第9話 三人の任務

 それから数日後、買い出しがてらいちに来ていた雪華は、通りの向こうに見知った姿を見かけた気がして足を止めた。


(……飛路か。横にいるのは友人か…?)


 そのまま歩いていくと、やはり飛路だ。同じ年格好の二人の青年に囲まれ、何かを話している。その顔が思いのほか険しくて目を瞬いたが、小用を思い出し声をかけてみる。


「――飛路」


「だからそういう手段は……っ! ――って、え……。雪華さん?」


「ああ。……奇遇だな」


 ちょうど飛路が激昂しかけたところに重なってしまった。

 正直、気まずい。三組の目がこちらに向けられ、雪華は挨拶に上げた手を静かに下ろす。


「たまたま見かけたから声をかけたんだが……すまない、取り込み中だったな。失礼した」


「いや、別に、いいけど……」


 目が合うと、気まずげに視線を逸らして言葉を濁された。こんな態度を飛路が取るのは珍しい。

 よほど込み入った話をしていたのだろう。波風を立てぬよう、早々に去る方が良さそうだと判断し雪華は身を引きかける。しかし、その動きを止めるものがあった。


「あなたが、『雪華』さん……?」


「……? ああ」


 飛路の横にいた、背の高い方の青年。体格の良い男に名を呼ばれ、雪華は怪訝に頷いた。するともう一人のひょろりとした男も、雪華の顔をじっと見つめる。


「飛路。お前――」


「……やめろ。この人は関係ない」


「……?」


 小声で小突かれた飛路が、押し殺した声で友人を制する。その様に違和感を感じ、雪華は眉をひそめた。すると体格の良い青年が、慌てたように口を開く。


「あ……。と、すいません、じろじろ見ちゃって。俺、飛路の友人の青深せいしんっていいます。こっちは園来えんらい


「おい、青深……」


「いや、飛路んとこにすごい美人の女性がいるって聞いたから、一度会ってみたかったんですよねぇ。あなたのことでしょう?」


「は……?」


 青深と名乗った青年は、人懐こい笑みを浮かべて雪華に視線を送った。先ほど飛路と話していた時の険しい表情との落差に雪華は唖然とする。


「やめろよ、青深。……悪い、雪華さん。あんたのことちょっと話したら、こいつら興味持っちゃって。気にしないで行っていいから」


「おいおい、友だち甲斐ないなー飛路。……いいよ、今日はこれで別れよう。この美しい人を送り届けるんだろ?」


「送り届けるっていうか、帰る場所同じなんだけどな。じゃあな青深、園来も。……行こう、雪華さん」


「え……、ああ……」


 飛路は雪華の袖を取ると、花街の方角に向かってすたすたと歩きはじめた。それにつられて足を踏み出すと、飛路が手を離す。

 後ろを振り返ると、青深と園来と呼ばれた二人の青年が自分たちを見送っていた。その様に、雪華は飛路を見上げる。


「いいのか? 別に私のことは構わなくてもいいんだぞ」


「いいよ、話は終わってたから」


「そうか? ……お前、陽連に友人がいたんだな。せっかくだからもう少しゆっくりしてくれば良かったのに」


「このあと仕事あるだろ。あんたとオレと、頭領で。あいつらに絡まれると世間話が長いから、あんたが来てくれてちょうど良かった」


「そうか……」


 そう告げて、飛路はさっさと蒼月楼に向けて歩いていく。

 先ほど友人たちと話していたときの険しい顔は、とても世間話をしているようには見えなかったが――こちらに向けられた背がそれ以上の追及を拒んでいるように見えて、雪華は釈然としないまま蒼月楼までの道を無言で歩いた。




 そしてその夜、雪華と航悠と飛路の三人は、ある屋敷への潜入調査に出かけた。

 この国の大臣の自宅である豪邸が見渡せる路地に潜み、小声で今夜の任務を確認する。


「会合の内容を盗み聞く、か……。依頼としてはありふれてるが、出どころはどこなんだ?」


「さあ。俺らは末端でしかないからな。だがどうやらたどってくと、斎じゃなくてシルキア筋かららしいぞ」


「シルキア? 今城に滞在しているあの官吏たちからですか?」


「いや、どうも本国から巡り巡って……って感じらしいな。今日は斎の中でも皇帝寄りの高官が集まる。その動向を窺いたいんだろう」


 大臣の邸宅には煌々と明かりが灯り、先ほどから客人をひっきりなしに迎えていた。


(シルキア人が斎の官吏の動向を探りたいということは、あちらがこの国の情報を得たいってことだろうが……一体なんのために?)


 政治の表舞台ではないところで交わされる祖国の情報を、異国の者が求めているという事実に何か不穏なものを感じずにはいられない。

 だが一度引き受けてしまった仕事を反故ほごにするわけにもいかない。雪華はじっと、明かりの灯る邸宅を睨む。


「じゃ、身の軽い雪華が天井に忍び込む。俺は外で見張ってるが、やばかったら何か合図して知らせろ。……飛路。お前も見張りだが、やばい時は馬を雪華の方に回してくれ。雪華も無理はするな。大臣宅だけあってさすがに警固けいごが多い」


「ああ」


「分かりました」


 航悠の指示に頷き合い、三方に分かれて屋敷の周囲へと散っていく。建物の裏に回り込むと、塀の外に生えている木の影に潜み、周囲の無人を確認してからそれによじ登った。

 警備の目は、客がやってくる正門へと集中している。音を立てないように木を登ると、細心の注意を払って雪華は屋根に飛び移った。そのまま身を潜め、気付かれた様子がないことを確認してそっと下の様子を窺う。


(宴の会場は……二階か。よし、まだ人は入ってない)


 主な会場となる部屋からは一番離れた部屋の上まで回り込み、玻璃はりの張られた窓を覗き込む。……誰もいないようだ。

 逆さの姿勢で一番上方に埋め込まれた玻璃をそっと外すと、雪華は暗い室内へと忍び込んだ。


(……物置か。気付かれにくくて丁度いいな)


 狭く暗い室内には、今は使っていないと思われる卓子などが立てかけてあった。それを踏み台にして、天井へと手を伸ばす。難なくそこが一部開き、静かに天井裏へとよじ登った。


(あ、ほこりが少ない……。助かるな)


 この手の任務ではいつも思うことだが、天井裏は当然ながら埃やクモの巣の温床になっている。今日もそれを覚悟して上ったのだが、思いのほかその空間は清潔が保たれていて雪華は正直ほっとした。

 物音を立てぬように天井裏を這い、宴の会場となる先ほどの部屋の上にたどり着く。そのまましばらく身を潜めていると、主人に先導されて階下から大勢の客人が部屋に入り始めた。



 宴の内容は、ごく一般的なものだった。皇帝寄りというから政治的な話ばかりかと思ったが、むしろ逆だ。高官や貴族たちは日常を語り合うばかりでとりたてて聞くようなところもない。


(楽に終わりそうだが、得る情報も少なそうだな……)


 これは無駄足に終わるかもしれない。そう暗闇で溜息をついた、そのとき。

 太い声をした男――口調からするとおそらく貴族が、隣にいるらしい男に向かって低く告げた。


「そういえば、西峨さいがの州長の話を聞きましたか?」


「西峨? シルキアとの国境ですか? あそこのおさが、なにか」


(…! 西峨の長……)


 漏れ聞こえてきた密やかな声に、雪華は目を見開いた。

 ――西峨。帝都陽連から見て北西に位置するその州は、斎の中で唯一シルキアと国境を接している。シルキアで採れる鉱物も、すべてがこの州を通って各地へと運ばれていた。


「内密な話ですが……どうも西峨の州長は、シルキアと近頃かなり懇意にしているようだ。主上の許可なく関税を下げているという噂も――」


(聞きづらいな。もう少し近付いて……)


 シルキアとの貿易の要所の話題に雪華は耳をそばだてる。だが運が悪かったのか、手をついた部分の天井板が一瞬だけみしりと鳴った。


(! まずい…!)


「…? なんだ……?」


 はっとして身を固くするが、時すでに遅し。天井板越しに、こちらを怪訝に見上げる男たちの視線を感じ取る。


「今、何か音がしたぞ。天井に誰かいるのか…!?」


「……っ」


 本格的にまずいことになった。大した情報が得られたわけではないが、天井裏に踏み込まれでもしたら逃げ場がない。


(くそっ……。脱出するか……!)


 一瞬のうちに思考を巡らせ、危険を冒してでもそうするのが賢明と判断した。物音が上がるのにも構わず、雪華は天井裏を全速力で這い始める。


「やはりいるぞ…! シルキアのねずみか!?」


(誰が鼠だ! 私が鼠ならあんたらはたぬきだろう!)


 そんな悪態をつきながらも、体には緊張がみなぎっていく。

 ……物置部屋の出口まで、もう少し。けれど天井の下の人間たちも、屋敷内を捜索しはじめている。


(踏み込まれたら――どうする!?)


 袖裏に隠した匕首ひしゅを口に咥えると、暗い明かりが漏れる物置部屋を逆さに覗き込んだ。その瞬間扉がガチャリと開き、踏み込んだ人物と視線が交わる。


「…! いたぞ……!」


「ちっ…!」


 天井から床へと降り立ち、匕首を素早く構える。踏み込んできた男に恨みはないが、足止めをするしかない。しかし、そのとき――


「…ッ!?」


 轟音と共に地面が揺れ、雪華と男はもろともに物置部屋の床へと叩きつけられた。


(な――爆発…!? まさか、屋敷の中か!?)


 突如として体を襲った衝撃に、目を見開く。轟音に耳が鳴り頭がくらくらするが、なんとか立ち直ると雪華は周囲の状況を窺った。踏み込んできた男は今の衝撃で昏倒したようだ。

 その次の瞬間、再びの轟音と振動が雪華を襲った。


「!!」


 二度目の衝撃は、先ほどよりは小さかったが音が近かった。宴の会場となった部屋の方から、うめき声と叫び声が聞こえる。


(あそこがやられたのか……!)


 このままここにいたら――やられる。確信に満ちた嫌な想像が浮かび、雪華はくらむ頭を押さえて立ち上がった。窓枠に手をかけ、煙が上がり始めた庭を見下ろす。


「げほっ……。……くそ!」


 ……跳ぶしかない。匕首を握り直し距離感を測ろうとするが、白煙で視界が閉ざされるのとけむいのとで焦点が定まらない。

 木に短刀を絡ませるか、地面へ飛び降りるか――雪華は短く思案すると、相棒の名を叫んだ。


「航悠!」


 白煙の奥に向け、自然とその名を叫んでいた。意識したわけではなく、当然のように。すると真下のあたりから低い返答が返ってきた。


「雪華! まだ上なのか!?」


「ああ…! ただ、煙が……!」


「危ねぇからさっさと跳べ! 見えないなら、下で受け止める!」


 珍しい怒声に一瞬たじろぐが、すぐに窓枠に足をかける。航悠の居場所はこちらからは分からないが、奴の言うとおりにするのが今は一番だ。


「落とすなよ! 落としたら甘味おごってもらうからな……!」


 そう叫び、雪華は白煙の中へと身をおどらせた。



「――ッ!」


「――っと! ……重てぇ!」


 一瞬の浮遊感ののち、全身が力強い腕に抱きとめられた。衝撃に耐えたその男は、悪態をつきながらも雪華を丁寧に地面へと下ろす。


「ったく……。落とそうが落とすまいが、お前はおごらせるだろ。……ていうかお前、ちょっと痩せろよ。重いぞ」


「失礼な奴だな。女には丸みが必要だとか言ってたのはどの口だ」


「ああそりゃ俺だ。……やっぱ、なし。それ以上痩せたら胸と尻が減っちまう」


「お前にはまったく関係ないがな。……本当に失礼だな、お前」


 場にそぐわぬ馬鹿馬鹿しい会話の応酬に、緊張に強張っていた体からふっと力が抜ける。雪華は腰に下げていた短剣を引き抜くと、隙のない目で周囲を確認する航悠と背中を合わせた。


「航悠。いったい何があった?」


「分からんが……おそらくは、屋敷内にあらかじめ火薬が仕掛けられてたみたいだ。火の手は上がらなかったから、威嚇いかく目的かもしれん」


「シルキアか?」


「いや……こんな目立つことはしないんじゃないか。やるとしたら、今の皇帝に不満を持っている国内の不逞のやから……ってとこか」


 緊迫した状況にあっても、航悠の飄々ひょうひょうとした態度は崩れない。愛用の湾刀を鞘から抜いた航悠は、口の端で薄く笑った。


「陽連もずいぶんと物騒になったもんだ。……さて雪華さん、任務は強制終了。報酬はなし。じゃあ俺たちが稼ぎ損ねた依頼金を稼ぐには、これからどうすればいいでしょう?」


 屋敷の中からは、先ほどと同じように悲鳴と呻き声が上がっている。雪華は振り返ると、長身の相棒を見上げて答えた。


「斎の要人の救出と、可能ならば『不逞の輩』とやらを捕縛して高官や貴族に恩を売りつける」


「……ご名答。お前も考えがあくどいな」


「安心しろ。お前ほどじゃない」


 何が起こっているのか状況はさっぱりだが、とりあえずはやるべきことが見えた。頷き合うと、不審な人影が見える正門に向かって走る。


 誰が仕掛けたのか、誰を狙っているのかは分からないが――こういうやり方は、好きではない。

 無抵抗の人間を影から襲うような真似は、綺麗事と言われようと見ていて気持ちのいいものではない。それは航悠もきっと同じなはずだ。お互い、口に出しては言わないが。

 二人は並んだまま正門へたどり着くと、屋敷内に潜入しようとしていた数人の男たちの背に剣を突き付けた。


「はい止まる。……そこ、どいてくれないか? うちもそっちの主人に用事があるんでね」


「……っ」


 振り返った男たちは、みな一様に黒い布で顔を覆っていた。顔かたちは分からないが、隙間から覗く目の色で斎国人だと分かる。

 彼らはぎくりと身を強張らせると目配せしあい、雪華たちに向かって短剣を構えた。


「へえ……、俺らとやり合おうって? いいぜ、最近体がなまってたんだ。誰が相手だ?」


「くっ……」


 湾刀をゆっくりと掲げ、航悠が不敵に笑う。底冷えするその笑みに、相手が気圧されるのが分かる。

 こういうときの航悠は、容赦がない。普段ののらりくらりとした態度に誤魔化されそうになるが、剣技・体技・覇気、そのすべてにおいて奴は間違いなく一流のものを持っている。

 相手もそれに気付いたのだろう。しばらくはじりじりと睨み合っていたが、ふいに頷き合うと踵を返した。


「……引くぞ!」


「っ! 待て……!」


「おい雪華! 追わなくていい!」


 航悠の静止の声を振り切り、雪華は男たちを追って駆け出した。だが相手の逃げ足の方が早く、すぐに見失ってしまう。屋敷に戻ろうかと振り返ると、先の角のあたりから誰かの怒声が聞こえてきた。


「ふざけるな……!! なんでこんなこと、するんだよ…!」


(飛路……?)


 怒鳴り声は、飛路のもののように聞こえた。短剣を構えたまま、足音を立てずに角を曲がる。


「いくら官吏って言ったって、殺していいわけじゃないだろ…!? 無関係な人を巻き込むなよ!」


(……?)


 深い闇の中、目を凝らすと――飛路が、黒い覆面をした男の胸倉に掴みかかっていた。

 下手人だろうか。一人で勝手に挑もうとするその無鉄砲さに雪華は舌を打つと、鋭く叫んだ。


「――飛路! 離れろ!」


「! ……雪華さん!」


 突然の静止に飛路がはっと振り向く。雪華は短剣を構えたまま飛路の腰に手をかけると、相手から無理やり引き離した。


「この馬鹿! 一人で向かっていく奴があるか!」


「……っ」


 普段はこれほど激することはないのだが、今は怒りの方が勝っていた。飛路の無謀さと、闇討ちのような一連の出来事に。

 怒鳴りつけると、飛路は痛いような顔で視線を逸らす。その隙に、先ほどまで飛路に掴まれていた男が踵を返した。


「待て!」


 とっさに匕首を取り出し足を狙おうとするが、闇に阻まれてそれは叶わなかった。手を下ろすと、呆然と立ちつくす飛路を振り返る。


「お前、怪我は? 爆発には巻き込まれなかったか」


「オレは全然……。それより、あんたは? 屋敷内で音が上がったから、オレ、なんとか助けに行けないかって考えて……」


「航悠がいたから飛び降りた。それでさっきの奴に会ったのか。あいつが爆発の首謀者か?」


「……たぶん」


「斎国人か? さっき見かけた他の奴らはシルキア人には見えなかったが」


「……斎国人だった」


 どこか苦々しい口調で飛路がつぶやく。自国人がこんな事件を起こしたことに、嫌悪感があるのだろう。そう解釈し、雪華は溜息をつく。


「仕方ない。同国人といっても、色々と問題はあるさ。それよりも屋敷の中に怪我人が出ている。行こう」


「えっ。……うん!」


 雪華の言葉に飛路ははっとしたように顔を強張らせ、勢いよく屋敷へと駆け出した。それを追っていくと、今まさに屋敷に踏み込もうとしていた航悠と合流する。

 後続する敵がいないのを改めて確認すると、航悠に続いて雪華と飛路も屋敷内へと踏み込んだ。




 その日は結局、中に残っていた怪我人の介抱と運び出しの手伝いに追われ、任務はうやむやのまま終わりとなってしまった。

 爆発は煙と爆音が主体だったようで、火の手は上がらなかった。死者は出なかったが、昏倒して倒れた者は多くいたようだ。いずれも軽症だったが、その人たちの安否を確認すると、誰何すいかを問われる前に雪華たちは屋敷をあとにした。


 結局、疲れただけで何も得ることはなかった。漠然とした不安を残したまま、三人は言葉少なに宿へと帰りついた。



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