落ちたる夜鷹と邪神の王子 ※残酷描写あり
粟村がささやかな合図を送るや否や、狐狸精第三部隊の面々は、彼を先頭にして走り始めた。妖狐にしては鈍足な源吾郎は殿になってしまうかと思っていたのだが、途中で穂谷先輩がさっと後ろに回り込んだため、殿は彼となった。
その代わりというわけでは無いが、源吾郎は認識阻害の術を普段よりやや強めに発動させておいた。夜陰に乗じた疾駆と言えども、傍から見れば目立つのではないかと懸念したためだ。ましてや、血の気の多い妖狐の中には、早くも狐本来の姿に戻っている者もいるのだから。
「ん」
「何か聞こえたぞ」
「コウモリじゃあないのか」
にわかに妖狐たちの足取りが乱れ、全体的に遅れがちになった。上空に視線を走らせ、口々に思った事を述べていたためだ。
源吾郎も走りつつ、ちらと上を見やった。街灯や建物の明かりを受けつつも、闇は闇としてドロドロとした粘性を伴ってそこに在る。そしてその闇の中で、黒いナニカが羽ばたいていたのだ。妖狐たちの誰かが言ったとおり、啼き声も聞こえてきた。か細い笛をめちゃくちゃに吹いているかのような、聞いている者に不安を感じさせるような、そんな啼き声だった。
「ふんっ。これでも喰らっとけ糞鳥が」
赤褐色の毛並みを持つ二尾の妖狐――彼は人型を放棄し、ホンドギツネの姿に戻っていた――がふいに足を止め、背中を丸めて伸びあがる。直後、彼の背中の上から野球ボール大の狐火が顕現した。
勢いよく放たれたそれはそのまま闇を切り裂いて飛び上がり、そのまま爆ぜた。爆発音とはまるきり異なる、甲高い絶叫と共に。
焦げた肉と血の匂いをまき散らしながら、撃ち落されたモノが地面へと落下する。生焼けで肉と臓物が露わになっているが、かろうじて鳥である事は源吾郎にも解った。もっとも、何の鳥であるかまでは解らないが。
「どうした島崎。こいつが気になるんか?」
「いえ……その……」
ふいに問いかけられ、源吾郎はもごもごと口を動かすのがやっとだった。問いかけたのは勿論この鳥を撃ち落とした妖狐の青年である。狐のなりのままだったが、それでも彼が得意げな表情を浮かべているのは源吾郎にもはっきりと解った。
「こいつぁ夜鷹だ。んでもって、八頭怪の手先だよ。あいつはな、どういう訳か夜鷹やホトトギスなんぞを手下にするのを好むんだ」
よっこらしょ。芝居がかった口調で彼は言うと、そのまま四本の足で夜鷹だという鳥の残骸をまたぐ形を取った。一体何をするのだろうか。源吾郎は、思わず彼の姿を眺めていた。
その妖狐が仕出かした事に、源吾郎は思わず息を呑んだ。
赤褐色の妖狐は、片脚を上げて放尿し始めたのである。撃ち落したばかりの夜鷹の残骸に、おのれの尿が掛かるように、だ。
その様子を眺めていた源吾郎は、もうそれだけでもパニックになりそうだった。名前と顔がはっきりと合致しないとはいえ、赤毛の彼は源吾郎の仲間である事には違いはない。その仲間たる彼が、まるきり動物めいた挙動を行っていた事にまず面食らったのだ。
しかし一方で、彼の行動が動物である狼や狐にはありがちな事であるのを思い出してもいた。王様という意味でロボと呼ばれていた巨狼も、人間がばらまいた毒餌の上で脱糞したというではないか。妖狐の話では無いにしろ、やはり狐が毒や危険と見做したものに対して小便を掛けるという話は何処かで見た気がする。
そのような事を思えば、やはり驚くまでもない事なのだろうか。でもやっぱり先輩がそんな事をしているのを見たらビビる。源吾郎の頭の中では、早くも堂々巡りが始まってしまった。
「尾崎! お前は一体何をやってるんだ。遊んでないで敵陣へ進むぞ!」
「へ、へぇ。すんません粟村部隊長」
暗がりから粟村先輩の叱責が飛ぶ。赤褐色の尾崎はペコリと頭を下げる素振りを見せると、再び走り始めた。
源吾郎もしばしの間ぼんやりとしていたのだが、粟村先輩の檄は、そんな源吾郎に対しても飛んできたのだった。
※※
太陽が落ち闇が周囲を覆っても、だからと言って誰もがそのまま活動を終える訳ではない。むしろ闇の中でこそ活動を続ける者、いっそ光を避けて活動を続ける者もいる位なのだ。
やはり自分は夜行性であり、闇と親しい関係にあるのだ。食屍鬼の亜孤姫は、自分の心の動きを見つめながら、そう思わずにはいられなかった。太陽が顔を出し陽光が周囲を照らすと、どうにも落ち着かなくなってしまうのだ。逆に夜が来て周囲が暗くなると、気持ちが落ち着く。そう言うものなのだと思いつつも、そんな自分が何とも忌々しかった。
所詮は日陰でコソコソと過ごす食屍鬼に過ぎない。下らない妄想などは捨てて、食屍鬼らしく生きればいいのではないか――誰かからそう言われ、嘲笑されているような感覚すら亜孤姫は抱いていた。
とはいえ、そんな事をあれこれと考えていられるほど暇でもない。明日になれば敵対組織たる雉鶏精一派に総攻撃を仕掛けなければならないのだ。そしてその準備に追われている最中でもある。主導者である八頭怪やその側近は言うまでもない。末端の新たな信者として集まった亜孤姫や他の者たちも、準備に明け暮れていた。
八頭怪の部下である夜鷹の妖怪などから戦法や戦略について聞かされ、それらを確認し、状況によっては武器を用意する。あるいは仲間同士で士気を高め合う。こうした事が、亜孤姫たちなりの準備だった。
「なにっ。入譜丸からの通信が途絶えたぞ――」
「ああ確かに。数分前まで定期連絡が入っていたのに」
深海ヨリ来ル者の青年――食屍鬼の群れから出奔したあの夜に出会った青年だ――の許へ向かおうとした丁度その時、二羽の鳥妖怪が顔を突き合わせてそんな事を語っていた。一方は夜鷹で一方はホトトギスであるが、彼らはいずれも八頭怪の直属の部下であるらしい。そしてこの度の全面戦争では、信者たちを束ねる指揮官の任も背負っていた。
「あの、一体どうされたのでしょうか」
気付けば亜孤姫は鳥妖怪たちの許ににじり寄り、質問を投げかけていた。少しでも役に立つところを見せたい。唐突に、そんな気持ちが彼女の内奥から湧き上がっていた。
夜鷹とホトトギスの二人組は、彼女の問いに驚いた様子を見せて顔を見合わせた。少ししてから夜鷹の方が向き直り、渋面を浮かべつつ口を開いた。
「我らが同志にして同胞たる入譜丸の連絡が途絶えてしまったんだ。我らは念話を用いて互いに連絡しあっているのだけどな」
それにしても。多少の怪訝さを滲ませながら、夜鷹は言葉を続ける。
「我らの中でも無能で間抜けな連中は、敵対勢力である雉鶏精一派の糞忌々しい鴉共によって間引かれたばかりなんだよ。それ故に、我らもようやく精鋭揃いになったはずなのだが……」
さも不思議そうに語る夜鷹の言葉に対し、亜孤姫は若干の違和感と嫌悪を抱いた。それが何故なのかは解らないが。
「入譜丸先輩ならば、クソギツネに殺されちまったんですよぅ、上官殿ぉ」
何故私は夜鷹の発言に嫌悪感を抱いたのだろう。それについて考えを巡らせる間もなく、背後から更に声が掛かった。
のっそりとしたその声の主は、異形の王子たるイルマだった。
鳥妖怪ながらも山羊めいた風貌と冒涜的な触手を気まぐれに顕現させる彼は、八頭怪の重臣の一人だった。むしろそれどころか、大いなる邪神・道ヲ開ケル者の息子なのだという。ともあれ亜孤姫にしてみれば、不気味な姿とは裏腹に無邪気さの目立つ表情が印象的だった。
今回とて、自分より立場が低いはずの夜鷹たちの事を上官と呼びならわすところからも、彼の妙に純朴な部分が垣間見えていた。
ともあれ、イルマの言葉に夜鷹とホトトギスの異形は顔をひきつらせた。もちろん、亜孤姫もだ。
「キツネビとかいう弾丸で入譜丸先輩は粉みじんにされた挙句、糞ったれなクソギツネにおしっこまで引っかけられたみたいなんですよぅ。ああもう、本当に悲しい限りだなぁ。彼の骸は、こ、この俺が、責任をもって腹に収めないとなぁ」
言いながら、イルマは奇怪な唸り声を上げながら涙を零し始めていた。涙は淡く濁った黄緑色で、しかも粘度の高い液体であるようだった。
そんな粘っこいしずくが地面に滴り落ちた丁度その時、上官殿のどちらかが叫んだのを亜孤姫は聞いた。
次の瞬間、亜孤姫も上官たちも、突風にあおられ吹き飛ばされていた。イルマは目方があったためか、それほど飛ばされなかったようだが。
無様に転がった亜孤姫たちをあざ笑うかのように、巨大な羽音と甲高い啼き声が周囲に響き渡る。
痛む身体を制して顔を上げると、上空には巨大な黒い鳥が宙を舞っていた。獣の頭に燃える翼と羽毛を持つ、奇怪な小鳥を従えながら。
この異形の鳥どもは、私たちの敵だ。獣の瞳で闇夜を睨みながら、亜孤姫は確信した。
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