タヌキが月祭りにおじさんを御招待した話
来冬 邦子
切符は要りません。
「先生。先生。すみません。起きて下さい。もうすぐ駅です」
子どもの一生懸命な声が、おじさんのひじを何度も揺すっています。
「え? ああ、すまない。眠ってしまったか」
終列車の隅っこの座席で、いつものようにうつらうつらと眠ってしまった、おじさんは、顔を上げると円い眼鏡の奥で目蓋をぱちくりぱちくりしました。
「ありゃりゃ? 誰が起こしてくれたのかな?」
「ボクです。狸です」
隣の座席にお行儀良く坐っていた小さな子狸が、おじさんのひじから、そっと前足を離しました。
「やあ、君か。わたしを揺らして起こしてくれたのだね。ありがとう」
「そんな。とんでもありません」
狸は、はにかんで鼻面を隠しました。
「今日も眼鏡を借りに来たのかい?」
「いえ。今日はそうではなくて。あ、駅に着きました」
おじさんは大学の先生で毎日遅くまで大学で研究をしているのでした。二人は電車を降りて、潮の香の匂う駅の改札を通り抜けました。
「あ」とおじさんは立ち止まりました。
「君、切符は買ったのかい?」
「いいえ。切符ってなんですか?」
「知らないだろうなあ。いいよ、わたしが出すからね」
おじさんがポケットから財布を出そうとすると、駅員さんが笑って止めました。
「この子の切符はいいんですよ、お客さん」
「しかし……」
「二時間ほど前に、この子から、お客さんをお迎えにいくのだけど、電車に乗せてもらえませんか、と頼まれましてね」
駅員さんは子狸の頭を撫でました。
「こんな小っこい子狸から運賃を取るほど、日本国有鉄道は落ちぶれちゃあ、いませんよ」
「そうか。ありがとう」
おじさんが頬笑むと駅員さんも笑って敬礼しました。
「ありがとうございます」
子狸も後足で立って敬礼したので、駅員さんはアハハと笑いました。
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