第14話 宴のあと
「ふー、お疲れさん。いやあ、お前が呼ばれてどうなることかと思ったが、ちゃんと
「誰がするか、そんなこと……」
「ま、着替えて来いよ。城で食事出してくれるってさ」
広間から辞して回廊を行くと、ひと仕事終わったとばかりに航悠が伸びをして控室へと消えていく。雪華も隣室に入ると派手な衣装を脱ぎ落とし、濃い化粧を落とすために水がめとの格闘を始めた。
「お、来たか。もう始めてるぜ」
化粧に勝利して隣室に入ると、そこはすでにちょっとした晩餐会場になっていた。卓の上に、色とりどりの料理が並べられている。
「……ここ、いいか」
「え? ああ、どうぞ」
空席を見つけ、雪華は飛路の隣に座った。用意されていた皿に料理を取り分け、挨拶もそこそこに食べ始める。すると横から飛路が酒を注いでくれる。
「悪いな、ありがとう。お前は――」
「オレはまだ残ってるから。いいから気にしないで食べて。あんた、一番疲れただろ」
「お互い様だ」
飛路の気遣いを受け、しばらく食事に没頭する。宴で出されていたものと寸分変わらぬそれは、懐かしい料理長の味付けだった。それに気付いたのは当然雪華だけだろうが、暁の鷹の面々は城の料理のうまさを口々に絶賛している。
そして人心地がついてきた頃、雪華はふと視線を感じて横を向いた。案の定、食事の終わった飛路がこちらを見ている。
「なんだ?」
「え? あ、いや……あんた、やっぱりそういう格好の方がいいな。なんかホッとするよ」
「露出の多い服は、好みじゃないか? そのわりには始まる前にも最中にもずいぶんと眺めていたようだが」
「う……」
にやりと指摘するとぐっと詰まる。雪華から視線を逸らすと飛路はぼそりとつぶやいた。
「嫌い…とは言えないな。オレも一応男だから。でも、あんたがああいう格好してるのは……やっぱり少し嫌だ」
「そうか。お前を満足させるには、ちょっと貧弱だったかな」
「そういうことじゃなくて。……親しい人があんな風に肌をさらけ出して、見せ物みたいになるのって……。…………、分かれよ……」
再び目を逸らした飛路の顔が、少し赤らんでいる。その表情で、散々鈍いと言われている雪華もさすがに察することができた。
彼は心配してくれたのだ。雪華が嫌ではなかったかと。本当はああいったやり方自体、好きではないのだろう。まっすぐなこの青年に雪華はまた一つ小さな好感を抱く。
「大丈夫だ、どうということもない。でも……ありがとうな」
「……ん」
しばらく飛路の酌で酒を飲み、任務が終わった後の開放感に浸る。すると横からそっと腕が伸びてきて、視線を向けた。
「オレ、甘いものちょっと苦手だから……良かったら食べて」
飛路が差し出したのは器に入った桃色の生菓子だ。雪華が食べたものとは異なる。
「いいのか」
「ああ。残しても悪いし」
「……ありがとう」
思いがけぬ贈り物に素直に礼を言うと、雪華はその甘味を左右から眺めた。
いきなり食べるのがもったいない。美しく盛り付けされたそれはさすがの宮廷料理という感じで、見た目にも楽しませてくれる。
「……ぷっ…!」
「……っ、……あ――。……別に、見とれていたわけじゃないぞ?」
いつまで経っても口にしようとしない雪華を見つめ、飛路が小さくふき出した。それにはっと振り向くと、雪華は慌てて弁明する。
「いやどう見ても見とれてたし。……あんた、本当に甘いもの好きなんだな。甘いものが関わると、途端に子供みたいになる」
「……そんなことはない」
「あるよ。……あんたって、可愛いな」
「……っ」
くく、と笑った飛路の一言に、不本意ながら少々胸が跳ねた。その視線から逃れるように生菓子にさじを入れる。
「……生意気な」
「いいよ、生意気で。あんたがオレのこと、対等に見てくれるまで生意気言ってやるよ」
「残念だったな。そんな日はたぶん来ない」
「たぶん、だろ? じゃあ可能性はゼロじゃないってことだ」
ああ言えばこう言う。その言葉を体現する飛路を無視して生菓子を平らげる頃には、隣は空席になっていた。青竹のところに行ってしまった飛路の代わりに、どかりと大柄な男が横に腰掛ける。
「ん? もう食い終わったちまったか?」
「食事はあらかたな。酒はまだ入る」
「そうかそうか。んじゃもうちょっと飲んどけ」
言わずと知れた航悠が、慣れた手つきで雪華の杯に酒を注いでくれる。それを飲み干すと、ようやくホッとできたような気がした。なんだか
「この酒、美味いな。さすが宮廷所蔵」
「そうだな。酒代がもったいないし、ここで飲み溜めしとけ」
「いやそれは無理だろ。……それにしても、いつ見てもおかしいよなぁ」
「? なにが」
干し物を
「お前の舞を見たときの野郎どもの反応だよ。どいつもこいつもデレデレ鼻の下伸ばして。正体はこんな無愛想女だって知ったら、あいつら嘆くだろうな」
「……余計なお世話だ」
「せめて普段ももう少し愛想よくすれば――、いって」
横から雪華の皿に伸ばされた手を、箸で打つ。行儀が悪いのは重々承知しているが、そこに乗っているのは最後の最後に取っておいた杏仁豆腐だ。過去の記憶から、これが最高に美味であることを雪華だけは知っている。
「それは私のだ。口直しならそっちにもあるだろ」
「まだ食う気かよ。てか突っ込みどころはそっちかよ……。お前、本当に花より団子気質だよな」
「お前が尋常でなく常に満開なだけだよ。……ふん、そんなに笑顔がご所望なら、女官でも捕まえてくればどうだ? 大好きだろ」
「ま、嫌いじゃないけど今日はいいわ。久々にいいもん拝めたし」
「……?」
航悠はいやに上機嫌だ。その理由はよく分からないが、この男の機嫌がいいのならそれでいいかという気持ちになる。だが続いた言葉に雪華はぎくりと強張る。
「そういや皇帝、ずいぶんと男前だったな。前に街案内してたの、あの人だったんだな」
「っ……、ああ……」
想定外の話題に、相づちを打つのが一瞬遅れた。何気ないふりで杏仁豆腐に手をつけると、航悠が目を細める。
「なんだぁ? らしくない。さては皇帝に惚れたか?」
「は……? あるわけないだろ、そんなこと。お前に取られる前にさっさと食べようと思っていただけだ」
「ふーん。……そうだな」
航悠が笑みを収めて、静かに相づちを打つ。……何か、気付いただろうか。
誰よりも雪華のことを分かっている相棒の視線に、勘付かれやしないかと冷や汗を流す。だが航悠は立ち上がると他の卓に酒を取りに行ってしまい、雪華はほっと息をついた。それを見計らったように、背後の扉が静かに開く。
「失礼いたします。あの、先ほどの舞い手の方……」
「……? 何か」
声をかけてきたのは、先ほど雪華に酒器を差し出してくれた侍従の者だ。とっさにヴェールをかぶった雪華を手招きし、扉の外へと連れ出す。
しばらく進むと、回廊に潜むようにして誰かが立っていた。
「……っ」
闇に紛れるような黒衣と、夜でも輝きを失わない銀の髪。笑顔でたたずむ隣国の貴人――ジェダイトの姿に雪華は息をのむ。
「では私は宴席に戻らせて頂きますね」
「はい。ありがとうございます、侍従殿。まさかこのような場所で知己に再会できるとは思わなかったゆえ、無理をお願いしました」
「いいえ、お気になさらず。それでは……」
人の良さそうな侍従は和やかにそう告げると回廊を戻っていく。あとに残された雪華は、突然現れたジェダイトをぽかんと見つめていた。
「ジェダ殿……」
「こんばんは、雪華殿。まさかこんなところでまたお会いできるとは、何か運命のようなものすら感じてしまいますね」
「やめてくれ、あなたが言うと冗談にならない。……まあ運命なんてものは、信じていないが」
「おや、奇遇ですね。私もなのですよ」
宴の名残をその身にまとわせ、ジェダイトが華やかに笑う。雪華もつられて笑ったが、内心はかなり焦っていた。
……自分たちの状況は、かなり不自然だ。シルキア人である彼は何か感じなかっただろうか。すると雪華が危惧した通り、ジェダイトはすっと笑みの色を変えると艶めいた声でささやく。
「あなたも不思議な方ですね。異国人と素性を偽り、皇帝とシルキアの大臣の前へ堂々と現れる」
「……っ」
「そこのところを詳しく聞いてみたい気もしますが……ま、無粋でしょうね。女性は、秘密が多いぐらいが謎めいていてちょうどいい」
「……は?」
思わず身を固くしたのに気付かなかったかのように、ふっと小さく笑うとジェダイトは雪華が頭からかぶっていたヴェールをそっとかき上げた。その指で静かに頬を撫でると、下ろしたままの髪を一房つまむ。それを引き寄せ――小さく口付けを落とす。
「…………」
そんなことで疑問が晴れるのかとか、他に聞きたいことはないのかとか、いくつか思考が駆け巡ったが――とりあえず、今言えることは一つだ。
「あ、なたは……結構、恥ずかしい人だな……」
「そうですか? ……美しい流れに誘われて、つい手に取ってしまいました。お気を悪くされたらすみません」
「いや、別に構わないが……そういうことは、もっと申し訳なさそうな表情で言うべきだと思うぞ。ジェダ殿」
「それは失礼」
意図せず頬を赤らめた雪華にジェダイトが悪びれぬ笑みを浮かべる。……この男性は、完璧な容姿に反して存外毒のある言動を好むようだ。
まあ純真無垢では補佐官になど上り詰められないだろうし、そんな男は胡散臭いことこの上ないのでまったく構いはしないのだが、その落差はなかなか面白いものがある。雪華はちらりと苦笑するとジェダイトを見上げた。
「……あなたは、面白い人だ」
「そう言ってもらえると、気を引く努力をした甲斐があります。……あなたも面白い方ですよ。そしてそれ以上に美しい方だ」
「それはもういいから……」
「おや、本心なのですがね。容姿もですが、今宵の舞は一段と素晴らしかったですよ」
呆れた口調で返すとジェダイトは片眉を上げて目を細めた。耳の横のヴェールを整え、もう一度そっと雪華の頬に触れる。
「あなたにはたしかな才がある。もう一度それだけ告げたくて、お邪魔しました。……それでは雪華殿、ごきげんよう。また機会があればお会いしたいものですね」
くすりと笑ったジェダイトが、一礼をして宴へと戻っていく。その背を見送ると雪華はヴェールを押さえて控室に戻った。
めまぐるしかった今日一日のことを思い出し、華やかな宴の名残と懐かしい城の香りを引きずりながら、その夜雪華は夢も見ずに眠った。
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