記憶を失くした青年

青時雨

第1話 呼び名

 世界は、黒くくすんでいた。

 見渡す限り、黒、灰色、黒。

 美しい海や山を知らずに育った人間たちは、毎日灰色の瓦礫の山を見渡しながら生活している。

 地球上で人間が生活出来るのは、もうこの主要都市――ライゼルサのみ。地球最後の大都市。人間によって多くが失われたものと、人間によって無責任に生かされてしまったものが残された場所。

 そんなライゼルサの南東。そこで、一人の青年が倒れていた。





 ここはどこだ?

…俺は、誰だ?



「サラ、目が覚めたっす」



判然としない朧げな視界に顔が二つ、徐々に鮮明になる。



「大丈夫か」


「は…はい」



横たわっている俺の顔を覗き込んで、心配そうに尋ねられた。



「起き上がれます?」


「君、名前は?」


「すみません…わからなくて」



目が大きく短髪で、首筋が痛々しく変色した男が息を呑む。



「サラこれってあの、あれっすよね…」



白い長髪が時々サファイアのように煌めいて見える切れ長の目の女は、咳をしながら答える。



「ああ、記憶喪失だ」



 記憶、喪失…?

 戸惑う彼を見て、二人は安心させるように微笑んでくれる。



「不安だろうが、私たちがいる。思い出せるまでは私達と行動をともにすればいい」


「そうっすね。それにもし思い出せなくても、これから毎日少しずつ振り返られる思い出作っていけばいいっすよ」



温かい言葉をもらって、記憶を失った彼はぎこちない笑みを見せた。



「でも呼び名くらいはほしいっすよねぇ…わかった!じゃあ今日からあんたはワタルってことでいいっすか?」


「どうだ?。君が嫌じゃなければ今後はそう呼ばせてもらう」


「ワタル…うん、気に入った」


「じゃあワタルってことで。俺はアミルっす。よろしくっす」


「私はサラだ。よろしくなワタル」



 ワタルと呼ばれることとなったその青年はサラやアミルを含めたある集団が行っている活動の最中さなか発見された。ワタルは記憶を取り戻すまで彼らの活動に加わることとなった。



「二人は、いや違うか…活動員のみんなはどんな活動をしているの」



活動場所となる瓦礫の山を越えながら尋ねると、先に上へと昇っていたサラが手を差し伸べてくれる。



「先人たちが残したものの保護だよ」


「残したもの?」



力強く引き上げられ、彼女と同じ場所まで辿り着く。ひとつひとつの瓦礫は丈夫そうだが、それが集まって出来た山は崩れやすくとても危険だった。前を行くサラや後ろにいてくれるアミルに助けられながらなんとか先へ進めている。



「そうっすよ~。歴史書によれば、先人たちの多くが急速に悪化した環境の変化によって減少し、生き残った少数の人間が、唯一人が住めるこのライゼルサで命を繋いでる。そんな先人が残したのは、僅かな緑と大量生産し過ぎたロボットたちだけ」



要領を得ないワタルに、アミルは続けた。



「先人たちは研究溶かして新しいことばっかりに目が向いて、今ある大切な者を見落としちゃったんすかね。自然や生き物の減少が酷くそのほとんどは今じゃ資料でしか見られないんですよ」


「私たちは新しく何かを生み出すことを反対し、今あるものを大切に保護することをモットーとしている」



サラやアミルたちはワタルにそう説明しながら、壊れた機械に絡みつくようにして生命力を見せている植物や、干からびてしまいそうな花などを採取している。



「これらを私たちが管理し運営している保護区に植えて、この灰色の瓦礫の景色をいつか緑で埋め尽くしたいと考えている」



千切れたコードの先端から電流がバチバチと爆ぜる音を聞きながら、ワタルは瓦礫の山々を見渡した。まだ人の住む住居区や所々活気があるものの、遠くでは蜃気楼のように聳え立つどす黒い瓦礫の山々が汚れた空へ向かって鎮座している。



「ここを、緑一色に」


「素敵な目標っすよね」


「うん」



ワタルも二人を手伝いながら植物を丁寧に採取した。

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