打ち合わせと不穏なる来訪者

 始業時間のチャイムが鳴る数分前に、月曜日の朝の打ち合わせが始まった。

 表向きには、打ち合わせは始業時間である九時から始まる事になっている。しかし皆――と言っても総勢六名しかいないのだが――集まっている訳だから、開始時間も多少前倒しになったのだ。

 ましてや今日に限って言えば、紅藤も萩尾丸もこの後は本部での打ち合わせも控えている。前倒しで手短に打ち合わせを済ませてしまおうと思ったとしても、何らおかしな話では無かろう。源吾郎は無言のまま、傍にいる雪羽と目配せしつつそんな事を思った。

 雪羽も特段何も言わなかったが、源吾郎とほぼ同じ事を考えているであろう。


「……それでは打ち合わせを始めますね。と言っても、私どもも予定が立て込んでいますので、普段よりも手短に行う予定ですが」


 打ち合わせ開始の文言は、およそこのような物であった。

 もちろん発話者はセンター長の紅藤である。朝が弱く血圧も低い彼女であるが、その声は普段とは異なり多少の凛々しさを伴っていた。普段から朝方はだらけていると言いたいわけでは無い。紅藤もまた、今日ばかりは緊張しているという事の表れなのだと源吾郎は思っただけだ。事務所の雰囲気がいつになくピリピリしている事、その発生源が紅藤と萩尾丸である事は、雪羽からあらかじめ聞かされていた事であるし。


「皆もご存じの通り、私と萩尾丸は朝から本部の打ち合わせに向かいます。当初の予定としては昼過ぎには終わるとは思うのですが、場合によっては打ち合わせが長引く可能性もありますので……その場合は、夕方や夜にこちらに戻る事になるかもしれません」


 昼過ぎに終わる予定の打ち合わせが長引き、研究センターに戻るのが夜になるかもしれない。いきなりそんな事を言われたものだから、源吾郎は面食らってしまった。打ち合わせの内容については触れられていない。だが紅藤が御自ら出向くという事自体が、打ち合わせの内容が重要かつ機密性の高い物である事を物語っていた。

 というのも、重要度の低い打ち合わせであれば、紅藤の代理若しくは使者として、部下である萩尾丸に参加させてそれで終わりという事もままあるからだ。

 なお、萩尾丸は紅藤に打ち合わせを丸投げされる形になるのだが、彼自身が社会妖として恐ろしいほどに有能であり、その上紅藤に忠実だったりするので丸投げしても滅多な事で問題は生じないらしい。何となれば、他の妖怪たちとの交渉や調整は、萩尾丸の方が得意であるくらいなのだから。


「打ち合わせの方も、皆もお察しの通り僕たちには避けて通れない内容になっているからね。運が良ければ予定通りに切り上がるかもしれないけれど、きっと荒れに荒れるだろうね」


 紅藤の言葉に続き、萩尾丸もまた口を開いた。話している内容自体は紅藤のそれと大分重複していた。それでも萩尾丸が話す事自体に、何がしかの意味があったのかもしれない。源吾郎はぼんやりとそう思った。


「紅藤様や僕たちの事はさておき、後の四人は研究センターで通常業務って事で大丈夫だね?」

「はい」


 萩尾丸の問いかけに応じたのは青松丸だった。紅藤の息子にして愛弟子、そして萩尾丸の弟分とも見做される彼は、柔和なその面に人の良さそうな笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「本日は特に、研究センターへの来訪者の予定もありませんので。工場棟の方への巡回と確認に関しても、僕の方で行っておきます」


 そこまで言うと、青松丸は源吾郎と雪羽に視線を向けた。


「それに新妖しんじんの二人、島崎君と雷園寺君も、研究センターでの業務に慣れてきたようですからね」

「そりゃあ仕事にも慣れるだろうさ。島崎君も研究センターに入って丸一年だし、雷園寺君でもかれこれ半年以上はここにいるんだからね」


 いつになく冷徹な口調で言ってのける萩尾丸の言葉に、源吾郎と雪羽は思わず顔を見合わせてしまった。もちろん、源吾郎とて仕事に慣れてきた事について手放しに褒められるなどとは思っていない。しかし、ここまでドライな口調で言い放たれるとは思ってはいなかった。源吾郎たちが研究センターに馴染むのは当然の事であり、その事について取り立てて騒ぐ必要はない。萩尾丸がそのように考えているであろう事が、言葉の節々から伝わってしまったのである。


新妖しんじん二人に関しては、普段通り仕事を割り振ってもらったら大丈夫だから、そこは青松丸君とサカイさんで調整してくれるかな」


 ああそれと。何かを思い出したという調子でもって、萩尾丸は言葉を続ける。


「もしも戦闘訓練や、そうでなくとも妖術の鍛錬とかをさせるのならば、サカイさんが監督するような形でやってみようか」

「えっ。あ、青松丸さんでは無くて、わたしが監督ですか!」


 いきなり名指しされた事に対し、サカイ先輩は驚きの声を上げていた。もちろん源吾郎だって驚いている。サカイ先輩は確かに先輩であるが、源吾郎たちの面倒を見たり積極的に絡んだりする立場ではないと思っていたからだ。

 むしろ源吾郎たちに絡むのは萩尾丸や青松丸の仕事であり、サカイ先輩は自分たちと同じく若手の括りに入っているのだと思っていた。

 一方の萩尾丸は、特段驚くそぶりも見せずに言葉を続けた。


「君ももはや単なる若手の下っ端では無いんだから、ね。現に君の下も出来てしまった訳だし、そろそろ君も下を教育するという事を覚えて欲しいと僕は思っているんだ」

「わ、わたしは表立って活動するなんて事はそんなに得意じゃあありませんけれど……」

「我らがセンター長である紅藤様を襲撃した妖怪の言葉とは思えないなぁ……何、島崎君も雷園寺君も、君に対する反抗心など持ち合わせていないのだから、特段気負う事は無いだろうに」

「まぁまぁ萩尾丸。その話もそれくらいにしておきましょう」


 サカイ先輩がタジタジになっている事を見かねたのか、紅藤が気だるげに告げた。気だるげだろうとアンニュイだろうと、紅藤の言葉には名状しがたい重みを伴っている事もまた事実だ。現に萩尾丸も、神妙な面持ちになりつつも言葉を打ち切ったのだから。

 ちなみに紅藤の態度を見ていると、サカイ先輩に妙に優しい所も見受けられる。萩尾丸や青松丸よりもうんと若いためなのか、はたまた弟子たちの中で唯一の女妖怪であるからなのか。その辺りの紅藤の心情は、源吾郎などには解らぬものだった。


 その後の打ち合わせは特筆すべき事もなく、スムーズに進んでいった。本日以降の予定を確認し、更に何か言わねばならぬ事を聞きだした程度だったのだ。

 だからこそ、打ち合わせの終盤には緩んだような空気がにわかに漂い始めていた。もちろん紅藤と萩尾丸は緊張したままであるが、彼らは打ち合わせに望まねばならぬから仕方ない事だ。だが源吾郎たちに関しては、その後は普段通り研究センターで業務に励むだけであり、普段と大きな違いはない。結局の所妖術の鍛錬だけで戦闘訓練も無いので、その点でも気楽である。


「それでは、今週もよろしくお願い――」


 紅藤が打ち合わせを終えようと締めの言葉を放った丁度その時、センター内の内線電話がけたたましく鳴り始めた。甲高い電子音にぎょっとしたのも一瞬の事である。うんざりした表情を浮かべながらも、紅藤は受話器を取った。


「お疲れ様です。今打ち合わせの最中なのですが、一体どうされたんですか? え、そうですか……はい、承知しました」


 電話口の相手は、工場棟の職員だったのだろうか。取り繕っただけの丁寧な言葉で応対していた紅藤は、電話が終わるとそのまま受話器を置いた。普段よりもその動きが乱雑に見えたのは、源吾郎の気のせいでは無かろう。


「今から私たちに来客ですって」


 部下たちを見渡しながら紅藤が告げる。その面と声音には、驚きの念と若干の不機嫌さが見え隠れしていた。


「来客ってどなたですか」

「山鳥女郎、と名乗っていたわ」


 おずおずとした調子で尋ねる萩尾丸に対し、紅藤は簡潔な口調で返答する。山鳥女郎。その名を聞いた源吾郎と雪羽は、静かに顔を見合わせた。何処かで聞いた事がある名だと思ったためだ。


「彼女とはあのお方がおかくれになって以来、ほとんど顔を合わせていなかったというのに、一体今更になって何の用事でここに来たのかしら。とはいえ、向こうも向こうでそんなに長居はしないそうだから、まぁ相手にしてやっても構わないでしょうね」

「……ひとまず来客の準備を進めましょうか」

「ええ。と言っても萩尾丸、そんなに大掛かりにしなくてもいいのよ。こっちはこっちで忙しいんだし」


 やはり何かがおかしい。いつになくしおらしい萩尾丸と、そしていつになく不機嫌さと投げやりさを隠さない紅藤を前に、源吾郎は明確にそんな事を感じ取ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る