九尾の末裔なので最強を目指します【第五部】
斑猫
幕間その一
誤爆もたらすは可憐なる小鳥
三月四日。春もまだ浅い夕暮れ時。島崎源吾郎は直通バスの座席に腰を降ろし、スマホの表面をしきりにタップしていた。
つい先程までデートを行っていた米田さんにメッセージを送るためである。
先程までオフラインで会って話していたばかりであるが、それでもどうしても米田さんに連絡を入れたくなるのは致し方ない事だろう。何せ彼女は、今の源吾郎にとって最愛の妖物なのだから。
それに米田さんも、源吾郎から連絡が来なかったり、連絡が少し遅くなると、時々心配する素振りを見せてもいるし。
そう言う事であったから、源吾郎は特に躊躇わずメッセージを作り、米田さんに送ったのだった。
意外にも、米田さんからの返信はすぐに来た。源吾郎は驚きと喜びに目を見開きつつ、彼女からの文面を眺める。
内容自体はさほど特別な事が記されている訳では無い。今回のデートと連絡へのお礼、そして次回のデートをどうするかという程度である。
ただ、文章の最後には「帰っている最中に連絡を入れるのは大変でしょう。詳しい連絡は島崎君が帰ってからでも良いのよ」とあった。
米田さんはきっと、俺が帰宅した後に連絡してもらう事を期待しているんだな。源吾郎はそのように解釈した。もちろん、「それじゃあ帰宅してから改めて連絡しますね♡」というメッセージを送った上で、だ。
※
今や本宅となった研究センターの居住区に戻ってきた時には、既に周囲は夜の帳に包まれていた。冬場より日は長くなっていると言えども、まだ春分を迎えてはいない。ましてや帰宅した時には夜の七時をとうに過ぎていたのだから尚更だ。
なかば慣例的にただいま、と告げて部屋の明かりを点ける。一人暮らしだから、帰りの挨拶をしても返事など無いじゃないか。ふっと浮かんだその考えは、三秒も経たぬうちに雲散霧消した。源吾郎の声に反応し、確かに返事した生命体がいたからだ。その生命体の名はホップという。源吾郎の妖力によって妖怪化した、しかしちっぽけな十姉妹である。
「プッ、ピッ、プピピッ」
ホップは鳥籠の壁面にへばりつき、黒い瞳の片方で源吾郎を凝視しながら啼いていた。先程まで部屋が暗かったから眠っていたのではないかと思ってもいたのだが、啼くたびに身体を震わせるホップの姿を見ていると、そうでもないのかもしれない。
「ただいまホップ。もしかして、俺が帰って来るのを待ってたのかな」
「プ……」
帰宅後の支度もそのままに、鳥籠に近付いた源吾郎は今一度ホップに話しかける。ホップは小さく啼いただけで、そのまま飛び立って距離を取ってしまった。別にどうという事もないと言わんばかりにつぼ巣を突き始めたホップを前に、源吾郎は特に何も思わなかった。ホップが源吾郎に懐いている事と、ホップが案外マイペースで自分の時間や遊びを大切にする事は、全くもって独立した事柄であると既に知っているからだ。
それに源吾郎も、ホップにばかり構っていられるほど暇ではない。これから夕食の支度もせねばならないのだから。いや、それよりも前に、米田さんへの連絡も、源吾郎が行おうと思っていた事の一つではないか。
まずは米田さんに連絡を入れて安心していただいて、それから夕食の支度にとりかかろう。お肉とかも、調理が楽なように下ごしらえをして冷凍庫や冷蔵庫に入れているんだから。
心の中で、これからやる事の段取りを組み立てると、源吾郎は外出着から部屋着へと着替え始めたのだった。
『米田さんこんばんは☆ 僕は今無事に帰りました。小鳥ちゃんはいるけれど、やっぱり一人暮らしは寂しいなって感じました(笑)
今日はお忙しい中、丸一日デートに付き合ってくれて本当に嬉しいです。今度のデート先は姫路なので、僕がガンガン名所を案内しようと思ってます♪ それでは、米田さんもお身体に気を付けて』
後は送信だけだな。源吾郎はスマホの文面を眺めながら、頬を緩ませて笑っていた。米田さんに連絡を送る事だけに意識を集中していたために、部屋のある一角にて、金属がこすれるようなかすかな物音が上がった事に、源吾郎は気付けずにいた。
よっしゃこれで送信だ。そんな風に意気込んでいた丁度その時、源吾郎はようやく異変に気付いた。
「プ、プ、プピピッ!」
機械音に似た啼き声を上げながら、源吾郎に向かって小さな丸い塊が飛んできたのだ。それは源吾郎の二の腕付近にぶつかるようにして着地し、それから何度か跳ねて、源吾郎の手許に移動した。
小さな異変の主は、他ならぬホップその鳥だった。源吾郎の使い魔であるホップは、何故か鳥籠から脱出して源吾郎の手に乗っていたのだ。しかも首を伸ばして嘴を開き、源吾郎の指先のささくれを探してもいた。
「ホップ! お前、何でこんな所に……」
「ピッ、ピィッ!」
驚いた源吾郎が声を上げると、ホップは身体を伸ばしながら鋭く啼いた。得意気な体勢と言い鋭い目つきと言い、何処となく怒っている事が源吾郎には伝わって来た。
夜の七時過ぎと言えば、本来であればホップの夜の放鳥タイムでもある。仕事を終えて帰宅し、更に夕飯やお風呂の支度を行う前の数十分間で、ホップを鳥籠から出して遊ばせるのだ。もはやルーチンと化したホップの放鳥タイムの事を、源吾郎は今更のように思い出したのだ。
源吾郎は少し申し訳ない気持ちになりつつ、今一度ホップに手を差し出した。素直に手の上に乗ったホップを、一旦そのまま肩の上に止まらせる。遊んでやるにしても、まずはメッセージを送信してからだ。そう思ったからこそ、ホップを肩に乗せてやったのだ。
「それじゃあホップ、遊ぼうか」
メッセージの送信を終えた源吾郎は、肩の上に避難させたホップに告げる。喉を震わせて啼くホップは、実の所既に源吾郎の腕に移動していたのだけれど。
※
テーブルに置きっぱなしにしていたスマホが震えている事に気付いた時には、夕食は八割がた完成している所だった。源吾郎はコンロの火を消すと、訝りながらもローテーブルに向かった。空腹を覚えた所でもあるし、一通り食事を作り終えてからスマホを確認しても良かったはずだ。
だがそうせずに、夕食の方を中断した。それは何か胸騒ぎのような物を感じたからに他ならない。
「あれ?」
スマホの画面を確認した源吾郎は思わず首をひねった。着信が二件あったのだ。発信者は米田さんと、長兄の宗一郎だった。
一体何事だろうか。源吾郎はますます不審に思った。二人とも、こんな時間帯に電話を掛ける事などほとんどないからだ。宗一郎とて、源吾郎に電話を掛ける時は気を遣っているのか午前中だというのに。
しばし着信履歴を眺めていた源吾郎だったが、ひとまず米田さんの方に電話を掛けた。
「もしもし米田さん。島崎です」
『もしもし、島崎君ね。もう遅いけれど、無事に帰宅できたのかしら?』
米田さんは数コールですぐに出てきてくれた。だが、その言葉や息遣いには不安と心配の色が明らかに滲んでいる。源吾郎は戸惑い、すぐに言葉を紡げなかった。
『ごめんね島崎君。無事というか、特に何もないのなら別に良いの』
「うん、俺は別に大丈夫ですよ? というか三十分ほど前に、米田さんに帰ったよってメッセージを入れたはずなのですが……」
『メッセージですって。届いてなかったけれど?』
驚いたような米田さんの言葉に、源吾郎はまたしても首をひねった。帰宅してからのメッセージは、確かに米田さんに送信したはずだ。わざわざスマホで電話している彼女の事だ。源吾郎のメッセージを見落としているとも考え難い。
そんな事を思っていると、申し訳なさそうな口調で米田さんが続ける。
『良いの、良いのよ島崎君。メッセージは、もしかしたら私が見落としているだけかもしれないし。それに、島崎君が無事に家に帰った事は、この電話で確認できたから』
あ、うん。源吾郎はそんな事しか口に出来なかったが、そこで米田さんとの通話は終わってしまった。
釈然としない気持ちを抱えつつも、今度は宗一郎に電話を掛けてみた。
「もしもし宗一郎兄様。源吾郎だけど」
『源吾郎だな。ちょっと君に話したい事があって、電話を掛けたんだ』
宗一郎の声は普段以上にどっしりと重く、苦々しい物を孕んでいるようだった。電話口だからそう聞こえたなどという物ではない。源吾郎も口の中が渇きだすのを感じながら、長兄の言葉を待った。
彼の言う話したい事とは、十中八九説教だ。そんな事は源吾郎もとうに解っていた。
『三十分ほど前に、僕の許に源吾郎からメッセージが届いたんだよ』
「それって、まさか……」
心当たりがあるのか。宗一郎が失笑交じりの息を漏らしたのを、源吾郎は感じ取った。
『何処からどう見ても僕に宛てたメッセージでは無かった事はすぐに解ったよ』
「それ、それは誤爆しちゃったやつだよ。そんな、まさか、よりによって兄上に送っていたなんて……!」
源吾郎はここにきて、米田さんに送ったはずのメッセージが届いていない理由を悟った。米田さんに送るつもりのメッセージを、間違って宗一郎に送ってしまったのだ、と。
もちろん、そんな事は普段なら起こさぬようなミスである。しかしあの時はホップが乱入してきた事に気が動転してしまっていた。それが敗因なのだろう。
まぁ落ち着け。狼狽える源吾郎に対して宗一郎が声をかける。落ち着き払った声だったが、その背後にある呆れの色がうっすらと滲み出ていた。
『別に僕も、源吾郎がどんなメッセージを送っていたかなんて興味は無いよ。ただ、今後はそう言う事が無いように気を付けないといけないからね』
「ううう、俺だってわざと間違ったんじゃあないんだよ。ホップが、ペットの十姉妹が急に俺に飛びついてきたから……」
『小鳥のせいにするのはいただけないなぁ』
宗一郎との通話は、そこから二言三言交わした所で終了した。
デート云々の話について言及しなかったのは、宗一郎なりの優しさだったのかもしれない。とはいえ、恥ずかしさと気まずさで源吾郎が悶絶しそうになった事には変わりはないのだが。
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