃぁ!? 奥方様で御座いましたか! いやぁ、さすがお貴族! これほどお美しいかたを伴侶となさるとは。わたくし、このたび拝謁の機会を戴き光栄至極、眼福の至りにてございます」


 大仰な言い回しだ。

 心にもないことを言っているのがよく解る。

 それでいて、両目には爛々らんらんと欲望が灯っており、あわよくばこちらへ取り入りたいという意志を隠そうともしない。


「クク、美しいか。ミズニー、本音を語ることを許そう。貴様は俺の妻を見て、こう思ったのではないか? ……恐ろしいと」

「――滅相もありません」


 にこやかな表情を顔に貼り付け、やんわりと否定する彼。

 見事な腹芸だ。

 やはり興味深い。

 彼と、そしてこちらの様子を怯えたような表情で伺っているモーガンさんも、同じく。


「……ふん。さて、荷物を置きたい。まずは宿舎しゅくしゃへと案内してもらおうか」

「ははー!」


 なぜかつまらなさそうに鼻を鳴らす閣下と、ひれ伏す勢いのミズニーさん。

 案内されるまま、私たちは宿舎へと向かう。


 ……私は、まだ知るよしもなかった。

 これから起きる、〝歩かされた死体事件〟を。

 なによりも彼、ミズニーさんが。


 翌日には、遺体となって発見されることを。

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