鴉と夜鷹の代理戦争、そして幹部会議の幕開け

 雉鶏精一派本社ビル。その周囲では二種類の鳥が飛び回っていた。

 一方は鴉、恐らくはハシブトガラスの類だった。人間たちが思わず脅威と見做すほどの巨躯を誇り、黒い翼をひるがえし時に風に遊ばせながら空を舞っている。

 普段ならば悠然と飛んでいるはずの彼らの動きは、しかし紅藤の見る限りせわしない物であった。

 それはもう一種の鳥を彼らが追い回し、逆に彼らの方がその鳥に追い立てられてもいたからだ。

 もう一種の鳥は、鴉よりはいくらか小柄で、鳩ほどの大きさである。全身を覆う灰褐色の羽毛と、頭部の中ほどまで裂けた嘴が特徴的であった。

 群れを成し、鴉を追い立て鴉に追われるその鳥は、夜鷹だった。はて、と紅藤は小首をかしげる。夜鷹とはその名の通り夜行性の鳥類である。日中はもっぱら枝の上で休息している事が多い訳であるから、ああして鴉と張り合って空を舞うのは珍しい事だ。

 それに鴉と夜鷹の両種族の動きも奇妙な物だった。鳥が他種の鳥を攻撃する、モビング行為については紅藤も知っている。だが上空で行われているそれは、モビング行為とは言い難かった。さりとて鴉が夜鷹を一方的に狩ろうとしているとも言い難い。

 むしろこれは――思案を重ねる紅藤の足許に、灰褐色の丸っこい塊が叩きつけられるようにして落下した。塊は湿った音を立てて地面の上でひしゃげ、少し間を置いてからドロリとした紅色が滲み出てくる。

 墜落したのは夜鷹の死骸だった。その身体からは血があふれ出していたが、何も落下の衝撃によって溢れ出たものでは無かった。では何故か。左の片翼が千切り取られていたためだ。

 もちろん、鴉の嘴では刃物のように肉や骨を両断する事は難しい。現に夜鷹のもがれた翼の根元からは、翼の中にあった小骨やら血管やら神経と思しき白い紐状のものが、ぞろりと顔をのぞかせていた。

 いっそバードストライクの犠牲になった鳥の骸などよりも、凄惨な様相を見せている。紅藤はそんな事を思ってしまった。


 紅藤様。耳元で聞こえてきた声に、はっとして紅藤は顔を上げた。声の主はもちろん萩尾丸である。彼は、呆れの色を隠さないままに紅藤をじっと見つめていた。


「これは生存競争、もしくは代理戦争のようなもの。そんな所だと、私は思っているのですが」


 そうね。眼差しとは裏腹に軽い調子で語る萩尾丸に対し、紅藤も短く頷いた。

 その脇を通り過ぎる際に、数匹のネズミが夜鷹の骸へと駆け寄るのが、視界の端でちらと見えたような気がした。


 案の定というべきか、幹部会議の場である第一会議室は、異様な空気に包まれていた。

 出席者は二十名弱。出席メンバーは頭目である胡琉安に幹部たる八頭衆の八名、そして更に幹部たちの重臣や側近である。

 彼らの見せる感情や表情は様々だった。概ね緊張したりただならぬ気配を前に神妙にしている者が多かった。だが余裕の笑みや表情を浮かべる者もいたし、もっと積極的に、朗らかな笑みを見せている者すらいる始末だった。

 例えば第四幹部の灰高は、心の内に秘めた緊張の念が、無表情を装った仮面の奥からかすかに滲み出ていた。逆に第七幹部の双睛鳥などはやけに陽気な様子で、弟分にして第八幹部の三國が面食らい、あれこれ問いただしたり話をはぐらかされたりしていた。

 ちなみに第一幹部の峰白は、胡琉安に侍りつつも普段通りの笑みを浮かべていたし、第五幹部の紫苑もまた、表情が読めなかった。狼狽えたり色々と表情を変えるのが男妖怪ばかりで、女妖怪は取り澄ましているのだな……そんな風に思って、笑える余裕は、残念な事に今の紅藤は持ち合わせていなかった。


「さて、八頭衆の皆も、そして幹部の側近の方々も、全員集まったよう、ですね」


 柏手を打ってから言い放ったのは、我らが頭目である胡琉安その妖だ。彼もまた、余裕を見せようとしながらも、当惑や狼狽の色を隠せないでいた。雉鶏精一派の頭目として君臨する胡琉安が妖怪としてはうら若い事、それ故に自分よりも年長である幹部たちを前に多少気後れする事。それらは紅藤もよく知っている事柄だった。

 何せ胡琉安は、他ならぬ紅藤の息子なのだから。


「それでは会議を始めましょう。今回の会議は、雉鶏精一派の今後を左右する重要な内容であるとの事ですが……ご意見のある方は、どうぞ発言して下さいませ」


 雉鶏精一派の今後。胡琉安が、その部分で強い緊張の念を滲ませた事に、紅藤は目ざとく気付いていた。

 仮に気付かなかったとしても、その事は解っていた。胡琉安にしてみれば、雉鶏精一派こそが彼の世界の全てなのだ。もちろんその事も紅藤は知っている。他ならぬ彼女こそが、雉鶏精一派の為に胡琉安を生み出したのだから。雉鶏精一派の最高権力者として君臨する胡琉安は、しかし臣下であるはずの紅藤たちの傀儡でもある。そしてその事を胡琉安もきちんと心得ている。彼の事を、健気だと思うのは、紅藤がそう思うのは欺瞞なのかもしれない。


――私が自分の子供たちを手駒として利用している事を、あんたが糾弾する権利なんて無くってよ。だってあんただって同じ事をやっているじゃない


 山鳥女郎のあの言葉が脳裏によみがえる。紅藤は目を伏せ、頭を振ろうとするのを押しとどめた。研究センターの中ならいざ知らず、ここは幹部たちが一堂に会するオフィシャルな集まりだ。もちろん研究センターもオフィシャルな空間である事には変わりはない。だがあそこは自分が長であるし、紅藤に悪感情を向ける者たちは基本的にはいない。だが八頭衆の面々は違う。紅藤を良く思わない者もいる訳だし、何より明確な敵が存在しているであろう事も示唆されているではないか。

 紅藤の心中での問答は、幸いな事に誰にも気づかれなかったらしい。気が付けば、発話者は胡琉安から峰白に代わっていた。


「そうですわね胡琉安様。今回の会議の主だった内容は、差し当たって我々と敵対する勢力の動向になりますわ」


 峰白はそこまで言うと、視線と放つ言葉を胡琉安から会場全体の妖怪たちへと向け始めた。


「以前、私ら上位幹部たちの会合の後に、金毛九尾の娘である玉面公主様がお見えになったの。その時彼女は、八頭怪の暗躍が目立ち始めている事、彼女や異父兄である伯服様の子孫たちがその動きに巻き込まれていないか警戒していたわ。

 もちろん――現段階で八頭怪と一番因縁のある、雉鶏精一派が八頭怪に対してどう出るかについても、気にしてなさっていたようだけどね」


 玉面公主。その名を聞いた幹部たちの反応は、思っていたよりもささやかな物だった。いかな金毛九尾の娘にして大陸におわす大妖怪と言えども、日本の妖怪たちとは関りは薄いからだろう。

 もしかしたら、補足として「玉面公主様とその一族は、私たちと八頭怪との闘いに力添えはしないそうよ」と峰白が言い足していたのも関係があるのかもしれない。

 しかし、ややあってから控えめに挙手する者がいた。第七幹部の双睛鳥である。欧州産の化鳥であるセイレーンの女性を側近として侍らせている彼は、今回の会合の場ではやけに陽気な態度を見せていた。


「峰白様に胡琉安様。少しだけ宜しいでしょうか」


 良いわよ。峰白は短くきっぱりとした口調で申し出に応じる。それを見た双睛鳥は、さも得意げな表情で言葉を紡ぎ始めた。偏光眼鏡の奥に隠された瞳が、少年のようにキラキラと輝いている事には、紅藤は目ざとく気付いていた。いかな近眼と言えども、紅藤もそこまで視力が衰えている訳でもないのだ。


「玉面公主様と伯服様で思い出したのですが、僕も昨夜、金毛九尾の子孫だという青年に出会ったんです。あ、もちろん、雉鶏精一派にいる島崎君とは別個体ですよ」


 ハッとした表情と共に付け加えられた最後の一文に、周囲にどっと笑いの渦が沸き起こった。双睛鳥は飄々としている割に妙に生真面目で、そうした所が皆の笑いを誘発する事がままあるのだろう。

 双睛鳥のさらなる説明によると、その青年は趙と名乗っており、生まれは大陸なのだという。但し現在は留学生として港町にある大学に通っていて、そのために先日双睛鳥は彼と出会う事となったのだそうだ。


「紅藤様。趙君の事を島崎君に伝えてみたらいかがでしょうか。彼の事なので、遠縁と言えども親戚がいる事を知れば、とても喜ぶと僕は思うのです」

「そうねぇ……とりあえず話だけでもしてみようかしら」


 言いながらも、自身の言葉はやけにぼんやりしているように紅藤には感じられた。そして周囲では、早くも幹部の面々は先程の双睛鳥の言葉についてあれこれ持論を展開させ始めていた。


「双睛鳥君も、やはりノリの軽い若者ですね。趙という名の妖狐が金毛九尾の末裔であるからと言って、それだけで我々や島崎君と友好的であると考えているようなのですから」

「とはいえ灰高様。雪羽の……甥の一族なんかも、五、六世代前の当主の兄弟とかも生き残っててさ、そいつらも長老だの大伯父だのと持ち上げられているからさ、それと何となく似てるんじゃあないですかね。まぁその……貴族って血の繋がりは大切にするから、どれだけ薄まっても身内判定しがちですし」

「そう言う問題ではなくて、そもそも親族であるからと言って、味方であると見做す事自体が危険かと私は思うのですが」

「……紫苑様の仰る事もごもっともかと思います。我々雉鶏精一派をつけ狙う八頭怪とて、胡喜媚様の弟君なのですから」


 いえいえ皆さん。八頭衆の面々と側近たちがあれこれと話す中で、双睛鳥は今再び口を開いた。飄々とした表情はなりを潜め、真剣な面持ちで皆を眺めていた。


「趙君は僕たちの敵にはなりえませんよ。もちろん、僕たちの抱えているごたごたに、彼を巻き込むつもりはありません。ですが……むしろ彼は僕たちの仲間に近いという事ははっきりと断言できます」

「へぇ。双睛鳥。あんたがそこまで言い切るなんて。それは興味深いわね」


 峰白はおとがいを片手で撫でながら、双睛鳥に更に詳しい話を続けるようにと促したのだった。

 それもこれも、双睛鳥がこれから語るであろう事に、何か重要なものが隠されている。その事を峰白が敏感に察知したためなのだ。そんな風に紅藤は考え始めていた。

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