雉天狗 義妹の配下に疑念を呈す

 峰白が萩尾丸たちを案内したのは、小ぢんまりとした一室だった。四、五名が入れば満室になってしまう。さりとて貧相な部屋ではない。大陸由来の調度品と、窓を模した絵が飾られた、何処か荘厳な雰囲気を纏った部屋である。

 実を言えば、源吾郎がこの部屋に入るのは二度目だった。入社して間がない頃に、やはり峰白に導かれてこの部屋に通されたのだ。もっとも、その時は紅藤が傍にいたのだが。


「少し時間もかかるでしょうから、お茶でも出すわね」


 峰白はそう言うと、背の低い棚の扉を開けた。そこからはさも当然のように魔法瓶――それもポットの類などではなく、大正や昭和初期にお目にかかれるような代物だ――と茶器を取り出していた。

 あの棚は単なる調度品ではなくて、きちんと収納具として機能していたのだ。その事に源吾郎が驚いている間にも、峰白は「お茶を出す」用意を粛々と進めていた。

 呆然とする源吾郎と何てことないかのように用意を行う峰白の間にいた萩尾丸は、申し訳なさそうな表情を浮かべ、やや慌てた様子で言葉を紡ぐ。


「峰白様。お茶出しならばそれこそ末端の妖怪たちに任せれば宜しかったのでは?」「別に良いの。今はあんたたち以外の妖怪に立ち入って欲しくなかったから」

「であれば、ひと声かけて頂ければ、私がお茶の用意くらい致しましたのに……」


 恭しい萩尾丸の言葉に、源吾郎は違和感といくばくかの不気味さを覚えてしまった。もっとも、それは萩尾丸のそうした物言いに、源吾郎が慣れていないからなのだけれど。

 峰白はというと、萩尾丸の申し出に歯を見せて笑っていた。


「この部屋の事は萩尾丸よりも私の方が詳しいから。別に構わないでしょう」


 そう言っている間にも、峰白はお茶を出す準備を着々と進めていた。もう既に、彼女は魔法瓶の湯を茶器に注いでいる。立ち上る香りからして桃茶であった。カフェインの入っていない茶外茶を出してくれるのは有難かった。妖狐の血が濃い源吾郎は、カフェインを受け付けない体質である為だ。もっとも、峰白も雉妖怪であるというから、彼女もカフェインを受け付けないだけかもしれないが。


「お茶請けは無いけれど、別にあんたたちなら大丈夫よね」


 そうこうしているうちに、茶器が萩尾丸や源吾郎の許に運ばれる。峰白が手ずから運んでいるのだが、お茶請けの話と言い、彼女も彼女で妙に気を遣っているように感じられた。

 萩尾丸はというと、峰白の言葉に対して朗らかな笑みを浮かべていた。


「大丈夫ですよ。私も良い歳ですし、食とか体型は多少気にしていますからね。島崎君も……彼は大分若いですが、まぁその辺りは気にするでしょうから」


 笑顔の萩尾丸が口にした言葉は、色々とツッコミどころのある物だった。源吾郎はしかし、萩尾丸に肩を叩かれると、へらりと妙な笑みを浮かべて頷くだけに留めておいた。ここは特段ツッコミを入れずに受け流しておくべきだ。温室育ちの仔狐と言えども、その事を感じ取れるだけの常識は持ち合わせているのだ。


「それじゃあ本題に入りましょうか」


 面子が面子だから、まだるっこしい前置きは要らないわね。峰白がそう言って切り出したのは、桃茶を出した直後の事だった。それこそ、源吾郎が桃茶で口を湿らせたところである。

 慌てた源吾郎が茶器を置く。陶器のぶつかる音が狭い部屋に響いた。

 源吾郎が立ててしまった物音の余韻が失せてから、峰白が口を開いた。


「紅藤が、いえ紅藤だけじゃあなくて緑樹や灰高までも平常心を失っている事に、あんたたちは気付いたかしら」

「え……」


 紅藤を筆頭とした上位幹部たちが平常心ではない。峰白の言葉に、源吾郎は思わず驚きの声を漏らしていた。その一方で、峰白の発言を突拍子の無いものだとは思っていなかった。言われてみればそうかもしれないと思ってさえもいたのだ。


「確かに、その件は私も気付いておりました」


 澄ました表情で萩尾丸が応じる。それを見た峰白はまず満足げに頷き、手ずから淹れた桃茶を口に含んだ。喉を動かして茶を飲み込み、茶器をテーブルに置いた時には、彼女は複雑な表情を見せていた。


「結局のところ、八頭怪は封じ込めるべきだという結論に落ち着いたでしょ。言い出したのは灰高で、協力者は真琴ね。それに、紅藤や緑樹も乗っかった形になるんだけどね」

「……峰白様は、八頭怪を封じ込めるという策には懐疑的、という事でよろしいでしょうか?」


 おずおずと、しかし飾りもおもねりのない言葉にて萩尾丸は峰白に問うた。

 萩尾丸の問いを発端として、部屋の一室はしんと静まり返った。張りつめた、重たささえ伴う類の静けさが、部屋の空気に充満していくのを、源吾郎は感じた。

 峰白は思案顔のまま、しばし黙り込んでいた。ややあってから丸くて黒々とした瞳孔を収縮させ、言葉を紡ぐ。


「懐疑的、とまではいかないわ。それに、妖術・仙術に詳しい灰高や紅藤が封じ込める方法を選んだのならば、それが最善なのだろうと私も思うようにしているの。萩尾丸もご存じの通り、私は妖術の類には疎いからね。敵をぶち殺すしか能のない手合いに過ぎないわよ」


 そこまで言うと、峰白はうっそりと微笑んでいた。ある種の自嘲の念が込められているのだろうが、源吾郎を震え上がらせるには十分すぎる凄味があった。


「そんな事をおっしゃらないで下さいませ、峰白様。時には直截的に闘う方が、妖術などを頼った搦め手よりも、有効打になる事とて往々にしてあるのですから」


 やや困惑した表情で萩尾丸は告げた。だが、世辞ともつかぬ言葉を言い切ると、彼は普段通りの真面目な表情に戻っていた。


「峰白様の仰りたい事は解ります。八頭怪との禍根を断つためには、彼を斃すのが一番ですものね。それは私だけではなく、八頭衆の皆も理解している事でしょう」


 ですが。尚も言葉を続けようとした萩尾丸を遮り、峰白は言葉を続ける。何処か得意気な笑みを浮かべ、頷きながら。


「だけど八頭怪を斃す事が難しいのもまた、大きな事実なのよね。紅藤の言う通り、あいつは二郎真君たちと闘って、傷を負ったと言えども逃げおおせたのよ。その点だけでも、凡百の大妖怪とは一線を画しているとも言えるわ。それに胡喜媚様の実弟でもあるから、私たちよりもはるかに長生きだわ。玉藻御前の子女である、伯服や玉面公主よりも年長でしょうね」


 玉藻御前の実子にして源吾郎の親族である伯服と玉面公主も、長命な妖怪に他ならない。周王朝の王子たる伯服は二八〇〇歳ほどである。玉面公主は伯服のように厳密な年齢は解らないが、若く見積もっても一七〇〇歳程度であると考えられる。

 そんな伯服たちよりも、八頭怪は長生きであろう。それはまぁ胡喜媚の実弟である事を思えば、さほど不自然な事とは思えなかった。言動はやや軽薄で若々しくも見えるが、そんな事はもはや些事である。年数を経た老齢な妖怪の全てが、老いた威厳のある姿を取るとは限らないからだ。むしろ敢えて若々しい姿や、子供の姿を取る事すらある。そしてそれは、源吾郎や雪羽のような若妖怪が、大人妖怪や老妖怪に擬態するよりもはるかに簡単な事なのだ。

 そんな事を源吾郎がつらつらと考えている傍らで、萩尾丸は峰白の言葉に頷いていた。胡喜媚様の弟であるから、既に四〇〇〇年近く生きていると考えても良いでしょうね。萩尾丸の言葉が、源吾郎の耳朶を打ち、鼓膜を震わせていた。


「そうよ。八頭怪はそれくらい生きているのよ」


 念押しするかのように、峰白は告げた。噛んで含ませるように、一言一句噛み締めながら。それから峰白は身を乗り出し、萩尾丸と源吾郎とをじぃっと見つめながら言葉を続ける。


「萩尾丸。そしてそこの仔狐も……私たち妖怪が、特に長く生きた妖怪の最大の武器が何であるか。それは解っているわよね?」

「膨大な知識と深い智慧。それこそが、長命な妖怪の武器に違いありません」


 萩尾丸の返答は驚くほど速いものだった。そしてその答えは正答だった。峰白は僅かに頬を緩ませ、満足げに頷いているのだから。


「ええ、その通りよ萩尾丸。若い浅はかな連中の中には、妖怪の最大の武器は妖力だと思っているでしょうけれど、そんなものは私たちの本質ではないわ。生き延びるうえで蓄えた知識。相手を出し抜き、おのれの地位を優位に保つための智慧。それこそが、私たちの本質であり、最大の武器なのよ。

 そしてその武器は、誰もが平等に持ちうるものなの――死なずに、長く生きていればね。ただそれだけの事でも、手に入れられるものなのよ。だからこそ、若いは知識や賢しさを馬鹿にしがちですけれど」

「つまり、八頭怪も様々な知識や智慧を蓄えていると、そう仰りたいのですね」


 その通りよ。萩尾丸の言葉に、峰白はまたしても頷いた。


「正直に言うと、私も少し不安なのよ。灰高や紅藤たちは、八頭怪を封じるって事でそれが最善だと安心しているみたいだけど……それすらも八頭怪によって事ではないかと思っているの。仕組んだとまでは言わずとも、そう言う考えにされているんじゃあないかってね」

「八頭怪が、紅藤様や灰高様の考えを誘導したですって!」


 峰白の吐露に、源吾郎は思わず声を上げてしまった。萩尾丸から鋭い眼差しで睨まれたが、峰白が構わないとばかりに視線で彼を制した。そして今度は、意見の続きを述べろとばかりに源吾郎に視線を向けたのだ。

 峰白の鋭い視線を受けた源吾郎は、へどもどしながら言葉を紡ぐほかなかった。考えはちゃんと頭の中にあるのに、いざ言葉にしてみようとすると、変に怖気付いてしまったのだ。


「ええと、その、僕の知る限り、八頭怪が紅藤様や灰高様を直接唆したり、ましてや洗脳したようには思えないのです。それに……それに紅藤様たちだって、僕からしてみれば年数を経た立派な大妖怪です。なので、いかな八頭怪が相手と言えども、おかしな術に掛かってしまうとは、到底思えないのですが」

「あらあら島崎君。別に私は、八頭怪が紅藤たちに働きかけたとは言ってないわよ」


 しどろもどろに語った源吾郎の言葉を聞き終えると、峰白はようやく口を開いた。優しげだがその優しさは取り繕った物に過ぎず、その裏には出来の悪い学生に呆れる教師のような念が渦巻いていた。


「ただ、紅藤も灰高もここ数日ほどの間に変に揺さぶりをかけられて、『早く八頭怪をどうにかしなければならない』と思うようになり始めているでしょ。しかもその発端になったのは、山鳥女郎とかいうメンドリや、その娘で幹部だった紫苑の働きかけによるものだもの。揺さぶりをかけて視野狭窄をもたらしたのも……八頭怪の思惑のうちなのではないかしら」

「それでは峰白様。私どもは、一体どうすればよろしいのでしょうか」


 峰白の言葉を頭の中で咀嚼している傍らで、萩尾丸が問いかける。ひたと峰白を捉えるその瞳は、親に縋る幼子のように見えてしまった。

 峰白もまた、その眼差しを真っすぐ受け止め、重々しい口調で答えた。


「……そうね。難しいかもしれないけれど、あんたには引き続き紅藤を支えて、場合によっては導いてほしいのよ」


 そう語る峰白の表情は何処か物憂げで、物悲しげでもあった。何か見てはいけないものを見てしまったかのような錯覚に、源吾郎は尻尾の毛を震わせた。


「萩尾丸は賢いし、紅藤にも忠実に仕えてくれているのは私も知ってるわよ。それに今回は、紫苑や山鳥女郎の事で、あいつも相当動揺して、マトモな判断を下すのが難しくなっている。紅藤がそんな状態だから、あんたが傍にいて、冷静な判断を下して欲しいのよ」

「――御意に」


 やはり萩尾丸は、恭しい態度と口調でもって、峰白の申し出を受け入れていた。

 峰白と萩尾丸、そして源吾郎の密談は、ここで終わりを迎えたのだった。

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