絶望と希望のルフラン
山口都代子
第1話 始まりの出会い
玲奈は窓の向こうに沈みゆく夕陽を見つめていた。「夕暮れになるといつも君を想っていた。ここに君がいればどんなに幸せか、早く会いたいと願っていた」、そう言った男の影を追った……
大学に入学してまもなく、新入学生を誘う運動部の一団を通り過ぎてほっとしたとき、玲奈は後ろから肩を叩かれた。「キミはバレーボールが好きか?」
はぁ? 驚いて振り返った目の前に男が立っていた。「バレーボール? 興味ないです!」、無視して駆け抜けた。
2週間ほど経ったある日、学食でチケットボタンをプッシュした玲奈に、
「やあ、この前の新入生だろ? 同じテーブルで昼メシしてもいいか?」
驚いた玲奈をまったく気にせず、大盛りランチと満タンの水を入れた4個のコップをトレーに乗せて、目の前に座り、猛スピードで食べ出した。
玲奈がランチを半分も食べないうちに男は完食して、3杯の水を飲み干した。
「そうだ、話がある。食べながら気にしないで聞いてくれるか? ノッポのキミにアスリートになってくれと勧誘したんじゃない、マネージャーはどうだろう? ホンネを言うと女子マネが欲しかったんだ。僕と現マネージャーは3年生だから来季で任期が終わる。その後任にキミが欲しい、イヤかい?」
「ストップ! 何の話だかわかりません。最初に自分の名前を言うのが先でしょ、それにバレーボールなんて知りません、興味ないって言ったでしょ、失礼します」
玲奈がトレーを持って立ち上がったとき、玲奈の皿に残されたプチトマトをポンと口に収めた男は、
「ちょっと待ってくれ、悪かった。僕は教育学部3年の如月健斗だ。バレーボールなんてすぐ覚えるさ。何たってキミは選手じゃない、部員をアシストするだけだ」
「勝手なこと言わないでください、失礼します」
「行くな、待ってくれよ、キミの名前を教えてくれないか?」
少しだけ時間が止まった。
「神崎玲奈!」
健斗は走り出した玲奈の後姿を見送って、あーあ、初めて女子を口説いたのにアウトかぁ……
ある午後、16号館を出たらひどい雨だった。どうしようか、傘はないし、北門を出てUNIV.CO-OPに飛び込むか。キツイ雨だなあ…… 玲奈はラウンジから外を眺めながら迷っていた。
「授業は終わったか? 帰るなら傘はあるぞ。おい山村、傘を貸せ。オマエはダッシュだ」
健斗は横にいた男の傘を奪い取って玲奈に渡した。傘を取られた男は本気でダッシュして走り去った。驚いた玲奈に、
「どこに帰るか知らないが、帰るなら早く帰った方がいい。どしゃ降りのときは馬場下付近はいつもズブズブだ。これ以上降ると大井川の渡しになる、早く帰ろう」
傘を借りた玲奈は駅に続く通りを健斗について早足に歩いた。改札口が見えたとき、バチッ!! 何やら音がして稲妻が走った。
「今のはけっこう近いぞ、早く乗ろう」
玲奈の肩を押して改札を入った。えっ! まさかこの男も同じ電車か?
午後2時だというのにホームから見える街は薄暗かった。こんな時間にもかかわらず混雑した車両に玲奈は戸惑った。電車は発車してまもなく中井駅に緊急停車し、しばらく電車は動かないと車内アナウンスが響いた。どうも妙正寺川が溢れたらしい。車窓を叩く大粒の雨を眺めた健斗は、
「僕は時間がない、今からVリーグと試合があるんだ。頼み込んでやっと実現した試合だ。遅れるわけにはいかない、車を拾って上井草に直行するがキミはどこに帰りたいんだ?」
「東村山です」
「そうか、上井草は東村山に少しは近い。ここでボーッとするよりはマシだろう。あっちは電車は動いているかも知れない。ついて来るか? 無理にとは言わないがどうする?」
「………………」
上井草に着いた。こんな所に大学の体育館があったのかと玲奈は初めて知った。玲奈を連れて館内に走り込んだ健斗に、「先輩、その女子はカノジョですか?」の声を無視して部室に消えた。ユニフォームに着替えた健斗は、
「なりゆきで悪いが試合を見てくれ。こんなことをやっているバカな男たちもいるんだ。試合が終わる頃には雨が止みそうだ、観戦してくれるか」
健斗はコートに立った。ルールがわからないままにゲームを見ていた玲奈は、そうか相手コートに3回でボールを返すのか、体育の授業を思い出した。試合は実力の差でVリーグのパナソニックが3-1で勝利した。声援のほとんどはパナソニック・ファンで、母校を応援する観客は20人足らずだった。
試合終了後、ユニフォーム姿の健斗が観客席の玲奈に近づき、「帰るな! もう少し待ってろ」と叫んでロッカーに消えた。まだ雨脚は強かった。
ミーティングを終えた健斗は「ついて来てくれるか」と手を引っ張り、玲奈を部室に連れて行った。ドアを開いた途端、タオルを腰に巻いただけの男の集団! ハァー、どこに視線をやればと俯いた玲奈に、
「オマエら早く服を着ろ! この女子は次期マネージャーにオレが狙った子だ。失礼がないようにしろ!」
男たちは慌てて服を着た。
「待ってください! 女子マネなんかやりません! 勝手に暴走しないでください。バレーボールのバも知りません。いい加減にしてください! 帰ります!」
「いや、知らないからいいんだ。ヘンな知識があるよりも真っ白な気持で理解できる。新鮮な感覚のサポートが必要なんだ。少しの間でいいから座ってくれ」
部員はニヤニヤしながら、試合でも滅多に見せない真剣さで女子を口説くキャプテンを面白がった。
「部員のデータはこれに入っている、試合のムービーもだ。キミに見てもらいたい」
健斗はデスクトップパソコンをスクロールした。背後で見ていた玲奈は、確かにデータはあるが動きが鈍い。このPCは古そうだと感じた。
「このPCのOSは何ですか、バージョンは?」
「確かwinのtenと聞いたが詳しくは知らない」
「これにコピーしていいですか」
玲奈はタブレットを出して、モタつく部員を押しのけてwinデータを落とし込んだ。ふぉー! 部員の溜息が漏れた。
「手際がいいな、キミは受講中はこれをONしてるのか?」
「そうです。部屋のMacに接続してレポートを書きます」
ほぉー、またもや部員が呆れた。
「それでこの人は僕らのマネージャーになってくれるんですか?」
「いや、さっき聞いただろ、答えはノーだ。神崎玲奈さん、考え直してくれないか? 毎日来てくれとは言わない、授業の合間に顔を出してくれるだけでいい。部室は記念会堂にもある。そこなら気軽に寄れるだろう。みんなもマネージャーになって欲しいな?」
うぉー! 大きな蛮声が上がった。
「まだ電車は止まっているが神崎さんを送って行く。間宮、バイクを貸せ、メットを2個頼む」
「ハーイ、いいですけど心配です。僕らのマネージャー候補を虐めないでくださいよ」
「バカ! 彼女とは出会ったばかりで何のプロセスもない。カン違いするな!」
「キミはバイクの後ろに乗ったことがあるか?」
「いいえ、ありません」
「そうか。バイクは左右にブレる、特にカーブだ。遠慮しないでしっかり僕の腰に掴まって体を預けろ、行くぞ」
新青梅街道を直進する健斗の腰に両手を回し、バイクが左右に傾く動きに合わせて玲奈は素直に体幹を移動した。健斗は不思議に思った。この子は絶対なにかのアスリートだ。脂肪が薄い筋肉質の体に鍛え上げた腕橈骨筋。何の競技だ? 背が高いからバスケか? 違う、バスケの腕じゃない。 陸上か? 水泳とは違うな、元カノのスイマーの肢体を思い出した。スイマーは筋肉の他に脂肪も必要だ。そんなことを考えながら府中街道へ入り、東村山に着いた。ふたりともずぶ濡れだった。
「家に寄りませんか。叔父の家に居候してます。濡れた服をどうにかしましょう。この広い道を真っ直ぐ進んで左へ曲がって、大きな桜の木がある家です」
この子のアパートに寄れるのかと一瞬喜んだがそうではなかった。バイク音が聞こえたのか高校生ぐらいの男の子が出てきた。
「へぇ、姉ちゃんのカレシか? 入学早々やるもんだ」
「アホ! 叔母ちゃんに言っといてくれた?」
「うん、風呂沸いてるよ」
健斗は屋敷に招かれた。農家なのか、奥に何棟ものビニールハウスが建っている。こっちへ来てと言われたまま2階に上がると、ベッドが置かれた洋間だった。この子の部屋か? 玲奈はワードローブをゴソゴソ捜して、「風呂上がりはこれで我慢してね」と短パンとTシャツにスウェットを渡した。オレには少し短いがこれはメンズサイズかと笑った。机には大きなMacintoshが置かれていた。
風呂を使わせてもらって廊下に出ると旨そうな臭いがしていた。「お兄さん、こっちだよ」の声で覗くと、畳の部屋で大きな座卓を囲んで、さっきの男の子と中学生ぐらいの女子が餃子をパクついていた。隣の台所では中年の女性と玲奈が餃子を焼いていた。
「お世話かけました」と健斗が頭を下げると、「気にしないでよ。良かったら食べていかない?」
まさか初対面で晩メシまでご馳走になるなんて厚かまし過ぎる。辞退したところにこの家の主人だろうか、おっさんがのっそり帰ってきた。
「ほおー、レナちゃんのボーイフレンドか。背が高いなあ。そうだ、晩メシ食っていきなさい」
そのとき健斗のケイタイが鳴った。
「キャプテンは何してるんですか、僕ら勝手に練習してますよ。ホントにちゃんと送り届けたんすか?」
「すみません。お世話かけましたが帰らせてもらいます。試合が近いので夜間練習があるんです」
「へーっ、お兄さんは何やってんの?」
「バレーボールだけど」
「そっか、だから大きいんだ」
笑って見ていた玲奈が、
「やっと服が乾いたわ。大輔、乾燥機の服を私の部屋に置いて来て。叔母さん、如月さんに餃子を持たせてもいい?」
「いいわよ、レナちゃんを送ってくれたんでしょ、また遊びに来てね」
俺の服はあの子の部屋だそうだ。健斗が玲奈の部屋に入ると、乾いた服と畳まれたトランクスがベッドの上に置かれていた。けっ、パンツも洗ってくれたのか、少し恥ずかしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます