陽だまりと暮らして

@yuyuanyuu

二人の贅沢な朝

 ふわふわと夢と現実の間を漂っている。そんな中、頭の後ろを触られていることに気付いた。それは私の後頭部をすっかり覆うように髪の隙間に差し込まれ、その後は髪を梳くようにゆっくりと離れていく。そしてまた、後頭部に戻ってくる。ゆったりとしたその動きは、まるで船に揺られているよう。せっかく輪郭を持ち始めた意識が、またトロリと溶けてしまいそうだった。でも、それに逆らうようにぐっと力を入れて瞼を持ち上げる。そこには寝る前と変わらず、世界で一番安心できる人、紘睦ひろちかさんがいる。


「おはよう」

「おはよ」


視界がくっきりする前に返した「おはよう」は空気を含み過ぎてぼんやりとした音になった。くすくす笑う振動が布団を伝ってくる。朝から機嫌がいいなぁ。


「起こしちゃった?」 


ごめんね、なんて言うけど。


「起こす、つもりだったんじゃ……?」 


そうじゃなければ、寝てる私の頭を撫でたりしないでしょ?


「うーん、起きて欲しいなとは思った。けど、せっかく気持ち良さそうに寝てるし、起こしちゃうのは可哀想かな、とも思った。で、悩んでるうちに起きてくれた」 


 何度か瞬きを繰り返して、やっといつも通りの視界が戻ってきた。そこには自分のもう片方の腕を枕にしている紘睦さん。「ごめん」という顔も「可哀想」という顔もしていない。むしろ、少し楽しそうに微笑んでいる。私もつられて顔が緩んでしまう。 


「朝ご飯、用意しようかと思ったんだけど、布団から出られなくてさ」

「お布団、あったかいもんね」 


日が昇るのが早くなり、日中は暖かな日差しが差すこともあるけど、朝と夜はまだ肌寒い。そんな中、二人分の体温で温められた布団を出るのは億劫になってしまう。特に今日は休日で、急いでこの楽園から出る理由もないから。


「一緒につくる?」

「米は炊いてないけど、食パンはあるな」

「時間もあるし、パンケーキ焼く?」

「いいねぇ、オシャレじゃん。それなら、俺はコーヒーでも淹れようかな」

「ふふ、ちょっと贅沢だね」


まだ、どこかふわふわした意識のままで話している。その間も彼の手は私の髪を梳き続けている。


「もっと、贅沢してみる?」

「うん?」

「望陽が気になるって言ってた喫茶店でモーニングとか、良くない?」

「わ、とても良い……!」


 その提案に、中途半端だった意識が急に、ぱっと覚める。


「じゃ、そろそろ起きるか」

「うん」


 紘睦さんが反動も付けずにぐっと腹筋の力だけで起き上がると、私に両手を差し出す。私がその両手をしっかり握ると彼は手を引き寄せて、私を起き上がらせてくれた。そして、その勢いのまま私は彼の胸に収まり、背中には腕が回された。私も同じように彼の背中に手を回し、ぎゅっと力を込める。


「ふはっ」

「え? なに?」

「いや、何でもない」


紘睦さんが急に吹き出す。何かしたかな?何もしてないと思うんだけどな。やっぱりご機嫌なのかな。


「よし、準備して行くか」

「うん」


紘睦さんはゆっくりと腕を離し、私の頭をぽん、と撫でた。そしてベッドから降り、カーテンを開けた。白く眩い朝日に、思わず目を細める。 紘睦さんは、喫茶店のモーニングを「もっと贅沢」と言ったけど。頭を撫でられながら目を覚まして、ベッドから起き上がるのも自分の力を使わずに、大好きな人にぎゅっと抱き締められる。こんな朝のほうがずっと贅沢だと思う。


「すげぇ良い天気」


私もベッドから降り、窓を向いたままの紘睦さんの背中に飛びつく。私が感じている「幸せ」が少しでも伝わったらいいな、と思いながら。




***




 アラームを設定せずに、ベッドに入った昨日。翌朝は自然と眠りから覚醒し、眠る前と変わらず腕の中にある温もりに思わず笑みが漏れる。まぁ俺が一晩中、意識もないのに腕を離さなかった所為かもしれないけど。 

 腕の中には安心しきったように眠っている望陽みはる。半開きになった小さな口から温い吐息が漏れているのを首元で感じられる程、俺は望陽を傍に寄せて離さなかったらしい。我ながら恐ろしいほどの執着心だ。 

 時間を確認しようとしたが、スマホはサイドテープルで充電されたまま。サイドテーブルは俺の背中側にあるので腕を伸ばし、見えないままスマホを探る。なるべく体を動かしたくなくて、少し腕が痛かったが、何とか探り当てた。 

 刺すような画面の光に目を細めながら時間を確認する。七時四十八分。予定の無い休日にしては、早い起床時間だ。望陽はまだ起きないだろうな。

 スマホの画面を消し、また手探りでサイドテーブルに戻す。ゴト、と重い音がしたが、その後に音は続かず静かだったので、テーブルの上には置けただろう。

 腕の中に視線を向ける。望陽は変わらず深い呼吸を繰り返しており、スマホを置いた音にも起きた様子はない。安堵したような、残念なような、複雑な気分だ。 

 別に起こしたい訳じゃない。一週間働いて、せっかくゆっくり寝坊ができる朝だ。ストレスが不眠に出やすい望陽には、しっかり寝てもらいたい。それに「好きな人が無防備に自分の腕の中で眠っている」というのも気分が良い。

 このまま望陽を寝かせておいて、朝ご飯の準備を済ませてしまってもいい。望陽が起きた時、朝ご飯が出来上がっていたら喜んでくれるだろうから。そう思うのは本心だ。でも、それに反して「起きてほしい」とも思う。その目に俺を映して、認識して、「おはよう」と言ってほしい。

 「起こしたい」という気持ちを抑えるように、望陽の髪を梳く。後頭部の丸い形に沿わせるように指を差し込み、毛先に向ってゆっくりと流す。絡まっても引っ張ることがないように、慎重に。寝る前にこうすると、望陽は割と短時間で寝入ってくれるから。 

 しかし、今朝は違ったようで。頭を撫で始めてすぐ、望陽の呼吸が浅くなり、瞼が動いた。俺の良くない方の感情が、手から伝わってしまっただろうか。


「おはよう」

「ぉあよ」


臉が薄っすらと開いただけの望陽の「おはよう」は布団と俺の腕に埋もれているのも相まって、酷く聞き取りづらい。まだ、意識の半分も覚醒していないだろう。


「起こしちゃった? ごめんね」


本当に起こすつもりはなかった。「起きてほしい」とは思ってたけど。 瞼がしっかりと開いた望陽と朝ご飯の話をする。簡単に、トーストとお湯を注ぐだけのインスタントコーヒーも良い。少し時間をかけて、望陽が焼いてくれるパンケーキと俺が豆を挽いて淹れるドリップコーヒーも良い。でも、せっかく望陽も起きてくれたのなら。


「望陽が気になるって言ってた喫茶店でモーニングとか、良くない?」


そう言うと、望陽の目が見開かれて光を多く集めた。良い反応。彼女の眠気も完全に覚めたようだ。 ベッドから起き上がり、望陽も起き上がらせる。手を引いた力が強すぎたのか、彼女の身体が俺の胸に飛び込んできた。その身体は、小さくて薄くて柔い。思わず背中に手を回し、抱き締める。手を差し出したとき躊躇なく手が重ねられるのも、俺が抱き締めれば彼女も俺の背中に手を回してくれるのも、彼女に心を許されているようだ。 

 名残惜しくも手を離し、ベッドから降りる。カーテンを開けると雲一つない青空が見えた。視線をベッドに戻すと、望陽が眩しそうに目を細めていた。可愛い。まるで猫みたいだ。思わず上がってしまった口角を隠すように、窓に向き直る。


「すげぇ良い天気」


この一週間程は雨の日が多く、晴れ間の無い日が続いていたから、久しぶりの太陽がより清々しく感じられる。 このまま天気が崩れないなら、喫茶店に行った後、どこかに出かけようか。まだ早い時間だし、車で遠出しても良いな。なんて思考は、後ろからの衝撃によって中断されることになったのだった。

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